現状よりも経済的に豊かになるには、自分の「お金の設計図」を書き換える必要があります。
そのためには、まず自分の「お金の設計図」を探ること。
そして「ミリオネア・マインド」と異なる部分を書き換えていきます。
お金を上手く活用するために参考となる本の紹介です。
この本には 、お金を引き寄せる「富裕の法則」が17個記されています。
マインドを変えるには、繰り返し確認することが大切。
そこで、17のマインドをこのブログで定期的に紹介します。
それくらい続けていれば、マインドが変わってくるかもしれません。
そして、それによって僕の経済状況は変わり始めるのか?
前回は「お金を稼げるかどうかは、その動機で決まる」という内容でした
今回は「自分のお金の設計図を探る」について考えてみたいと思います。
お金を活用するには、お金の設計図を換える
「お金の設計図」について、ちょっと振り返えってみたいと思います。
この本では、お金の思考回路を「お金の設計図」と呼んでいます。
これは、お金に対する考え方、感情、行動などのこと。
お金持ちは、お金を引き寄せる「お金の設計図」を持っていて、これを「ミリオネア・マインド」と呼びます。
この「お金の設計図」は、特に幼少期に形成されるとされています。
周りからの影響を受けており、誰かから教えられたことが基になっている。
大人になっても、無意識にこの指示に従って行動しているそうなのです。
あなたの経済状況を現状より良くするには、自分の「お金の設計図」を書き換える必要があります。
そのためには、まず自分の「お金の設計図」を探ること。
そして「ミリオネア・マインド」と異なる部分を書き換えていきます。
自分自身の「お金の設計図」を探る
それでは、ボクの「お金の設計図」を探ってみます。
お金の設計図は、次の3つで作られています。
- 言葉
小さい時に、どんなことを聞いて育ったのか? - お手本
小さい時に、どんな人の、どんな行動を見て育ったのか? - トラウマ的体験
小さい時に、どんな経験をして育ったのか?
これらをもとに、ボクの幼少期にお金に関して聞かされたこと、経験などを書き出し、分析してみました。
その結果、ボクの「お金の設計図」は以下のとおりになります。
- お金に深く関わってはいけない
- 今あるものが使えなくなるまで、新しいものは不要
- 特別な時、金額は気にしてはいけない
この3つが大きなポイントとなりました。それぞれ、説明していきます。
お金に深く関わってはいけない
ボクは、じいちゃんとばあちゃんに育ててもらいました。
だから、家計のことを聞かされた記憶がありません。
特に買い物をしても、その金額が話題になることはありませんでした。
親の収入も不明、ボクの部活動にいくら掛かっているのかも不明でした。
大学時代の同級生の中には「うちは授業料を払う余裕がないから、俺が自分でバイトで稼いでいる」という人もいました。
そんな話を聞き、うちの家計は大丈夫だったのかと心配したのです。
しかし、高校生のころまで、ばあちゃんに家計の状況を聞いても「お金のことは心配するな、勉強に励め」と言われた記憶があります。
そのためか、お金は深く知ってはいけないもの、聞いてはいけないもの、関わってはいけないもの、という認識になっていました。
だから、お金について学ぼうと思わないまま過ごしてきたのかもしれません。
ただ、最近は意識が変わって、お金について学ぼうと思っています。
10年ほど前、マイホームを購入しようかな?と考えていたとき、ローンの仕組みをとことんまでに調べました。もっと頭金を貯めておけば良かった、もっとお金について学んでいれば良かったと反省したのを覚えています。
あとは、ボク自身が高校卒業して育ての親(祖父母)が亡くなってから、実家の家計簿を見つけたこともキッカケかもしれません。
とてもマメに家計簿をつけていて、ボクが生まれた当初の頃から、亡くなる少し前まで、しっかり残っていました。( ばあちゃんが、めちゃくちゃしっかりものだったからかもしれません。 )
お金について、これだけ細かく気を使っていたんだなぁ!とめちゃくちゃ驚いた記憶があります。
その事実は、ちょっとした衝撃というか、強烈な印象となっています。
今あるものが使えなくなるまで、新しいものは不要
ばあちゃんは、無駄遣いしませんでした。
割りばしは、洗って何度も再利用していた。
ボクは、嫌だな貧乏くさいな、と思って見ていました。
ばあちゃんは「使い捨て」することを嫌います。
お菓子などの空き箱や容器も、せっせと集めていました。
何かに使えるかも、と言って捨てないのです。
そんな姿を嫌だなと思っていたのに、やっぱり僕も同じような意識を持っていたことに気づきました。
割りばしを捨てる時は、もったいないと思っています。
きれいな空き箱は、捨てられないんです。
幼少期、洋服とか靴は使えなくなるまで新しいものは買ってもらえなかったような記憶があります。
この考えは、現在もボクに染みついています。
せっかく新しい服を買ったのに、使うのがもったいなくて、古い服ばかり選んで着てしまいます。
しかも、服にまったく興味がないんです。
考えるのが時間のムダなんじゃないか?って思っていたりします。
特別な時、金額は気にしてはいけない
ばあちゃんとは違い、じいちゃんは気前が良かった。
いや、マジであの感覚は、なんだったんだろう。
もし、生きていたとするなら、聞きたいことがいっぱいありすぎる。
ほんと、ボクの将来のためにと、いろんな習い事をさせてくれました。
習字、水泳、塾、プログラミングなど。
ボクが小学校に入るときも、ランドセルは牛革の良いモノ買ってやったぞ、と言っていたのをめちゃくちゃ鮮明に覚えています。
毎年、クリスマスプレゼントは金額を気にせず、欲しいものを買ってくれた。
家族旅行だって、毎年連れて行ってくれていた。
じいちゃん自身も、趣味にお金を使っていた。
そんな、じいちゃんの血を引いているんだなって思うのが、このデジタルなのかもしれません。
ま、機械をほんとうに楽しそうにいじって、子どもながらに、いろいろウンチクを教えてもらった。
普段は、スーパーへ買い物に行っても、絶対にお菓子とか自分の欲しいものは買ってもらえなかった。
その変わり、なぜか銭湯にいけば、必ずコーヒー牛乳か、フルーツ牛乳を買ってもらった。
それとのギャップが大きい。
これらのことから、何か特別な時には、金額を気にせずにお金を使って良い、という意識に染まっている気がします。
だからボクは特別に欲しいと思ったものは、金額を気にせず買ってしまう。
典型的なのがパソコンかもしれません。
新しいMacが出ると性能を見て、20万円くらいするのに、欲しくて買ってしまった。
それに、旅行に行くときは、ケチりたくないと思っています。
以上、僕の「お金の設計図」でした。
今回、自分のお金に対する考え方を振り返って感じたことは「幼少期のお金に関する経験は、自分のお金に対する考えに影響している」ということ
では、これをどう変えていくと良いのか?
次回から、お金を引き寄せる17個の「富裕の法則」を見ていこうと思います。
今日も、いろいろ深堀りしてみて、めちゃくちゃ楽しかった。
さ、今日もがんばろう。
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