自分自身の価値判断、価値観の必要性と自分の価値観を見つけ出す方法について考えてみた

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以前の記事においては、こんなお話をしました。

  • 悩むことと考えることは両方とも大事である。
  • 価値判断(価値観)というものは物事の判断を規定するものである。

ざっくり言うとこんな感じです。

今回は、前回からさらに深堀りしてみます

今回は、ボク自身が価値判断、価値観の基準をどのように探ってきたか?

また、価値判断、価値観の必要性であったり、価値判断、価値観をどのような方法で見つけ出すか? 

というところまで、探求していきたいと思います。

では、先に価値判断(価値観)の必要性について考えていきたいと思います。

先に、今回のような内容を考えたきっかけは、自分が重大な選択に迫られている時に、あたふたとしてしまったからです。

というのも、重大な選択に迫られる前は、決心していたのに、いざ目の前に選択肢が出てくると悩んでしまうという状況になりました。

その経験は自分にとって、少し悔しくて、なんだかダラシないという感覚でした。

また、これをきっかけに日々の生活でも迷って決断に時間がかかることがたくさんあったことにも気づかされました。さらに、特に時間がかかっている部分は方法ではなく、価値観の部分だと気づいたのです。

このような悩みを持っていたり、感じたことがある人はいるでしょう。

僕の経験を言語化することができたら、同じように悩んでいる人にとって助けになるのではないかと思って今回の記事を作成しました。

また、僕自身の思考を整理することも目的です。

自分自身で価値判断の基準を知る必要性

大前提1

当たり前のことですが、人によって対象とする物事の見方は違います。

なぜ違うのかというと、人はそれぞれ、時間・立場・文化的背景・理想像・目的などが違うことによって対象とする物事の見方は違うからです。

というのも、

人である以上は対象とする物事をある特定の視点から見るということ以外できません。

必ずある視点から物事を見ているのです。

例えば、

  • ニュースや新聞などの情報は記者の考え方を通して読者に届けられます。
    逆に、記者の考えを通さずに情報を読者に届けることは不可能です。
    なぜなら記者があるニュースを重要だと判断し、その重要だと判断した情報がマイナス・中立・プラスの意味を持つのか与えるからです。どんなに客観性を持たせようとしても、どうしてもある視点でニュースを見てしまうのです。
  • 科学に関していうと、研究対象として、あるモノを選択しなければいけません。
    いくら科学という研究が価値判断を含まないと考えたとしても、研究対象を選ぶ時点の判断は、価値判断に頼るしかないのです。というのも、研究対象としてこのモノやこの現象が大事だと思うのは、まぎれもなく自分自身・もしくは自分自身の価値判断でしか選択ができないのです。

このような例からでも、人はあらゆる物事に対して、自分自身の価値判断から逃れられないとも言えます。

一方で、共通した価値判断も存在するでしょう。

しかし、そのような価値判断は集団としての価値は生み出しますが、個人としてはあまり価値がありません。

共通した価値観以外の自分にとって重要な価値観を見つけ出すことで初めて、その価値観に価値が出るのです。

そのためには、共通した価値観と自分にとっての価値観というものを分けなければいけません。

大前提2

自分の価値判断について考えて見る前に、他人の価値判断について考えてみましょう。

自分から見た他人の価値判断というものは、行動という結果しか実際には見えません。

いくら他人がああだこうだ言おうが、実際のところは、本心で言っているのか、偽っていってるのか、わかりません。

このような意味で、自分自身が他人の価値判断を完全に理解するということは、不可能だと考えています。

逆に、他人が自分自身の価値判断を完全に理解するということもありません。

こういった状況の中で、自分自身が本当に理解できるのは自分自身の価値判断だけとも言えます。

自分自身のことを真の意味で理解できるのは、自分自身だけなのです。

よって、今回の考える対象は自分自身の価値判断の基準ということです。

ここまでのことを前提に話を進めていくのですが、

このような一般的なことを言っても、今回のテーマでは価値がありません。

以下では、ボクの経験を通して得た、価値判断の基準を知ることの最大のメリットをお伝えしたいと思います。

大切なものが明確にわかるようになる

ここでは世界の人々のため、ある集団のため、とかではなく、自分にとって何が重要で重要でないかを分けることができます。

これは自分自身で考えて出さなければ答えることができません。

自分自身で考えることに意味があるのです。

一方で、世間一般の価値観を自分の価値観として、行動するということもできます。

言葉を変えてみると、世の中には、一定のレベルで共通した価値観があるとも考えられます。

それは周りの人々に作られた価値観、ふわふわとしたなんとなくの価値観とも言えるでしょう。

多くの場合、この世間一般の価値観が自分自身がもっとも大切にしている価値観とは限りません。

そんな世間の価値観に振り回されずに、自分自身の価値観を持つこと、もしくは、価値観を発見することで、初めて自分自身が何を大切にしているかがわかると思っています。

いくつかの選択肢から最善のものを選べる

大切なものがわかるということは、自分自身で様々な選択肢の中から最善の選択ができる可能性を高めるということでもあるでしょう。

自分自身が自分の人生に責任を持とうとする時、大切なものがわかり、いくつかの選択肢の中から、最善のものを選べるということは、自分を成長させる一番のエネルギーになるのではないでしょうか?

自分自身が責任を持った決断と他人任せの決断をでは、物事に対する認識が大いに変わってきます。

他人任せの決断では、当事者意識を持てないために、成長できるタイミングがあっても容易にチャンスを逃します。

逆に、自分自身が責任を持った決断では、当事者意識を持てるので、成長できるタイミングが大いにあり、積極的にチャンスをつかむことができます。

人を集めることができる

自分自身の価値観という哲学(考え方)が形成され、ある程度安定してくると周りの人が協力しやすくなります。

というのも、人は価値判断から自分の行動や言動を決定しています。

よって、その行動や言動からある人がどのように考えているかを予想することができます。

当たり前のことですが、周りの人たちは相手であるボクや、あなたの行動や言動を基に、評価をしているのです。

他方で、安定するを言い換えると、行動や言動に一貫性があるとも言えるのではないでしょうか?

そうなってくると、周りの人たちは信用をしてくれます。

さらに、自分の持っている哲学が他の人にも共感できるものであれば、周りの人の協力を得られる、人が自分に寄ってきてくれるという状況が出来上がってくるでしょう。

しかし、この状況は決して狙ったものではなくて、あくまでも自分の価値観という哲学が結果として、人を集めたという状況にしなくてはいけません。

なぜなら、本当に自分自身が信じていないことをやり続けることはできないからです。

さらに、本当に信じていないことには誰も信じてくれません。

多くの人にとって、自分の価値観を探ることは骨の折れる作業であり、実際に意識して探求することをしている人はとても少ないのです。

僕のように時間があるわけではなく、忙しいために考える時間を取れません。

当人からするとそんなことよりも大事なことがあるように思われることがたくさんあります。

そんな人たちは本当に考える時間がなかったりで、大事なことに気づかず、知らず知らず苦しんだり、前向きに物事に取り組めなかったりします。

多くの人がこんな状況なので、少数派である立場から「実は、本当に大事なことってもっと他のところにあるんじゃないの?」と言った問いを発することによって、多くの人にもっと大事なことがある!と気づかせて、さらに、他人からその問いを発した本人が魅力的に映るのではないでしょうか?

多くの人は、考えて価値観に共感をしているわけではなく、五感を通して感じて共感をしていると思います。

多くの人は行動や言動を見て、聞き、無意識に判断をしているのです。

そうなると、感覚レベルの共感で些細な行動や言動の矛盾から、

嘘には容易に気づいてしまうでしょう。

ということから、本当に自分が自身の価値観を信じていないとの、人々の共感は得られないと考えています。

以上のことから、自分の価値判断を理解し、自分の哲学を形成し、一貫した行動や言動を通して、共感してくれた人が自分のところに集まり、一緒に同じ価値観を表現した世界を作り上げようと協力してくれるはずです。

多くの人が真に協力してくれた時、個人とは比べ物にならないほどのパワーを発揮するのではないかと考えています。

一人で何かを成し遂げるのは、あまりにも難易度が高すぎます。

ここまでの「人を集めることができる」の部分は万人に共感してもらえる内容ではないかもしれませんが、具体的ではないけど、自分があることをしたいと思っている人にとっては、有効な理解の方法ではないかと思っています。

以上が必要性についてです。

どのような方法で自分の価値判断の基準を認知するか?

ボク自身の経験を通して感じていることは、自分の価値判断というものは、実は、潜在的にはわかっているもので、それを様々な物事に触れることを通して、自分が認知できるレベルまで浮き出させる作業だと思っています。

そのためには、自分の過去の決断を振り返る・環境を振り返る・本を読む・人と話すという方法があります。

しかし、以上の方法を通して価値判断の基準を知ることは一朝一夕にできることではありません。多大な時間とエネルギーが必要です。

じっくりと腰を据えて向き合う必要があります。

上記のことを前提に話を進めていくとともに、自分が下した決断という結果の背後には判断材料という原因があると考え、それを見つけ出すという意思が必要です。

簡単に言うと、結果から原因を探るという意思が必要です。

  1. 自分の過去の決断を振り返る
  2. 本を読む
  3. 人と話す
  4. カードを使う

こういう順に書いていきます。

その際、上から順番に試しやすい方法となっていますので、捧げられる時間とエネルギーによって選択をしてください。

1. 自分の過去の決断を振り返る

決断には小さいものから大きいものまであります。

期日が決まっている決断をする時、

大きい決断から考えてみると比較的納得しやすいと思います。

ここでいう大きい決断というのは、自分が認知できる人生を左右するような決断です。

ボクで言えば、こうなります。

  • 小学校の時のバスケットチームの選択
  • 中学校の時のバスケットチームの選択
  • 高校の時の進学先の選択
  • 大学の時の進学先の選択
  • 大学卒業後の進路の選択

このタイミングで人生を左右する決断をしました。

ここまで、大きい決断を洗い出したことはいいのですが、

肝心の価値判断はどのようにすれば見つけ出せるのかを考えていかなければいけません。

この時、重要となるのが結果から原因を探るという意思です。

大きい決断をする前には自分なりに様々な情報収集をしたはずです。

具体的にいうと、人、ネット、本、経験そしてその時の状況(環境)から総合的に判断したはずでしょう。

今の視点から、当時の材料をもとにその決断をなぜしたのかを考えましょう。

そして、理由を書き出してみてください。

この時、自分で否定せずに気軽にいくつも書き出してください。

また、後でどの時の決断の理由かわかるようにタイトルなどを書いておきましょう。

当たり前ですが、

  • 小学校の時
  • 中学校の時
  • 高校の進路

それぞれ様々な理由があるでしょう。

次に、それぞれの理由を様々な分類でまとめてみましょう。

例えば、

  • 自分に関する理由
  • 他人に関する理由
  • 心(精神的)からの理由
  • モノ(物理的)からの理由

などなどでまとめられると思います。

これ以外にも、ポジティブな理由やネガティブな理由などに分類してみてください。

(あくまで例ですので、様々な理由を一定の量で説明できるものであればなんでもいいです。)

すると、不思議ですが、

自分が決断をする時に悩んでいたり、

考えていたことに共通する点が浮かび上がります。

そこから、見つけ出した共通する理由を今度は具体的な理由にしてみましょう。

例えば、

  • 自分に関する理由→将来アメリカで研究者になりたい
  • 他人に関する理由→人々をウィルスから守りたい、家族と一緒にいたい
  • 心(精神的)からの理由→ずっと続けられる仕事を持ちたい
  • モノ(物理的)からの理由→最新の研究設備を使い続けたい

それが一種の自分の価値判断(価値観)となる考え方です。

さらに、以上の手順のように再び分類や理由探しを続けていくと、さらに深い価値判断(価値観)にたどり着くことができます。

また、最初の分類を違う分類の仕方で試してみることでも新しい価値観に気づくことができます。 

ここまでは、大きい決断に関してですが、日々の小さい決断から自分の価値判断を見つけ出すということも可能です。

この点に関しては、カードを使うという方法と非常に似ているので、下記で述べさせていただきます。

では、以上の手順をまとめてみましょう。

  1. 大きな決断をしたことを書き出す
  2. 決断の理由を書き出す
  3. 決断の理由を分類する
  4. 分類した理由を具体化する
  5. 具体化したものを再び分類し、理由をまとめる、もしくは、③の分類方法を変える
  6. 2〜5までを繰り返してみる

すると、今までの決断理由として異なっていた理由も深い部分では共通していると気づくかもしれません。

以上が決断を振り返るという方法です。

2. 本を読む

本には人の考えが書いてあります。

様々な本があるので、興味がある本を読んでいくうちに、共感できるフレーズや著者の考え方に出会うでしょう。

本を利用して、他人の考え方に触れ、その考え方を受け入れたり、拒絶したりしながら、自分の価値観を浮き出させる。

しかし、注意として本はあくまで著者の考え方の重要な点を抜き取ったものであるので、それが読者にそのまま当てはまることはほとんどないでしょう。

そこで本はあくまで著者の価値観を反映したものであって、著者の考え方をそのまま受け入れるのではなく、著者の考え方を自分なりに解釈をする必要があります。

著者の考え方をそのまま受け入れることは他人の言っていることをそのまま信じて、自分が考えたかのように振舞うことと同じです。

しかし、これで著者と同じ考えになると思ったら大間違いです。

著者と同じように経験し、勉強し、何より悩まなければいけません。

結果、著者にとっては内容があるのですが、本当に真似しただけでは内容のあるつもりが、実は空っぽであったりします。

何より、行動は人の考え方から決定されると考えると、

内容のない価値観(思い込み)は、行動できても3日坊主で終わるでしょう。

ここでは、本を読む際の心構えだけに止まらせていただきます。

ちょっとこの部分だけでは書ききれない気がするので、

今後、本の読み方単独で、僕の考え方を書いていきたいと思います。

3. 人と話す

人と話すことも、読書と似ています。

しかし、違うところは読書で表現されない部分についても見たり、触れたり、聞いたりできることではないでしょうか?

人と会話している時、自分以外の人の方がよく見えるということがあります。

自分では気づかなかった行動や言動の指摘をされたり、

ある考え方の裏にある理由を予想されたりして、ハッと気づくことがあると思います。

もしくは、自分が他人を指摘した時に、自分自身が気づくこともあると思います。

そこに自分の気づかなかった価値観が潜んでいるかもしれません。

また、自分とは全く違う性格の人とコミュニケーションをすることで浮かび上がってくる価値観もあるはずです。

食べ物でも食わず嫌いがあるように人間関係でも会ってもいないのに避けていることはありませんか?

そういうところに限って、自分にとってポジティブな材料が隠れています。

試した結果、やっぱり無理とか思うならそういう人とはできる限り会わなくていいと思います。

また、他人と他人を比較することで、見えてくるものがあるでしょう。

ここでは、

他人に指摘をしてもらったり、自分が指摘をしたりして、価値観を探る方法。

他人と自分を比較したり、他人と他人を比較することで価値観を探る方法。

について書きました。

4. カードを使う

ここでいうカードとは、紙切れや小さいメモなど思いついたことをすぐかけるようなものを言います。

やり方は、とても簡単です。

読書の最中、会話の最中、何か情報収集をしている時、考えている時、ふとした時に思いついたアイディアをメモに文章で書いて記録することです。

本当になんでもいいです。

例えば、

・ビジネスのアイディア

・研究のテーマ

・知りたいこと

・仮説

・やり方

・問題

・やりたいこと

・ちょっと気になったこと

などなど

そして、ある程度たまったら、思いついたことを整理して、まとめてください。

これを続けていくと自分が考えている方向性を知ることができます。

この方法は、小さいアイディアをまとめて、共通した特徴や決断の材料にしたものを見つけ出しすことです。

実は、この方法はとても汎用性が高いので、自分の価値観を探る以外にも使えます。

今後、時間がある時に書いていこうと思います。

ただし、難点としては書くだけでなく、自分で書いたものをまとめることが非常に面倒なことです。

それでも自分のアイディアの方向性、考え方の特徴を知るという意味では非常に価値のある方法だと思います。

いかがでしたでしょうか?

以上の内容は、ボクが考える価値判断(価値観)の必要性と自分の価値観を見つけ出す方法についてです。

方法論については、時間がある時にもっと詳しく書けると思っています。

今回は、自分の思考の整理のために書き出しましたので、単語が統一されていなかったり、論理的に納得できない部分もあるかと思います。

その点については指摘していただけると助かります。

今回の文章では伝えきれませんでしたが、価値観に対しての認識として考えられることは、

・価値判断(価値観)は変化するもの

・時間がないと考えられない

・価値観を整理すると日々の決断や行動に一貫性が出る

というものがあります。

価値判断(価値観)は、自分が今いる役職や環境などの影響を大きく受けます。

よって、時間が立てば役職や環境は変化するので、価値観にも変化が生じると考えてます。

また、ここまでの価値観に対する問題は、普段生活をしている上で自分の生命になんら影響を与えません。ですので、考える必要性を感じないでしょう。

逆に、生死に関わる場面に遭遇することが多い場合、自分や家族の命を守ることで精一杯で、自分の価値観にまで思いが及ばないでしょう。

現在の日本のように命はある程度保障された上で忙しかったり、紛争の激しい地域では、価値観に対して思いを張りめぐらせることは非常に困難です。

考えるという行為には、安定した環境やある程度まとまった時間が必ず必要です。

そして、価値観を整理すると自分が一つ一つの判断を下す際に、迷うことが少なくなるでしょう。日々の決断においては、決断が早いことは時間をかけて高精度の決断をするよりも良い結果を生むことが多くあります。ただし、この点については深く考える必要があるでしょう。

自分で読んでいて、ちょっと?な気持ちになったので、ざっくり考えてみると決断が早いことと決断が遅いことで、それぞれ良い結果も悪い結果も起きることがあるんじゃないでしょうか?

ちょっと長くなってしまいましたので、この辺で。

さて、明日もがんばりますか。

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