故事成語「馬耳東風」の意味、人の言葉を無用に気にしないようにするにはどうするのがいいのか?

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故事成語「馬耳東風」を知っているでしょうか?

そもそも、何て読めばいいのかも悩みそうですが「ばじとうふう」と読みます。

人が何かに悩んだり囚われたりするのも、この馬耳東風(ばじとうふう)が出来ていないからとも言われていたりします。

馬耳東風(ばじとうふう)の意味とは?

IMG 8736 - 故事成語「馬耳東風」の意味、人の言葉を無用に気にしないようにするにはどうするのがいいのか?
うちのお嬢様は、常に馬耳東風かもしれませんw

「人の意見や批判などを気にもせずに聞き流し、心に咎めないこと」

こういうような意味です。

この故事成語の内容としては、以下の例えで表されています。

以下の例えで表されています。

東からくる春の風が馬の耳元に吹いてきても、馬はその春風に対して何も感じない

馬耳東風とは、馬の耳に東の風という表現がされていますが、「東風」とは春風のことを指しています。

人間であれば、別に耳ではなくても良いのですが、春風が吹いてくればそれを心地よく感じたり、春を感じたりしますが、馬はそんなことを気にすることなく、春風は過ぎ去っていくということです。

人は馬耳東風が出来ないから思い悩む

馬耳東風(ばじとうふう)とは、人の批判や注意、意見などを気にすることなく聞き流し、心にも留めないと書きましたが、これが出来る人間はどれだけいるでしょうか?

ボクなんかも、凡人の域をなかなか脱せないものですから、なかなか馬耳東風の境地には行けません。

馬耳東風が出来ない人

では、馬耳東風という人の言うことをいちいち真に受けて、聞き流すことが出来ずに思い悩む人とはどのような人でしょうか。

  • 仕事で上司に叱られたことをずっと気にしている
  • 子供に生意気なことを言われたことが許せない
  • 恋人に言われた傷つくことを思い悩む
  • 友達や仲間にバカにされたことをずっと気にする

人の意見や忠告を何もすべて聞き流せというわけでは当然ありません。

人の意見や忠告に対して、気を付けるべきことや反省すべきことと感じたのであれば、それは自分の中で消化して思い改めることも必要です。

しかし、問題は「とりあえず言われたことを気にしてしまう」「なるほどと納得できても消化できない」「反省すべきことがないのに気にしてしまう」といったところでしょうか。

いつもイライラしている人や、いつも思い悩んでいる人や、いつも周りの他人の目ばかりを気にしている人というのは、誰か相手の言うことにいちいち反応してしまい、聞き流したりすることが出来ない人とも言えます。

中には、相手は自分に対してさほど悪意やそこまでの意味合いを含んでいないにもかかわらず、気にしてしまう人もいます。

  • 「あの人は自分の悪口を言ってる!」
  • 「せっかく親切にしてあげたのに!」
  • 「そんな言い方しなくったっていいでしょう!」

相手は普通に言葉を交わしているつもりでも、受け手によっては過剰に悪い方にとってしまうという場合です。

  • 「いちいちそんな怒らなくても…」
  • 「別に批判しているわけではないのに…」
  • 「単に事象を言っただけで別に責めているわけではないのに…」

まぁ相手の言い方もあるかもしれませんが、気にする人というのはものの見事に器用に悪い方へと受け取るものです。

また、本人はいちいち気にすることなく聞き流したいのだけど、ついつい気にして頭から離れないという人もいます。

まさに「馬耳東風」とは、ほど遠いのですが、これでは、やはりしんどいのではないでしょうか?

馬耳東風が出来てる人

逆にこの「馬耳東風」が出来ている人というのは、とても自由に生きているように見えます。

わかりやすく言うと、

  • 図太い人
  • おおらかな人
  • 自分勝手な人
  • 自由な人
  • 器の大きい人

こういったような表現もできる人です。

例えば、仕事などで、上司やお客さんから理不尽に怒られたり注意されたときがあったとします。

そのときの対応で考えてみました。

こんな感じの展開になるのではないでしょうか?

  • 「はい、すみません!」
  • 「おっしゃる通りです!以後気を付けます!」
  • 「(またいつものが始まったわ・・)」
  • 「(はいはい、勝手に私のせいにして下さい)」

…などとしゃあしゃあと言ってのけて、本人は、気にすることなくケロッとしていたりします。

友達や、仲間などから、不本意にバカにされたりからかわれたりしても、本人が気にすることがなければ、笑って相手にしなかったりすることもあるのではないでしょうか?

生意気盛りの子供や、反抗期真っ只中の子供に言われた言葉に対し、いちいちムキになったり、本気で怒ったり気にしたりしていても仕方ないと思うのです。

  • 「はいはい、そうですよね」
  • 「はいはい、ゴハン抜き」

このように相手にせず、気にも留めない様子であったりもあるでしょう。

要は、自分が気にすべきことでなければ、馬耳東風で軽く聞き流せば良いということです。

馬耳東風で気にするのを止める

これは表面上だけ平静を取り繕っても、肝心の心が囚われてしまっていては意味がありません。

見た目だけ気にしないそぶりをしていても、実際にはすごい傷ついていたら意味ないです。

むしろ、逆に見た目は凄い気にしたそぶりをしたり、喜怒哀楽を表現していても、心はそれらに固執することなく、馬耳東風をしていれば良いということです。

馬耳東風で聞き流すというのは、何も相手の話を聞かない、ということではありません。

相手の話を聞いていても、それを聞き流す、受け流すということです。

相手の言うことに反応して、喜怒哀楽を感じるのは良いのですが、自分に入って来たものを流すことができずに、自分の中でせき止めてしまうことが良くないということです。

嫌なこと、傷つくこと、気分が滅入ること、嬉しいこと、楽しいこと、これらをしっかりと受け止めて感じつつも、感じたらそっとまた流すという感じです。

馬耳東風の説明の例で言うと、馬はきっと東風(春の風)は感じたかもしれませんが、いちいちその東風(春の風)に固執することなく、サラッと受け流すということでしょう。

東風(春の風)を感じても、「あぁぁぁ、春の風は心地良いなぁぁぁ」なんて、いちいち気に留めないということです。

実際は知らんけど…

この馬耳東風(ばじとうふう)が出来るようになってくると、それだけ自由を感じることが出来ます。

仕事が思うように成果が出なくても、仕事で失敗ばかりしていても、友達が少なかったり恋人がいなくても、良い意味で自由で楽しく過ごすこともできます。

そうすると雰囲気も良くなるし、堂々とした佇まいでいることも出来て、逆に好印象になることもあります。

簡単に言うと「相手のために自分が居る」のではなく「自分のために自分が居る」ということです。

変な人だと思われようが、バカだと思われようが、自分勝手な人だと思われようが、付き合いづらい人だと思われようが、自分自身が恥じることなく生きていれば、あとは馬耳東風で良いじゃないかということを感じたのでした。

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