自己肯定感という言葉があるじゃないですか?
これって、ロールプレイングゲームじゃない?って思ったりするんですよね。
これ、誰もが無意識に参加しているような気がするんですよね?
ま、参加しているのはいいんですが、実際に、どのくらい進んでますでしょうか?
このゲーム、やり始めるとあまりの難しさに諦めたくなるわけです。
- 「自己肯定感って分かるようで、結局の所はなんだかよくわからない」
- 「そもそも自己肯定感なんてないんじゃないか?」
- 「具体的に何をどうすれば自己肯定感が高まるのかわからない」
- 「正直な所、自己肯定感についてはもう考えるの疲れた」
- 「自己肯定感を持てない自分はダメな人間だ…」
こんな感じになってはいませんか?
分かります。
自己肯定感ゲーム、自己肯定感ファンタジー、自己肯定感クエストって考えてみたら、難易度鬼ですよね。
ちなみに、ドラクエより、ファイナルファンタジーよりも難しいんじゃないか…って思ったりもします。
分かるような分からないようなものを、分かるような分からないような方法でゲットして、未知の状態に変容を遂げろ…って、マジでなかなか鬼レベルな話です。
この状況で「よーーし!!!!自己肯定感ゲットしちゃうぞーーー!!!!」と思える人って、そもそも自己肯定感の低さに悩んでないんじゃない?って思いますし、ポケモン的な軽い感じで考えれる人なんじゃないでしょうか?
どんなときでも「楽しい」が当たり前の毎日
今、ボクは、毎日が楽しいです。
ボクにとって、「楽しい」が普通の状態です。
ボクからしてみれば「楽しくない」は、異常事態なんです。
ボクの中で「しなければならない」ことはなく、「やりたいこと」か、「やること」しかないんです。
新しい環境にも、ワクワクしながら飛び込んでいきます。
もちろん、人間ですから辛い事や悲しい事はありますが、辛さ・悲しさに入り込んで落ち込みまくる…という事にはなりません。
辛い事や、悲しい事は、当然ありますよ。
でも、それはそれとして、他の事で笑ったりしながら、解決方法を見つけ出して、すぐにまた「楽しいのが当たり前の日常」へ戻ることができます。
メンタルが、スペランカーだった日々
じゃあ、ボクがずっとこんな風だったかというと、そんな事はないんです。
ボク自身がこんな風になっていったのはせいぜいこの一年くらいの話です。
18歳の頃に精神を病んでから、15年くらいはメンタルがスペランカーだったのです。
スペランカーってどういう意味ってなると思うんです。
スペランカー(英:Spelunker)とは、
引用:https://dic.nicovideo.jp/a/スペランカー
- 「“無謀な”洞窟探検家」を意味する名詞。対義語は「ケイバー(英:caver)」。
- コンシューマやアーケードで開発・発売されたアクションゲーム。
- 上記のゲームのファミリーコンピュータ版に由来した虚弱体質の人の呼称。
ボク自身、ひきこもりも経験していますし、摂食障害も経験しました。
自分で起業して働き出してからも、過呼吸が出て倒れたこともありました。
投げやりに生きていたので、車の運転も荒かったし、身体のケアも疎かでした。
虫歯とか、あまり気にしていなかったですし、酷かったわけです。
なんかあるたびに、後から「あの時、ああすればよかった。あの人に、こう言ってやればよかった」とエンドレスで考え続ける。
すぐに傷ついていたし、自分を傷つけた(と思っていた)人の不幸を望んだりもしました。
要するに、過去のボク自身は、自己肯定感激低だったのです。
別にその状態がダメって訳ではないですよ。
ただ、ボクはその状態を脱したかった。
難易度鬼の自己肯定感クエストのクリアの可能性はあるのだろうか?
とにかく生き苦しかった、生き辛かったは、自己肯定感クエストのプレイを始めました。
が、まず、自己肯定感からしてよく分からないわけです。
言葉自体は簡単ですよね。
自己肯定感って前からよくブログでも書いています。
自己を肯定する感覚。
でも、「あー!あの感覚のことね!」とピンとこない。全くこない。
もちろん「あー!あの人は自己肯定感が高そう!」という人も思い当たらない。
じゃあ、どうやったら高めていけるんだ、ということで調べると、
- 「ありのままの自分を認めましょう」
- 「どんな自分も責めないようにしましょう」
- 「自分で全部抱え込まず、適切に人に頼るようにしましょう」
- 「自分を大切に扱ってあげましょう」
これまた、言葉の意味は分かるが、具体的に何をどうしたらいいか分からないのが普通です。
更に、人によって自己肯定感の定義が違うのも厄介なわけです。
- 「自己肯定感があれば、ありのままの自分を認めることができます」
- 「自己肯定感があれば、どんな自分も否定しません」
- 「自己肯定感があれば、自分の事を大切に扱えます」
- 「自己肯定感があれば、適切に人を頼ることができます」
- 「自己肯定感があれば、自分で自分の機嫌を取ることができます」
ボクは、以前から調べているんですが、調べれば調べるほど、自己肯定感が分からなくなっていきました。
自己肯定感を高めようとしていたはずの自分自身。
- 「自己肯定感が分からない自分はダメだ」
- 「どうせ自分は自己肯定感なんか持てない」
こういう自己否定におちいっていました。
壁は乗り越えられる人の前にしか現れない
今のボクから、当時のボクに何か言うとすれば「壁は乗り越えられる人の前にしか現れない」って言葉かもしれません。
カッコイイーーー!!!!!!って思うかもしれませんが、実はイチローの名言ですけどね。
- 「自分は自己肯定感が低い」
- 「自己肯定感を高めよう」
- 「でも、自己肯定感が分からない…」
これは、「自己肯定感の獲得に失敗している」のではないのです。
実は「自分に足りないものを認識して、自分で目標を立て、目標達成できていない現実を認識している」のです。
「自己肯定感が分からない」「自己肯定感が高められない」という壁は、乗り越えられるから出現しているんです。
その壁を乗り越えられない人は、そもそも「自己肯定感が低い」という自己認識をしないし、「自己肯定感を高めたい」と思わないし、「自分には自己肯定感が分からない」という事を認められないのです。
あなたが自己肯定感クエストをクリアできない理由はなぜだろう?
それは、ヒントがほぼゼロの自己肯定感クエストの難易度が狂ってるんじゃないでしょうか?
ただ、それだけのことです。
自己肯定感攻略法をこのブログを通して共有してみたい
今のボクは、基本自己肯定感が高いです。
その状態で、心から感じる事を大事にしています。
それは、人間、自己肯定感が高い状態がデフォルトということです。
人間の心のシステムは、自己肯定感が低くなりやすく高まりにくいのです。
今のような社会の出現を想定していないんです。
つまり、自己肯定感クエストはバグで発生しているのです。
だから、難易度も狂ってるんじゃないでしょうか?
自己肯定感クエストは人生ゲームの一クエストでしかありません。
それなのに、ゲーム序盤のクエストの難易度が鬼って普通に考えて、なんで?ってなると思うんです。
ボクなんか、意識的にプレイし始めてからクリアするのに20年ですよ。
遅いよねーーーーー!!!
狂ってるよねーーーー!!!!
ボクは、そんなアホな状況を少しでもどうにかしたかったわけです。
そして、ボクは、自分が自己肯定感を得てきたプロセスを体系だてて説明することができます。
自己肯定感を高める実践的な方法を説明できます。
じゃあ、考えていくところでアウトプット、もしくは共有しないという手はないだろう…と思ったのです。
何故、自己肯定感を“攻略”するのか?
ボクが自己肯定感について、以前から書いているのに、敢えて、改めて今日書いたのには理由があります。
自己肯定感を理解しただけでは、自己肯定感は高まらないからです。
例えば、
- ゲームを買って、行き詰まった。
- 本やネットで攻略情報を探して、読む。
- 攻略法を理解する。
それでゲームはクリアできますか?
攻略法を理解して、そこからあなたがゲームを進めなければ、ゲームはクリアできないのです。
攻略法はシェアすることができる。
しかし、自分の自己肯定感クエストを攻略できるのは自分自身だけなのです。
誰もが自己肯定感クエストを攻略できる
ボクは、断言したいと思います。
誰もが、自己肯定感クエストを攻略できると思うんです。
根拠はありません。
舐めてんのかって感じですか?(笑)
では、あなたが根拠をもって「自分にはできる」と考えるとき、その根拠は何からできているのでしょうか。
過去の経験です。
過去のあの時できたから、自分にはできる。
今できるから、自分にはできる。
根拠を探していたら、未経験の目標は達成できないんです
人は、今まで経験した事のないことを達成しようとした時、根拠なんて持ち得ないんです。
ただ「できる」と信じることだけです。
根拠を投げ捨てて「できる」と信じた人間が、未知の目標への一歩を踏み出せるのです。
そして、ボクは全ての人が自己肯定感クエストをクリアする事ができると信じています。
自分自身を信じてください。
全ては、そこからではないでしょうか?
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