昨日は、お友達のイベントに参加してきました。
うん、盛り上がってました。
人柄というか、人徳というか…
よく、幸せになるために、夢を叶えるために大切なのはこんなことを言われると思います。
「行動力」とか「まずは行動すること」
この言葉は誰しもが一度は聞くと思うんです。
でも、反感を買うかもしれないと思いながら勇気を出して書くと、
「行動が大事」の神話は、社会に出たときに必要なもので、全てに当てはまるかといわれると少し疑問なところがあります。
人間は、行動して、築き上げて、幸せを感じる生き物です。
だから、先人たちが作ってきた社会(会社組織)の常識の中では、自分から行動!行動!って道を切り拓いていけるタフな人間は確かに評価されます。
ですが、ここで大事なことに気づいたのです
今は時代背景が違うから幸せは同じようには全く比例しない
ということは知っておいた方がいい、と思うんです。
それは、ボク個人的な考えですが、時代、時代によって背負っているものの違いにもよるんですが、「◯◯になるためには行動しなくちゃ」という動機で動くことを行動と捉えていると、実は、自分自身の中の心の隙間にある「寂しい」「不安」というネガティブな感情を一見ポジティブな「行動」っていう代替品で蓋して押し込めているだけになってしまうので、行動によって現実という外見が何か変わっても、心の隙間にはネガティブ感情がくすぶったまま、心の隙間は埋められていないんです。
多分、これは喪黒福造でも無理なんじゃないでしょうか?
また、言葉として具現化できるように体験をたくさんして追記してみようと思います。
結果的に、資格も取った、ブログの読者さんもたくさんいる、facebookの友達もたくさんいる、Twitterでもフォロワーさんがたくさんいる、スケジュール帳はいつも予定で埋まっている、でも、自分の中は全く満たされてない。
そういう「行動至上主義」みたいな迷路にはまって苦しんでいる人が、実はたくさんいるなあって、思っていたりします。
そんなことが続いていると、全文にも書きましたが「幸せがにじみ出る」どころか、
逆に不足感が募っていくので、そのエネルギーと同じものが引き寄せられてくるという逆効果になってしまいます。
多くの人はがんばりやで、やろうと思うと、いくつものことをこなせてしまうからこそ、なんでしょうね?
全く他人事でなくて、ボク自身、行動!行動!って蓋してやってきてしまった過去がありますからね〜。楽しんでやっている分にはいいんですが、楽しいだけではビジネスは成り立たないのが現実です。
そして、思ったことが、これ・・・
行動を積み重ねて、努力して、がんばっている方が、苦しいけど、でもほんとうはラクなんです。
少なくとも周りからは、がんばってるね、って、認めてもらえるから。
いわゆる「常識」って言われている中に、いられる安心感が得られるから。
ですが、ボク個人で思うなら、そこの中にとどまっていると、心からの充足感は、感じられなかったわけです。
勇気を出して、一歩一歩、「行動しない」をあえて選択してきたこと、
それはよっぽど怖かったけど、誰も全く認めてくれないけれど、
「自分が幸せを感じることに少しの妥協もしない、胸を張れる『行動』」
だったんですね。
だから、がんばって何かを獲得してきた自覚のある人には、大批判をされてしまうかもしれないけど、もし以前のボクのような人が他にもいたなら・・・。
一度きりの人生を、本当に自分が幸せに、楽になりたいって思ったら、
「いかに行動しないで誰かにやってもらうか?助けてもらうか?手を抜くか?」
「そっちに対して、がんばる!同じエネルギーを、そちらに使ってください!」
そのときに自分に出せる承認というサインは、周りのどんな人の承認よりも、ものすごく自分自身の味方になってくれると思うのです。
不思議な感覚を文章にまとめようとしたのですが、なかなかまとまりません。
また、続きを書いていこうと思います。
ではでは。
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