多くの人は「自己肯定感は高めるほうがよい」と勘違いしているんじゃないでしょうか?

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日曜日、いかがお過ごしでしょうか?

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最近、書籍やメディア、周囲でよく取り上げられるようになった「自己肯定感」という言葉。

その多くが、自己肯定感が低いといかに生きづらいかを説き、なんとかして自己肯定感を高めるためのノウハウを伝授するといった内容だと思うんです。

じゃあ、自己肯定感は、本当に高めなければいけないの?ってなります。

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ボクは、いろんなことを調べたり、考えたり、答えを探してみたんです。

でも、最終的に出た答え。

「知らんけど」

これしかありませんでした。

自己肯定感は高めるべきである。

なんとしても自己肯定感を高めないといけない。

そうした幻想が世の中に広まってきたせいで、自己肯定感を高めなければといったプレッシャーを感じながらも、自分は自己肯定感が低いと悩み苦しむ人が増えているのではないでしょうか?

最近、どうもそのような構図がみられるように思います。

実際のところ、日本人であからさまに自己肯定感が高いと胸を張れる人が、いったいどれだけいるでしょうか?

ボクは見たことがない。

あっ、強いて言うなら麻生太郎さんぐらいでしょうか?

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この人は、ミスター自己肯定感じゃない?って思うぐらい意識が高いし、本当に忖度がない会話だったと思うんです。

おどろくかもしれませんが、実は、強烈に自己主張し、自分を押し出していかないと生き抜いていけないアメリカ社会でも、1970年代以降に、自尊感情(自己肯定感)を高めようという運動がさかんになってから、抑うつ、不安といった問題兆候が、よりいっそう目立つようになってきたとの歴史があったのです。

その後、そうした流れについての反省を踏まえることで、多少の改善がみられているとの報告もあります。一方、日本の現状は、そのアメリカよりも一周遅れて、さらに言えば文化の違いを踏まえずに、まさに自己肯定感を高めないといけないといった信仰のような強い思い込みにより、多くの人たちが苦しんでいるように思えるのです。

ま、テクノロジー以外の部分は、今でも、日本はアメリカの10年遅れと言われている象徴が、まだあるというわけです。

ここまでくると「欧米か?」ってツッコミをいれたくなるわけです

そんな風潮に流されて、どうするんでしょうか?

誰かが、どうだのこうだの言ったが自分の人生が豊かになるわけではない。

自分の人生は、自分の人生。

本を書いたからといって、ふんぞり返ってイナバウアーしている先生とは違うわけです。

出版の話をすれば、今ではお金を支払いすれば、誰でも出せる時代です。

しかも、電子書籍にいたっては、無料で自分自身でリリースできる時代です。

ほとんどが、ある種の勘違いなのかもしれません。

自己肯定感と自己満足を混同していないでしょうか?

ここでとくに着目したいのは「向上心」という言葉です。

今以上の自分になりたいという気持ちです。

人からみて、十分な実力や実績があるのに自己肯定感が低い場合、本人がもっと高いところに自己評価の基準を置いているということが考えられます。

一方、人からみて実力からしても実績からしても自分の不十分さを感じてもよいはずなのに、なぜか自己肯定感が高いという場合、本人の自分に対する要求水準が低いということが考えられます。

つまり、向上心が強い人の場合、自分に厳しい基準を課し、自分の現状に満足しないため、自己肯定感がそこまで高くならないということがあるのでしょう。

逆に、向上心が低い人の場合、自分に求める基準が低いため、自分の現状に満足し、自己肯定感が高くなっているということもあると言えるのではないでしょうか?

たえず自己肯定し、楽観的かつ積極的にみえる欧米人と違って、私たち日本人は何かと不安になりがちですが、日本人の仕事の着実さは不安の強さがもたらしているといってもよいのではないでしょうか?

そんなことを思った日曜日。

ちょっと長くなったので、続きは次回にします。

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