さて、無事に宮古島ツアーも終わりました。
子どもの教育において、口うるさく、口厳しくするときがあります。
それはやむを得ない場合が多いとは思いますが、大人の都合でそうなる場合も多々あります。
それは、それで、仕方のないことでしょう。
しかし良くないのは、大人の行動がそれに伴わないことではないでしょうか?
子供は親の言うことを理解するのではなく大人の行動を見て理解する
このブログでも同じようなことは、しょっちゅう書いています。
子どもを教育するのはとても大事なことです。
躾 (しつけ)は、しっかりしないといけません。
常識を子どもに教えるのは、当たり前。
尚且、悪さをしたら、叱ったりひっぱたいたりするのも当たり前。
子どもなりに、一生懸命に頑張れれば、褒めるのも当たり前。
結局、当たり前のことを淡々とするだけなのではないでしょうか?
教育なんて、きっとそんなもんじゃないですかね?
但し、大人自身の言動が伴わなければ、効果は半減どころか全くの無意味だったりします。
むしろ、逆効果となる可能性も大きくあります。
子どもが自発的に行動するとき、それは自らが納得しているときです。
なぜ、それをしなければいけないのでしょうか?
なぜ、それをした方がいいのか?
なぜ、それをしてはいけないのか?
理屈では理解はしていないかもしれないけれど、自然とわかるようになっているのです。
それが、良心であり、道徳心であるからです。
こういったことは、理屈では伝わらないことがあります。
命令や、押し付けでは、まず伝わりません。
子供自身が「見て」「感じて」なんとなく伝わります。
それに、プラスアルファで「言葉」で伝えるのです。
だから言葉だけが先行して「さぁ、理解しなさい」なんて無理です。
アホ言うな…ってお話です。
言動が伴わず言葉だけで子どもが言うことを聞いているとしたら、言うことを聞くだろうと思ったら、それは、子どもが諦めているか、または反抗しても無駄と思っているか、怒られたくないという萎縮の場合が多くあるのではないでしょうか?
諦めている子ども、無駄だと思っている子どもなんていないと思っていませんか?
そのような大人は、子どもの表面しか見ていない場合があるので、大人の言うことを聞く「良い子」に映っていることかもしれません。いや、まさに映っていることでしょう。
そもそも、子どもの教育なんて、直ぐ効果が表れるものではないと思っています。
ある意味、10年計画や、20年計画、なんじゃないでしょうか?
しかし、人はついつい目の前の即効性を求めてしまいます。
これは、ビジネスにおいても同じことがいえると思います。
それはしょうがないかもしれないし、ボクも偉そうに人のことは言えません。
だけど、このようなこと(行動が伴っているか?)を日々振り返り、自分を見直しすることも大事です。
子どもは、大人の言葉で理解するというよりは、大人の言動により、子ども自身が感じて理解しなくてはいけないと思うのです。
いかがでしたでしょうか?
このような記事の内容は、ボクも日々葛藤していることです。
子どもの教育と言いつつ、しょせんは、自分自身との葛藤だったりするんです。
自問です。
そんなもんじゃないでしょうか?
さて、明日もがんばりますか。
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