今日は、沖縄で面白いことの提案をしにやってきました。
多分、これやったら、マジで面白いことになりそうだな…って思うことです。
さて、話は変わりまして…
赤ちゃんや小さな子供というのは、無垢で純粋という表現をよくしますが、正にそのとおりで、子供というのは何であんなに純粋で自分の思いに真っ直ぐなんでしょうかね。
不思議だなぁ…と、日々感じています。
ボクは、人間性で言えば、大人なんかよりもよっぽど高次な存在だと思っています。
子供の価値観を尊重してあげることってとっても大事なこと
人間というのは持って生まれた性格というものがありますが、生まれたての赤ちゃんは無垢で純粋な存在にとても近いです。
ここで言う無垢で純粋というのは「自我が薄い」「価値観が薄い」という意味で書いています。
次の記事でも少し書こうと思いますが、人間は他者との共存を意識し始めることにより自我が発達していきます。
追記しました
そして、親からの子育てを経て、様々な大人の価値観を植え付けられていきます。
これらは、人間が成長していく過程でどうしても必要不可欠な要素でありながら、それでも必要以上に親の価値観を植え付けて、必要以上に子供の自我を形成していってしまうことも多々あることでしょう。
必要以上と言っても、やはり大人に近づき社会にどんどん進出していけば、嫌なことや思い通りにいかないこと、やりたくないこともやらざるを得ない場面、我慢しなければいけないこともたくさんあります。
綺麗ごとばかり言って育てていても、後で苦労するのは、子供自身であると思ってのことです。
ただそれでも、親としては、親自身の無用な価値観は、出来るだけ子供に植え付けたくありません。
無用な価値観というのは、親自身の固執した考え方という意味です
小さい子供といっても一人の人間であることには変わりません。
生きていく上で必要なことはある程度教えていかなければいけませんが、人それぞれの考え方や感じ方、つまり人それぞれの価値観まで押し付けていないかは注意しなければいけないということです。
- ~はこうでなければいけない
- ~はこうするべきである
- ~はやってはいけない
- ~は良いことである
- ~は悪いことである
ここら辺は正直とても難しいことであります。
親自身だって完璧な人間ではないので、結局は親自身の価値観に当てはめて、ことの良し悪しを子供に教えていかなければいけないわけですから。
それでも、やはり親自身は自分自身を顧みながら、注意しなければいけないと思います。
子供は親の私物でもなければ、親のコピーでもなく、一人の人間として尊重すべき存在ということです。
無垢で純粋な子供を密かに「師匠」と呼ぶ。
無垢で純粋と言いながら、幼稚園児や小学校に上がろうという子供は、ある程度立派に自己が確立されてきて、思いっきり生意気なもんです。
本気でイライラしたり怒ったりすることも当然あります。
これで純粋とか何言ってんねん?
というのも多々多々あります。
それでもやはり大人が身に付けている価値観に比べ、遥かに純粋です。
- 嫌なことにははっきり嫌がり
- 好きなことはいつまでもやっていたい
- 欲しいものは何でも欲しい
- 嫌な出来事にいつまでも囚われない
- 怒られても根に持たない
- 思い通りにいかなくてもすぐ忘れる
- 楽しいことを純粋に楽しむ
- 思ったことはそのまま口にする
- 泣きたいときは泣く
子供が小さければ小さいほど、これらのことを簡単にやってのけます。
幼稚園児や小学生にもなれば徐々にこれらが簡単に出来なくなってきますが、それでも自分の思いを簡単にセーブしたりしないことでしょう。
私はそんな場面の子供を見ると、密かに「師匠」と心の中で呼んだりします。
まぁ、半分はふざけていますが、半分は大真面目です。
とはいっても、この状態のまま大人にならても困るのが現実ですけどね。
そんなことは、当然わかっています。
ただ何が言いたいかというと、上記の状態から徐々に大人につれてセーブされていくにしろ、それが「子供が感じて判断していること」なのか「大人(親)が感じて判断していること」なのかということです。
当たり前ですが、親はこれから子供が歩むであろう道をすでに歩いてきているわけですから、子供が困ったり痛い目にあったりしないように思うのは当然であり、それが子育て教育や親心っていうものです。
それでも子供の人生は子供のものであり、親の人生ではありません。
- こうでなければいけない
- こうするべきである
- これは止めたほうがいい
ここら辺は私の頭ではとても表現が難しいのですが、親として良いこと悪いことを教えていくのは大切ですが、それをどう判断するのかは子供次第ということです。
しかし、何でも子供の言うことを尊重ばかりしていては、わがままでお花畑の世間知らずな大人の出来上がりです。
ですからしつけはとても大切です。
子供に何も言わないで放っておくのと、子供に言うべきことを言って放っておくのとは全然違います。
簡単に言うと、教えるのは親の役目ですが、それをどう判断してどのような付加価値を付けていくのは子供自身の役目であるのではないかということです。
幼い考えながらもそれを見守るのも親の役目です。
親は自身が良かれと思うこと、正しいと思うことははっきり言えば良いのですが、その後の子供の判断や結果に必要以上に固執しないということです。
なんだか難しいですね。
それでも親はこのような考え方を常に持っているべきだと思います。
いかがでしたでしょうか?
このようなことは、自分自身に当てはめたらわかりやすいかもしれません。
ボクは世の中の人間のほとんどが、親や社会から引き継がれた価値観にがんじがらめにされていると思っています。
- こうしなければいけない
- これはやってはいけない
- こうするべきだ
- みんながそうしているから
- それが正しいと言われているから
- それをやったら弾かれるから
- その考えはおかしい
…etc
きっとあるかと思います。
- 「あれ?変だな?」
- 「何でそうしなければいけないんだ?」
- 「何で私はそれを気にしているんだ?」
- 「何を自分はそれに悩んでいるんだ?」
こんな感じだとはいっても、それを親や社会のせいにしても何にもなりません。
また、 そう感じるのであれば、自分自身でその価値観を破るしかないのです。
ただ、もし自分がこのようなことを感じることがあるのであれば、自分のその価値観を疑ってみるのも良いかもしれません。
そして自分が知らず知らずのうちに植え付けられた価値観があれば、今度はそれを子供に植え付けないようにするのが大人の役目ではないでしょうか?
そんなことを感じた一日でした。
さて、明日もがんばりますか。
コメント