さて、京都に来ています。

なぜ、Facebookはストレスになるのか?
Facebookをやめると、幸福度が上がるという研究結果も出て、けっこう話題になっていました。
Facebookを1週間やめるだけで人々の幸福度はアップする――そんな研究レポートが発表された。
Facebookを1週間やめるだけで、人々の感じる幸福度はアップする――そんな調査結果をデンマークの「幸福度研究所」(Happiness Research Institute)がこのほど発表した。
「Facebook体験」と題するこのレポート(PDF)で、デンマーク在住の男女1095人に対する実験結果をまとめた。デンマークではFacebookが国民的なSNSとして浸透しており、被験者のうち94%が毎日チェックし、78%が毎日30分以上閲覧、69%が日常的に写真などを投稿しているという。
実験では、被験者をランダムに2つのグループに分け、片方のグループだけにFacebookの利用を1週間中止させた。すると、実験前は2つのグループのアンケート結果に差はほとんどなかったものの、最終日には「幸福だ」と答えた人の割合が、Facebookをやめたグループ(88%)が使い続けたグループ(81%)を7ポイント上回る結果になったという。
また「人生を楽しんでいる」という回答の割合は84%対75%、「悲しい気分だ」と答えた人の割合は22%対34%と、いずれもFacebookをやめたグループの方が幸福という結果になった。
レポートではこのほか、「Facebookユーザは55%がストレスを感じている」「3人に1人は『#HAPPY』タグがついた他人の投稿に嫉妬を感じている」「39%以上は友人より幸福ではないと感じている」――などのショッキングな数字が並んでいる。
ボク自身もFacebookについての記事を書いていたりします


実際やめるとすっきりするのだけれど、なぜFacebookがストレスになるのか考えたことがなかったので、ストレスになりうる要因を考察してみたいです。
1.自分の投稿に反応がないってこと
たまに「SNSだけど自分の備忘録として更新している」という人もいるけれど、公開範囲を“自分のみ”に設定していない以外は、やっぱり人に見てもらいたいから投稿しているのだと思うです。
人に見られたいということは、その投稿に対してのリアクションが何かしら欲しいということだ。そういう気持ちがある中で投稿した内容に対して、だれも反応してくれていなかったら、そりゃストレスになるだろうと思うんですよね。
どこで見た情報か忘れてしまったけれど、友達のフィードに自分の投稿が表示されるのは、友達の数の10%らしいです。
1000人だったら100人、500人だったら50人・・・という形になるので、いいね!やコメントが無い以前に見られていないという場合もあるのかもしれないけど。
2.自分の持っていないものを、友達が持っているアピールをしてくる
自分だけでなく、友達もまた「人に見られたい」「リアクションが何かしら欲しい」という気持ちで投稿しています。そうなると、ありきたりなことや皆が持っていて当たり前のことを投稿してくる人は少ないでしょう。
そうなると、必然的に友達が投稿してくる内容は自分が持っていないものになるはずです。
それがニュースのリンクとか情報なら「知らなかった。知れてよかった」という感情くらいで済むんです。
でも、それが自分の持っていない物や環境、境遇だったらどうでしょうか?
- 自分より立派な家
- 自分は持っていない高級車
- 自分には忙しくて存在しない充実した休日
- 結婚願望はあるのにまだいない家族・子ども
- 仕事で成功している雰囲気 etc…
普段、人と自分を比較しないタイプの人間でも、流れてくる情報は自分が持っていないものばかりだと、ちょっと気になってしまうのではないでしょうか?
しかも、それが自分に近くて、似ている人間であればあるほど。
まぁ、比較して、嘆いても、意味がないことはわかっていても…と思うんです。

3.いいね!を強要されている気分になっている
自分は大していいね!と思っていなくても、どんどん「いいね!」が増えていく投稿に、“あーここは、いいね!しとかないとかなー”と自分の本心とは異なる社交辞令みたいなものを発動させないといけない時があります。
『めでたいことや素晴らしいことは祝うのが当然だ。祝えない人間は、人として歪んでる。』ってみんな思ってそうだなと考えたりもするんです。
友達カテゴリに属していても、そこまで普段関わりがない人だったり、止むを得ず申請許可した人にハッピーな出来事があっても「いいね!」と心から思ったりしない人間にとっては、「いいね!」がストレスになると思うんです。
リアルな世界だけでなくて、SNSでも社交辞令しないといけないっていうのは人によっては相当疲れることです。
4.とにかく流れてくる情報がつまらない
人間関係を深めるために使っているという場合、情報提供者が知り合いということ以外のメリットがないんです。
知り合い全員が自分にとって有益な情報を流してくれるわけでもなく「行ったよ」「食べたよ」「~したよ」「これ気になる」という個人的な主観の情報が永遠に流れてくるわけです。
仲良くなったばかりなら、その投稿から人となりを知れて、会った時の話題にしやすい。けれど、2年、3年・・・と経ってくると、もう友達がどんなことを投稿するかも検討がついてくるわけです。
そうするともうFacebookから届く情報に嫌気がさしてきてストレスに感じるんでしょうか?
5.仕事をやっている気分になる
会社によっては、Facebookをやることは当たり前。
やらないとダメ…という会社もある。
会社員でなく、経営者やフリーの人間でも名刺代わりにやっとかないといけない感はあります。
仕事がらみでFacebookをやっていると、思いっきりプライベートなことを投稿することはできません。
書くにしても、ある程度調整した上で書くでしょう。
また、仕事関係で必ず投稿しないといけない投稿もあります。
閲覧権限をバッチリ分けている人ならばそこまで悩むこともないだろうけど、混ぜてしまっているとなかなか難しい。だから社会人のSNS疲れと、学生のSNS疲れとは原因が大きく異なるはずなんです。
結局、人間関係が発生しているから

記名性だから発言には責任を持たないといけない…と思うんです。
リアルの人間関係も持ち込まないといけない。
しかも、そこで人に認められたい。
他人は自分と違って良い人生を送っているようだ。
・・・というような感情がストレスを生み出しているのだと思うんです。
深く、そして深刻に考えずに、自分が好きなように使っていれば、Facebookがストレスになることはないと思うんですよね。
ネット上だからとはいえ、人間関係が発生しているから色々考えが生まれてストレスにつながってしまうのでしょうか?
仕事で強制的にやらされている以外は、やめることだって自由です。
自分のストレスになるようならやめてしまって、別の方法で人間関係を構築すればいいと思うのです。
仕事で強制的にやらされてても、その仕事をやめてしまえば、Facebookを続ける必要はなくなるのです。
ツールに振り回されて、ストレスをためてしまうような生き方はもったいないなと思った限りです。
ま、とりあえず感じたのは、そんな感じでして…
ではでは。
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