最近、いろんなことを怒ることが、めっきり少なくなってきました。
昔から、ボクを知っている人。
そして、ボクがキレまくっているときから知っている人。
そんな時代から知っている人が「どうしたん?」ってなるぐらい変わったみたいです。
これは、子どもが良い子になったとか、聞き分けが良くなったからというわけではありません。
相変わらず、親の思い通りの家庭になっているかは、わかりません。
もちろん、理想にいったのではないかと、到底、思うまでにいきません。
やってほしいことはやらず。
やってほしくないことをやりたがる。
このことには、今でも、あまり変化はありません。
今までも感情で怒ることはほとんどなかったのですが、それでも、自分自身は、子どもと関わる事業において叱る、怒ることは全くないのです。
大らかさと、寛容さを身に付けると変わることができる
ボクが、宮古島ツアーで一緒になる子どもに対して、叱る、怒ることが全くないのは、自分なりに、そして周囲の環境のおかげで、大らかさが身に付いてきたからだと思います。
本当に、これは感謝しかないです。
自分自身でも気づくことはありませんでした。
この現象は、きっと、他の多くの人も、同じように感じることはあるかと思います。
子育てにしろ。
仕事にしろ。
やはり人間には「大らか」「寛容」な視点がとても大事ではないでしょうか?
この大らかさと、寛容さは、同じような意味合いと捉えています。
ですが、これらを身に付けることにより、大きな視点を持つことができます。
また、多くの利点、世で言われているメリットを得ることが出来ます。
- 他人を自分の思い通りにしようとしない
- 他人に振り回されない
- イライラしない
- 広い視野を持つことが出来る
- 人の気持ちが理解出来る
このように書いてしまうと、それは立派な人間のように感じませんか?
やはり、ボク自身も、なんかまだまだ未熟な人間だなって思います。
世の中には、一般的に「大きい人間」という人が居ます。
よくいう「あの人は人間が大きいな~」「あの人は器が大きいな~」なんてお方です。
大きくなれよ♪…って知ってます?昔のCMの名台詞なんですが。
そもそも、丸大ハムって知っている人いるのかな?
そういう人物というのは、この大らかさと寛容さを身に付けています。
こういう能力(と言っていいのかわかりませんが)というのは、元々持っている人も居ますが、人生経験により身に付くものでもあると思っています。
それはストレスをそれなりに感じる日常であれば、誰でも身に付けられるのではないでしょうか。
ストレスと言っても別に極度のストレス状態ではなく、普通の日常に転がっているような些細なことです。
- 仕事が上手くいかないとき
- 人間関係で悩んでいるとき
- 子育てがしんどいと感じるとき
- 夫婦関係があまり良くないとき
では、人はどういうときにストレスを感じるかというと、「自分の思い通りにいかない」ときです。
基本的には。
そして、よくよく考えてみると「自分の思い通りにいかない」ときに、イライラが募り、機嫌が悪くなり、怒ったりとします。明らかに「大らか」という言葉の反対語はよくわかりません。
といってはなんですが、上記のようなストレスを感じる場合とは、「大らか」な視点とは、真逆の状態だったりするわけなんです。
つまり、全体の広い視点「相手の立場や気持ちなどで見ることが出来ず」に、自分だけの狭い視点「世間で言われているとことで言うならば、自分の都合ばかりでしか見ることが出来ない」状態です。
この日常の良くあるストレスに対し、どのように意識を持っていくかが大事になります。
単純に、本当にシンプルに考えてみたら、「意識」をするかしないかです。
自分の思い通りにいかないとしても「まぁしょうがない」「相手の立場になったらそうだよな」という広い視点での大らかさが欲しいものです。
例えば、こんなケースだったら…というものを想像してみましょう
■子育ての場合
- 「怒られたって嫌なものは嫌だよな」
- 「遊びたいんだからしょうがないよな」
- 「子供だって機嫌が悪いときもあるよな」
- 「子供だって疲れてやりたくないときもあるよな」
大人(自分)の都合ばかり、考えたり、押し付けたりしています。
すると、子供の気持ちを考えられなくなり、狭い視点が段々、クセになってくることがあります。
どんどん、大人として、親としての立場の都合が、エスカレートしてくるのです。
やはり、子どもだって、一人の人間なわけです。
彼が、彼女が、もし同じことを言われたらどう思うんだろうか?
こういった、大人の「大らか」な視点が大事ではないでしょうか?
■仕事の場合
- 「上司もストレス溜まって怒りたい気分なんだろうな」
- 「上司も更にその上司にいつも怒られているんだろうな」
- 「この人はいつも偉そうだけど気が小さいだけだろうな」
- 「部下の尻拭いも上司の仕事のうちだよな」
- 「仕事の成績なんてそんな簡単に上がるか」
イヤな上司に対して、こんな寛容になれる気はしません。
ですが、無理やりでもこのように思うことにより、大らかさが育つ気もします。
何よりイヤな上司のために、何で自分がストレスを溜めないといけないのか?
…という、すごく根本的にバカらしさもあります。
ごちゃごちゃといろいろ書きましたが、私が子供に対して叱ったり怒ったりすることが減ってきたのは、「自分の思い通り」にいかなくても気にしなくなってきたということです。
もちろん、躾 (しつけ)などは、別な話です。
躾 (しつけ)については、こんなお話を以前にしています
たまに、怒ったりすることもあります。
叱られる(怒られる)というのも、子供にとっては大事な経験です。
ここでも書きました。
常識を子どもに教えるのは、当たり前。
尚且、悪さをしたら、叱ったりひっぱたいたりするのも当たり前。
子どもなりに、一生懸命に頑張れれば、褒めるのも当たり前。
結局、当たり前のことを淡々とするだけなのではないでしょうか?
教育なんて、きっとそんなもんじゃないですかね?
但し、大人自身の言動が伴わなければ、効果は半減どころか全くの無意味だったりします。
むしろ、逆効果となる可能性も大きくあります。
子どもが自発的に行動するとき、それは自らが納得しているときです。
引用:子供は大人の言うことを理解するわけではなく、大人のすることを見て理解しているのではないでしょうか?
それでも「ここはしっかり叱らなくっちゃ!」「ここで甘やかしたらダメだ!」という肩に力が入ったような感覚が、どんどん減ってきています。
言うべきことはもちろん言います。
ですが「何としてでも言うことを聞かせよう?」とか、「親だからという立場の威厳」とかはまったく要らないんですよね。
何事も、もっと「大らか」であるべきではないでしょうか?
結果的には、子どもたちは、前よりも言うことを聞くようになっていくはずです。
それは、もしかしたら、ボクも同じような経験をしていますが「言うことを聞かせよう」…という考えの割合、感覚が無くなってきているからかもしれません。
子どもがすんなり言うことを聞かなくても「親の言うことを聞かない」と、今まで感じていた感覚、意識が感じなくなっているからかもしれません。
今回は、すごい体験、経験になりました
子育てであったり、教育に関しては、こういったことを「大らか」というのか「甘い」というのか、それは人それぞれだと思うんです。
しかし、基本的には、言うべきことを言っていれば、後は、大らかな視点で見守っていればいいのではないでしょうか?
それは、子育てでも、教育においても、仕事でも、何でもです。
ひとつの「大らか」な視点を持つ最大のメリットは、ストレスが軽減することです。
周りの言葉に一々反応せず、振り回されることがない。
それだけで、イライラやストレスを感じることが減るのです。
そこが最大の魅力ではないでしょうか?
ただ、正直やっぱり人によるかなとも思うんですよね。
子ども相手なら、大らかになれている。
だけど、大人相手に大らかは難しい…って決めるのは、違うんじゃないかと感じました。
さて、明日もがんばりますか。
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