今日は打ち合わせで移動してました。
ほんとうに、いろいろ冷静に見ていると面白いことが発見できます。
気分は、野鳥の会の人ならぬ、世間を眺めている会の人。
本当に、いろいろな地域を回ってきたからか、県民性や、自分の元々もっている性質なんかと比べてみたり、考えてみたりすると楽しいわけです。
さて、人は一人では生きていけないとはよく言われる言葉ですが、その言葉には「人と人が支えあって生きていく」という意味もあれば、「生きていく上では否が応でも人と接しなければならない」という意味もあります。
問題は、人と接することによりマイナス要素を生み出してしまうことです。
人に対して関心を持つ人と無関心な人
タイトルに「無関心のすすめ」なんて書いていますが、人に対して無関心であるべきだということではありません。
ただ、そういう考え方もあるし、そういう生き方もいいんでない?ということです。
さて、社会では人と人とのコミュニケーションが成り立って上手くいくものはたくさんあります。
それは、学生の交友関係や生徒と先生の関係、社会人では上司と部下、先輩・後輩に同僚、販売者とお客様、親と子や夫婦に兄弟などといった関係です。
そういった関係に対し、その人に対して無関心というと、相手の人に関心を持たない、つまりどうでも良い存在という意識を持っていると、やはりお互い良い関係は築けません。
相手の人だって、自分に対して無関心でいる人を好むことは少ないと思います。
ある程度、または最低限の関係は築けないと、良い結果に結びつけることも困難になってきます。
人に対して無関心であるということは、相手の人の考えや思いなど当然無関心ですから、相手から何かしらを得る機会というのは極端に減ってきます。
では、逆に、人に対して積極的に関心を持つ人はどうかというと、当然ながら無関心である人よりも多くの情報が得られます。
それは相手との単なるコミュニケーションでも、その中で相手の考え方や要求、様々な知識などが得られ、そこから相手の立場に立ったアクションも臨機応変に起こすことが出来ます。
もちろん人への関心度やコミュニケーションだけで、様々なことが成り立つわけではありませんが、少なくとも無関心の人よりは多くの引き出しを得ることが出来ます。
人に対して無関心でいられないための苦労
さて、そんな人に対して無関心か否かという一般的な損得の考え方や、人生を楽しく謳歌するための考え方もありますが、人は人に対して無関心でいられないために苦労することも多々あるかと思います。
それは、
- 人の目を気にすること
- 隣の芝を青く見てしまうこと
- 自分の考えを押し付けること
- 承認欲求を出すこと
こういったことも、人に対して無関心でいられないからこそ、相手の反応を気にしてしまったり、相手に必要以上に自己都合を押し付けてしまったりすることがあります。
例えば、一々自分の言動に対して相手の反応や顔色を気にしたり、自分の求める反応を相手がしてくれないと嫌な気分になったり、自分の考えや行動の結果を必要以上に求めたりなど。
せっかく人のためにやさしくしたり、良かれと思ってやったことでも、相手の反応が自分の思うような反応でなければ気になってしまう。
このような人は、対人関係で悩んだり、仕事のことで悩んだり、ついついイライラしてしまったりします。
- いちいち気にします
- いちいち悩みます
- 器用に毎度悩みを作ります
- 勉強や仕事、日々の生活を疎かにしながら、貴重な時間を費やします
ボクも、人のことは言えないんですけどね。
そんな人は、明るく積極的に人と関わりあえる人のことが、 きっと羨ましいことでしょう。
で、自分も同じように人と接したりしても、なぜか悩みや苦労がつきまとう。
ジレンマですね。
そんな人はですね、もういっそのこと、人に対して無関心になってしまえば良いんです。
人に対して無関心になってみる
人に対して無関心になるといっても、 何もかも無関心であっては社会で生き残れません。
相手へのやさしさや思いやりは当然大切だと思いますし、仕事であれば上司やクライアントの要求を考えるのも仕事の一つです。
でも、相手の反応に関しては無関心で良いということです。
例え、相手の反応が自分の求める反応でなかったとします。
- 「あれ?違うの?」
- 「じゃあ、次はこうしてみるか!」
- 「出来ることはしたからまいっか!」
- 「知らんし!」
- 「どうでもいいわ!」
- 「しらんけど!!!」
ここでいう無関心は、過去の事象はもう放っておけということです。
相手の反応に対して、傷ついたり落ち込んだりしても、その結果はもう一瞬で過去の出来事になります。
過去の出来事に対して、そこまで人に関心を寄せる必要はありません。
もう無関心です。
友達の言動をいちいち気にする必要はありません。
縁があれば関係は継続するし、縁がなければ切れるだけです。
上司やお客様の顔色を必要以上に気にすることはありません。
怒られてもどうでも良いし、嫌味を言われてもどうでも良いし、無反応でもどうでも良いです。
自分なりに、良かれと思ってしたことであれば、OKです。
ただ仕事であれば、結果にコミットは必要ですから、反省というか見直すことは必要でしょう。
学校にしろ会社にしろ、一人ボッチでも気にする必要はありません。
人は人と接することによって腹がふくれるわけでもないし、単に人と接することによってお金がチャリンと入ってくるわけではありません。
このように、ここでいう人に対して無関心になるということは、余計なことに時間や心を奪われないで、本来の目の前のやるべきことに集中できるということです。
もっと、目の前のことに集中しましょうということです。
対人関係に対して悩む人というのは、得てして目の前のやるべきことが疎かになっている傾向があるかと思います。
仕事で悩む人は、意外と仕事のことよりも上司や同僚の目を気にして悩んでいます。
対人関係で悩む人は、自分の生活活動よりも表面的な相手の反応に悩んでいます。
ですので、必要以上に対人関係で悩む人というのは、もう人に対して無関心になれば良いのです。
逆に人間関係がスッキリして、代わりに楽しいことが増えるかもしれませんよ。
いかがでしたでしょうか?
ボクも大して意識してではありませんが、人に対してだいぶ無関心になってきました。
良い意味でです。
仕事でも上司やクライアントの反応はいちいち気にしません。
やるべきことを淡々とこなすだけです。
まぁ、それでも必要以上に気にしてしまうことはありますけれど…
会社の飲み会だって、社長からのゴルフのお誘いだって、行く気がなければ断ります。
周りがみんな残業をしていても、一緒になって自分もやるべきと思わなければ、定時でとっとと帰ります。
それで評価が下がるのであれば、それはそれで良いし、良くないと思えば変えるかもしれないし、そもでも仕事なんてやるべきこと(人との最低限のコミュニケーションも含む)をやっていれば、自然と信頼も得られるものです。
人に対して無関心になるというのは、年齢や経験なども関係してくるとは思います。
いずれにせよ、人に対して無関心というのも、考え方によっては結構良いものではないでしょうか?
そんなことを感じた一日でした。
さて、明日もがんばりますか。
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