他人の目を気にする努力をするくらいなら今を生きる努力をしたほうが人生楽しい

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マジか?

朝イチで空港に向かい、伊丹空港からお誘いいただいたイベントに行こうとしていたら、なんとなんと『出張遅延、到着予定未定』の文字が…

img 0464 - 他人の目を気にする努力をするくらいなら今を生きる努力をしたほうが人生楽しい

ま、こんな時は、自分を振り返ろうと思います。

ブログを書く時間になったから、まぁ良しとします。

突然ですが、ボクは、元々、物凄くネガティブなタイプです

昔は、リスクなどを考えることが多かったからか、いろんなことに対してネガティブに考えることが、めちゃくちゃ多かったわけです。

それでも、このところ、いろいろなものの見方が変わって、大分マシになってきたのですが、なかなか過去のことを手放せないタイプでした。

今でも、ネガティブなところが出てきます。

無意識に、それが現れるのか?

突然夢見が悪くなったり、ぐっすり眠れなくて、早朝に目が覚めてしまうこともしばしばでした。

流石に、深夜0時に寝て4時に起きたときは「まじか!」と思ったこともあります。

深刻な悩みだったので「どうすればいいですかねぇ…」と専門家の人に相談したこともあります。

あれは、10年前だったでしょうか…

あっさり「事実をありのまま受け止めるといいですよ」と言われて目から鱗が落ちました。

他人の目を気にしてるとロクなことにならない

ネガティブな人と言うのは、基本的に他人の目を気にしているのだと思います。

ボクはブログでかなり偉そうに「自分軸を持つのが大切なのでは」と言いまくっています。

やっぱりまだふとした瞬間に「他人の目」を気にしてしまう瞬間があります。

20代半ばまでという長い間「他人の目」を意識して生きてきていたので、当然と言えば、当然な気もするんですけど…(笑)

長年培った習慣というのは、なかなかすぐに方向転換するようにはできていないものです。

そもそも、幼い頃から「みんな」いう言葉を押し付けられています。

特に日本社会はそのような傾向が強いので、周囲に気を使え…とか、常識が…とか足並みを揃えろ…とかいう言葉が氾濫しているので、まあ、無理もない話です。

周囲に対する礼儀が大切なのは否定しないし、礼儀を知っているからこそ物事がスムーズに進んで結果的に世界の選択肢が広がるということが往々にしてあるので、最低限の礼儀は、身につけていて損がないのは事実だと思います。

ですが、この「礼儀」というのは、あくまで「好きな人にたいして、ありったけの愛情表現をする」ことであり、過剰に自分を卑下したり、心を閉ざして愛想笑いしたり、欲求を閉じ込めたりするということとはまた別物なのではないかな…と、最近になって考えるようになりました。

「この人は、どう思うかな?」

「こんなことを言って嫌われないかな?」

こういうことばかり考えるようになると、結局人の目に依存した行動をするようになるし、周囲に振り回されて自分がすり減ってなくなっていくので、結果としてロクなことにはならない。

これは、自分自身の実体験からも、そう思います。

必要なのは、抑圧じゃなくて開放なんじゃないでしょうか?

元々を辿ると本当に小さな頃は「やりたいように」生きてきたはずです。

その時は毎日が楽しくて毎日がきらめいて、世界がどんどん広がるような気分になってワクワクしていた。

それが周囲の抑圧によってなりを潜めるようになって、結果「自分の好きなものがわからない…」「やりたいことってなんだろう…」と鬱々となって、心身を壊すことになりかねないわけです。

そして、最悪の場合は「生きてる意味なんてない」と死を選ぶ人もいるんじゃないか?って危惧してます。

日本の自殺者は延々と増え続けているから、これはあながち間違っていないんじゃないでしょうか?

そんな状況を打破するには、冒頭の通り事実をありのまま受け止めることが大切なのだと思うんです。

例えば、人と向かい合って話している。

自分が何を話そうとも、自分の言葉で相手の感情をコントロールすることはできない。

人の感情は人の数だけあるから。

その事実を受け止めるだけで、随分と気の持ちようが変わってくるんじゃないでしょうか?

そこで「あなたはそう思うのね、その価値観は受け止める。でもわたしはこう思う。わたしの価値観はこれだから」と「自分軸」で考えられるようになると、人と向き合って精神を磨耗する確率はかなり低くなる。

自分の価値観も相手の価値観も受け止めて開放できるようになれば、物事はもっともっとスムーズに進むと思う。

「自分の方が正しい」と価値観の押し付けが生まれるから、物事がこじれて抑圧が生まれてしまう。

ありのままがダメなんてことは全くもってない

抑圧と言えば、ボクは幼い頃、突然、何の脈絡もなく「嫌い」と言われたことがあります。

今思うと身に覚えがなさすぎて「なんのこっちゃ!」となるのですが、もう25年近く経つのに未だに覚えているのは、多分その時初めて「嫌いだ」と言われたことで自分の行動が制限されるようになったからだと思います。

で、「ありのままじゃダメなんだ」と思って「嫌われないように」感情をはっきり表現をする日々が始まるようになりました。

そのことを最近になって思い出して、事実だけを受け止めることにしました。

この「嫌いだ」と言われたのは、その子の価値観がわたしの価値観と一致してなかったから。

ただそれだけなんです。

ただそれだけのことなのに、わたしはなぜか「嫌われるのはいけないことだ」と思い込んで、自分を開放するのをやめてしまいました。

それが、大人になっても影響して、色々なことの奥底にそれが燻っていたような気がします。

ボクが心身を壊したのはそのことが直接の結果じゃないけれど、ボク自身が今まで選択していたことの根源にはその出来事というよりも、その出来事を通して「嫌われちゃいけない」と思ったことの影響がないとは言い切れなかったんです。

つらつら書きましたが、別に自分のことを「嫌い」と言い放った人を恨んでいるわけでも、「全部お前のせいだ!」と思っているわけでもありません。

乱暴に言えば、今なんかは、心底どうでもいいと思っています。

それは多分、自分が「自分軸」で物事を考えられるようになってきたからではないかと思うんです。

自分の考えは自分の考えでいいし、相手の考えは相手の考えでいい

どうせ人なんてコントロールできないんだから、自分は自分の思った通りに、やりたいようにやればいい。

雑にまとめると「ありのまま」で生きていったって別に良い。

ダメなんてことはない。

それで誰が何を思おうと、それはその人の勝手なのだから、自分の領域ではない。

自分の領域でないことに振り回されても仕方がない。

それに、もう少し早く気づいておけばよかったなーというだけです。

明日死ぬなら、今何をすべきか?

何事に於いても、他人に振り回されるって、1番身にならない時間の使い方だと思います。

自分の時間はあくまでも自分だけのもので、しかも時間は有限です。

お金は増やすことができるけど、時間は溜め込んだり増やすことができないわけです。

それだったら、自分の時間を全部自分のために使いたい。

明日死んでも後悔しないように「今持ってる時間」を使うことができれば、人生の充実度というか、幸福感は桁違いになるんじゃないでしょうか?

この「自分軸」は、自分の一生のテーマになりそうです。

そう思うとなんだか楽しくなってきちゃいます!

いろいろな点を「自分軸」で考えると掘り下げられることがたくさんありそうです。

image 5 - 他人の目を気にする努力をするくらいなら今を生きる努力をしたほうが人生楽しい

とりあえず、無事に到着です。

頭使いすぎて、めちゃくちゃ眠い。

さて、明日もがんばりますか。

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