昨日「自己肯定感を高めるほうがよい」と勘違いをしているんじゃないか?というブログをアップしました。
意外な反響で、各方面からいろいろなご意見をいただきました。
日本では成功者でさえ自己肯定感は高くないと思う
自己肯定感の低さに悩む人は、どうしたらいいのでしょうか?
ここで目を向けたいのが、世間で活躍している人たちでさえ、自己肯定感が明らかに高いわけではない、ということを先日、とある経営者とのお話で話題になりました。
自己肯定感の低さに悩む人たちは、「(何らかの点で)うまくいっている人は自己肯定感が高いもの」と思い込んでいます。
仕事でも人間関係でも、うまくこなしている周囲の人たちはみんな自己肯定感が高いのだと思い、極端な場合は「こんなに自己肯定感が低いのは自分だけだ」と落ち込む。しかし、それは大きな勘違いです。
世にいう成功者、たとえば分かりやすいのは著名なアスリートだが、そうした成功者たちは、「自分はすごい」「自分に満足」というように自己肯定をしているかといえば、決してそんなことはないのではないでしょうか?
何かの大会で優勝した個人や優勝チームの主将のインタビュー場面を思い出してみましょう
ボクたち日本人の多くは、ほとんど自画自賛するようなことはなく、「今回は、たまたまコンディションがよくて、結果としてうまくいきましたけど、自分なりの課題も見えてきたので、そこを克服するように頑張っていきたいと思います」というように、謙虚な姿勢を示し、運が良かったということを口にしたり、今後の課題を口にしたりするものです。
「どうなるか、不安はあったんですけど、とにかく全力を尽くそうと思って臨みました」などと、不安だった心の内を吐露する人もいます。
多くの国民が注目するヒーローインタビューを受けているトップアスリートでさえ、とても謙虚な姿勢を見せ、自己肯定感の高さをあからさまに示すようなことはないのです。
ダメな自分を認めると、自己肯定感は自然に高まる
告白すると、ボクは、まさにその「自分を過大評価している人間」そのものだったんです。
自分が大人物だと思い込み、将来もそうなると、固く信じていました。
自分は、もっと意味のある生産的な仕事をする人間であり、他人と同じようにあくせくする人間ではないと思っていました。
なんなら、自分だけは老いも死にもしないだろうと、ありえないことまで考えていたんです。
ところが、現実はそうじゃなかったんですね。
自分に与えられた仕事は、たいした意味もなく、ただお金を稼ぐためのものでした。
さらにはそのお金だって、世間一般ほどに稼ぐこともできず、不満だけがつのったのです。
毎日苦しいのに、幻想の自分の姿には一歩も近づけず、やるせなく、焦り、いつだって満たされない気分でした。
そして、ようやく今、自分が存在しているのはただ生まれたからで、特別な理由があるわけではないことに気づいたのです。
自分はたいした人間ではなく、平凡でちょっと不器用な存在であるということ
幻想の姿とはかけ離れていることを悟ったんですね。
そして、自尊感は、地に落ちたと思っていました。
しかし・・・です。
ダメな自分を認めてから、逆に自尊感が向上しました。
実際に、そこを境に少しずつポジティブ人間になれました。
小さなことにも感謝でき、仕事や人生に大きな意味を見出そうとしなくなりました。
生きていて初めて、幸せな気分を感じたのもこの頃だったと思うんです。
なぜでしょう?
状況は変わらないのに、こんなに幸せでもいいのかなってくらいに、生まれて初めての不慣れな感情に戸惑ったんです。
自分が何者でもないと認めてから自尊感が普通レベルに向上したというのだから、人生とはやはり皮肉なものです。
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