日本人はなぜ自分で自分を追い詰めるの?海外から来ていた人に聞かれた質問から考える「自虐」は美徳ではないということ

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海外から来ていた友人から「日本って国って、自虐的な国だし、そういう人が多い国だよね」…って言われました。

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おぉぉぉ、たしかに、たしかに。

自らを蔑(さげす)み、自ら自分を追い込んでいきます。

そして、多くの人が心の病におちいるか、または、逃げ出します。

ボクは、日本ほど裕福で安全で恵まれた国はないと思っています。

基本的には本来日本で餓死することは滅多にありません。昨今は目に余る凶悪事件が多発しており、表に出ない事件も多くあることもわかりますが、それでも他諸国と比べれば格段の差があるかと思います。

それでも日本人は自らを自虐的に追い込むことがあります。

それは恵まれた裕福さゆえの余計な悩みなのかもしれません。

そもそも自虐とはなに?

友人と別れたあとに、たまたま知り合いのお店が近くにあるので、立ち寄ってコーヒーを呑みながら考えてみたわけです。

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自虐とは、自分を虐めることである。

行動によるものと、言葉(文章)によるものの二種類があり基本的には区別される。
行動によるものは自傷や自棄とも言う。

自らを反省し正そうとするのは、自虐とは違います。

  • 突き詰めれば自分にも非がある
  • 私にも悪いところがあった

しかし、自虐とは、自らを虐(いじ)めるです。

  • 自分はなんてダメな人間なんだ
  • 自分は誰からも必要とされていない
  • 自分は嫌われている
  • 自分は何も出来ない(持っていない)
  • 自分が嫌い

この「自分」の箇所を「あなた」に置き換えれば、立派ないじめになります。

  • あなたはなんてダメな人間なんだ
  • あなたは誰からも必要とされていない
  • あなたは嫌われている
  • あなたは何も出来ない(持っていない)
  • あなたが嫌い

こんなことを身近な人に言われて、気にしない人はよほど強い人間です。

そして、言われ続ければ、大抵の人は精神を病みます。

自暴自棄になってしまいます。

では、なぜ日本人は自虐的になってしまったのでしょうか?

これは、やはり太平洋戦争の敗戦により「自虐史観」となる教育が影響されているのではないでしょうか?

<自虐史観>

自虐史観(じぎゃくしかん)とは、太平洋戦争後の日本の歴史学界において主流であった歴史観を批判・否定的に評価する側が用いる蔑称である。彼らの主張は、戦後の歴史観を自国の歴史の負の部分をことさら強調し、正の部分を過小評価し、日本を貶める歴史観であるとみなしている。

ほぼ同種の造語として、日本悪玉史観、東京裁判史観がある。「自虐史観」への批判者たちが連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による戦後統治と極東国際軍事裁判(東京裁判)を通じて「日本は悪である」との考え方を「押し付けられた」とみなしているためである。

~(中略)~

戦後の歴史観を「自虐史観」と呼ぶ層の主張は概ね以下のとおりである。

太平洋戦争での敗戦により、GHQによる統治が行われる中で、歴史学界や教育界の一部(学校教育の現場、日本教職員組合に入っている教師ほか)などでは、占領政策を支え、GHQに迎合するかたちで、なぜ敗戦に至ったのかという視点から過去への反省がなされることとなり、その過程で戦前の日本国民が共有していたすべての価値観は根底から覆され、否定される事になった。

アメリカとの比較で日本の近代化の遅れや、民主主義の未成熟などが問題とされることが多かった。また、戦前には皇国史観が歴史研究に影響を及ぼしたことを踏まえ、マルクス主義の影響を強く受けた歴史研究(唯物史観)が主流となった。また、GHQによる「真相はこうだ」などの歴史検証番組の放送や、墨塗り教科書、戦前の思想的基礎となった図書の焚書などもそれに拍車をかけた。

自虐史観 – wikipediaより引用

アメリカは、日本をかなり恐れていました。

そして、日本を骨抜きする必要性を感じていました。

シンプルに言語化するのであれば、GHQは、戦争への罪悪感を日本人に植え付けたということです。

そして、マスコミや、教育の左巻き思想が強くなり根付いてしまったということ。

この結果には、アメリカも後々になって後悔することとなったようです。

話が逸れてしまいましたが、日本人には自虐史観が知らぬうちに植え付けられたようです。

会社をクビにしたい社員がいれば窓際が一番

日本には「窓際族」というものがいます。

最近の若い人は、知らない人がいるかもしれません。

窓際族(まどぎわぞく)とは、日本の企業や団体の職場において閑職に追いやられた、主に中高年の社員・職員を指す言葉。

1977年6月(安定成長期で円高不況時)の北海道新聞のコラムでラインの管理職から外れて仕事も与えられず窓際に追いやられた中高年層がデスクで新聞を読んだり、外を眺めては時間を潰すという光景を『窓際おじさん』という言葉で載せた。

また1978年の1月に、日本経済新聞が新年連載「ニッポン・生きる条件」で、OLの雑談中にあった言葉として窓際族を紹介している。

高度経済成長期に終身雇用制が定着すると、能力や人間関係などの理由から年齢に応じた適切なポストを社内に用意できない社員であっても定年まで雇用を続けざるをえないため、大きな会社ほど名ばかりの肩書を与えて実質的な仕事をさせない社員を抱えるようになった。

窓際は一見すると管理職の席のようだが、実際には西日の入る悪環境であり、体のよい厄介払いであった。

1990年代頃(バブル崩壊による失われた20年)から成果主義の台頭によって終身雇用制が崩れると、窓際に安住することも許されなくなり、社内いじめともなりかねない追い出し部屋での暗黙の退職勧奨も行われるようになった。

窓際族 – wikipediaより引用

簡単に言うと、辞めてほしい社員に給料は払うが仕事をさせないということですね。

これは、一見「何もしなくても給料が貰えてラッキー」なんて思う人もいますが、実際にやられた人は徐々に心が蝕まれていきます。

上にも書いた、「ダメな人間」「必要とされていない人間」という烙印を周りからも自分からも押し付けているからです。

ちなみに、窓際族とは外国では存在しないと友人との会話で話題になりました

引用にもあるとおり、これらは、終身雇用の副産物です。

しかし、外国などでは必要としない社員をのんびり置いておくことなんてありません。

即刻クビになります。

さて、終身雇用が崩壊しつつある昨今の日本であり、窓際族なんて言葉はあまり聞かなくなりました。

しかし、そうはいっても、正社員であれば社員を簡単にクビにすることは出来ません。

では、どうすれば辞めてくれるか?

それはやはり仕事を与えなければいいのです。

そうすれば社員が自己都合で勝手に辞めてくれるからです。

仕事が出来ないなら自業自得だ!という人もいるかと思いますが、それは、また別の話です。

このように自虐で退職した場合、次の転職や職場でも悪い影響が自分に残ることでしょう。

自虐に陥るぐらいなら、図太く図々しく振舞ったほうが、まだマシです。

自虐は美徳ではない

前文にも書いたとおり、自らを反省する精神は、日本人の「美徳」かもしれません。

しかし、自らを虐める自虐は、違います。

反省からは成長を促せますが、自虐からは何も生まれません。

自ら好きで自虐に陥る人はきっといません。

それだけ辛いことがあったのかもしれません。

しかし自虐が進むと、精神が病み、今度は他者への攻撃が始まる場合もあります。

自虐とはそういった精神の病、いわゆる「うつ病」の第一歩となります。

  • 「自分が我慢すれば・・・」
  • 「自分さえ居なければ・・・」

このように思うのも、自虐の一種じゃないでしょうか?

最後に

ボク自身も、昔は、よく自虐に陥ることがありました。

わかっちゃいるけど、難しいということもよくわかります。

では、自虐の反対は何か? と考えると「自分に自信を持つこと」と捉えがちですが、きっとそれは両極端なんではないでしょうか?

自信は「経験」と「日々の努力」で培われていくものだと思います。

「自信を持て」なんて言われるのは、「今までの努力を思い出せ」ということでしょう。

だから「自虐ではなく自分に自信を持たなきゃ」なんて思うのではなく、単に「自分自身を悪く思うのは止めよう」で良いと思います。

難しいのかなぁ…って、そんなことを考えさせられた友人との会話でした。

コーヒーを飲み終えて、その後、ひとりで近くを健康のことも兼ねてブラブラ散歩。

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いろいろと考えさせられた一日でした。

さて、明日もがんばりますか。

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