さて、今日も新年の挨拶周りをしてきました。
忙しない毎日でバタバタ過ごすよりも、ふと足を止めた一瞬の方がずっと「生きてるなあ」という気持ちになることがあります。
バタバタ走り回ると、心が死んでしまいます
ボクは以前、どちらかと言えば「止まってると死ぬ」みたいな状態に陥っていました。
客先がせっかちだったのもあって…
何事もスピーディに熟すのが1番だと思っていたし、実際にその反応の速さを褒められたこともあって、割と調子に乗ってる節がありました。
確かに、客先の希望には応えられてたかもしれません。
実際に、仕事が速くていいねと言われたこともあります。
ですが、仕事を熟せば熟すほど、つまりバタバタ忙しくしてればしているほど、どんどん心のアンテナが鈍くなって、言葉を選ばずに言うのであれば、人間的に死んでいっているような気がしました。
足を止めたら、生き返ったんです
そして色々あって、ボク自身が意識して、仕事のやり方を変えて新しいスタンスを選びました。
自分のペースでやっていけるので、基本的にはドタバタすることなく、かなり人間として生き返ってきたと思います。
あの暗黒時代は、思考能力も死んでたし、感情も死んでたし、ただ言われるがままに物事を処理する機械のようになっていました。
今の仕事のやり方になって、大きく変わったのは、「煮詰まったなぁ」というときの対処法。
今までだったら「煮詰まってても動かないと!じゃないと死んでしまう!」みたいな感じだったんですが、今は、とりあえず部屋の窓を全開にする。
そして、窓際でぼんやり空を眺めながら深呼吸をする。
抱えてることは全部一回置いといて、気が済むまでぼーっとする。
そうすると、なんだかお腹の底からふつふつと「生きてる!!!!」みたいな気持ちが湧き上がってきて、気力が湧いてきます。
そのあとの方が仕事もはかどるはかどる。
結果的に、がむしゃらに動いていたときよりも仕事の効率が上がっています。
消耗することがえらいことなんじゃない
残業しまくったり、ひたすらドタバタ走り回ったりという仕事の仕方、つまり精神や肉体を消耗するような生き方は、ボク自身もしていたし、それを褒め称える人がたくさんいるのも知っています。
ですが、それを経て辛い経験をしたから、もうそんなことはしたくないな…と心底思います。
何かが煮詰まるのは、体と心が疲れてるサイン。
そういうときはいっそ全部投げちゃって、立ち止まってみることが大切なんだと思います。
その方がずっと生きてる意味を実感できるし、人間なんだなって思うことができますから。
だから、今自分を忘れるほど働いている人には、絶対無理をしないでほしいんです。
頑張ってるのは、十分に伝わってるから、それ以上自分を犠牲にしないでほしいんです。
もう、頑張らなくていいと思う。
やれることは、もうたくさんやってるんだから、追い詰めないでほしいと伝えたい。
バタバタ走り回って心が死ぬ前に、空を見て風を感じて、「本当に生きてるっていうのはこういうことなんだな」と思ってほしい。日々は消耗するものじゃない。満たされるべきものであってほしい。
本当は、今をしんどいと思っているひとり、ひとりに、そうやって伝えたいんです。
休んで大丈夫だよ、と顔を見て言えたらどんなにいいだろうと思うのですが、ひと昔までは、ボク自身も人づきあいが苦手だったし、口もあんまりうまくなかったわけです。
表面上、当時は、取り繕うことは、なんとかできていたんですけどね!
でも、本当は昔から向き合って言葉を伝えるのがあんまりうまくなかったんです。
なので、思ってることがちゃんと伝えられないのは、火を見るよりあきらかだったわけです。
で、その分、上手い下手は別として、昔から文章を書くのは好きでした。
だから今日、ふと思い立ってこんな記事を書いてみたりしたわけです。
で、そこから自分自身が変わるための努力を必死にして、今に至るというわけです。
少しでも、多くの人にこの気持ちが伝われば嬉しいなって思います。
とても、充実した新年の挨拶回りも終わり、また気合いを入れ直して、前に進んでいきます。
さて、明日もがんばりますか。
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