今日は、とある教育関連の打ち合わせでした。
そこで話題になったお話が興味深いお話だったので、今日はこのことについて記事にしようと思います。
人という生き物は、常に、誰かよりも上にあろうとしたり、より優位な立場になろうとする側面があります。
しかし、それで人の上にたったとしても、それが必ずしも人として立派な人間か? といえばそうとも限りません。
人の上に立つ人間が必ずしも立派な人間とは限らない
社会に出てそれなりの年数を経て、それなりの会社に就いたり、仕事上の関係をもったりしていると、様々な人に出会います。
そういった中でやはり思うことは、人は必ずしも、その社会の地位と人間性の大きさは比例しないということです。
仕事であれば、例えば経営者なり上司なり先輩であれば、「その会社」「その仕事」においては、立派な成績をおさめたり結果を出しているわけです。
その会社や仕事に関して言えば、立派な人間であり尊敬できる人なのかもしれません。
しかし、ではその会社や、仕事から離れたならば、どうなのでしょうか?
会社や仕事とは関係のないところで、人として尊敬できるような人間なのでしょうか?
それは、また別だということです。
ボク個人の感想ですが、それなりの会社でそれなりの地位に居る人は、やはり優しさもあり、厳しさもあり、社会や世の中の仕組みも理解が深いし、人の気持ちもわかる人が多いような気がします。
それだけ、苦労や努力をしてきた側面があるからです。
しかし、そうはいっても、そのような人でも家庭を省みない人も居ますし、仕事関係以外のところでも傲慢な態度を取る人もいます。
この人は、仕事はすごい出来るけど、人としてはクズやな。
こういうパターンだな…って思う人も居ますよね。
もう何度も書いていますが、社会での地位と、その人の人間性は別ものだということです
人の上に立つということは、その分野で人より長けていれば立つことができます。
人の上に立つということは、周りの人間を蹴落としていけば立つことができます。
周りの人間の上に立ってほしいという思いで立つ人もいます。
人それぞれだし、会社にもよるし、運の良し悪しもあります。
しかし人は、例えば会社とか仕事などのその分野で尊敬できる人を見ると、人間性までもそのまま尊敬したり、言うことを何でも聞いてしまうことがあります。
その人の言うことは何でも正しいと思ってしまうことがあるのです。
これはその人の地位などもありますが、大抵歳も自分より経ていますし、参考に出来ることは当然たくさんあります
それでも「仕事が出来るから」「仕事っぷりが尊敬できるから」という理由だけで、その人の人間性を判断しない方が良いということです。
よくあるのが、
- その尊敬する人の下に付いたら奴隷の如く働かされた
- この人は実は自分のことばかりで責任は下に押し付けてくるし手柄は取られる
- 尊敬する先輩や上司と付き合ってみたら、実は自分勝手でプライベートでは人にやさしく出来ないような人だった
- 憧れから好きになって結婚してみたら、仕事ばかりや自分のことばかりで家庭などを大切にするような人ではなかった
- 立派な理念があって尊敬できる経営者の元で働いてみたら、実は単なる金の亡者で、社員のことなんか大事にしない人だった
- ぐいぐい社員を引っ張っていき、社員ともしっかりコミュニケーションが取れる社長かと思ったら、実は単なるワンマン社長だった
- 進んでリーダー的立場のことをやって、みんなをまとめ上げようとする凄い人かと思ったら、実は単に人に命令したり偉そうにしたいだけだった
などなど。
ちょっと捻くれたようなことを書いているかもしれませんが、このような人は結構いたりします。
学生でも、社会人でも、このような人はいたかと思います。
ここで言いたいことは、このような地位や立場などに惑わされることなく、しっかりとその人がどのような人か見極めましょうということです。
むやみに分析する必要もないし、その人がどういう人かを見極めて人に聞かせるようなことは必要ありません。
ただ、見誤るなということです。
人を上っ面だけで判断していると、ものごとの大切なことが見えなくなったり、自分の身を守れなくなったりします。
だまされることだってあります。
勘違いの結果痛い目をみたり、ひどい目にあうこともあります。
そこで「あの人はあんな人だとは思わなかった!」「良い人だと思っていたのに!」「優しい人だと思っていたのに!」「凄い人だと思っていたのに!」などと思っても遅いですし、単に自分の見る目がなかっただけの話になってしまうのです。
弱い立場の人などを大切にする人を大切にしたい
会社は会社、仕事は仕事、その組織は組織で、上の立場に居る人は敬意をもって尊敬したり憧れるのは一向にかまわないかと思います。
今自分が居る中で上に立とうとしたり、評価されようと思えば、上の人間にしっかり認められようと接するのは決して悪いことでも何でもありません。
しかし、それはそれで良いのですが、それよりも自分よりも弱い立場の人を大切に出来るような人間になる方が、きっと人生においてはとても大切だと思います。
- 「弱い立場の人を大切にする」
- 「弱い立場の人を大切にする人を大切にする」
これが出来る人間は、仕事でも家庭でもどこでも、人にやさしく思いやりが持てる人間です。
もちろん、社会ではそんなきれいごとだけでは渡っていけないこともあるし、弱い立場の人を助けていても立場が逆転して、逆に恩を仇で返されるようなこともあるかもしれません。
それでも良いという人はそれでも良いのですが、やはり自分の身を守ったり、そうならない強さも同時に持っていなければいけません。
結局、強さのないやさしさは本当のやさしさではないとも言えます。
単なるお人よしではダメということです。
そういうことを意識しながらも、弱い立場の人を大切にするという「やさしさ」と「思いやり」を持っていきたいものです。
弱い立場の人と言っていますが、そこに差別だとか、優先順位を付ける必要はありません
地位の高い人とか、弱い立場の人とか、そういう言い回しで書いていますが、要は人に対して「やさしさ」と「思いやり」を大切にしましょうということです。
そして「やさしさ」や「思いやり」を持っている人を大切にしましょうということです。
偉そうな上司や社長だって、一歩会社から出れば孤独で寂しい人かもしれません。
会社を出れば孤独であるからこそ、会社では威張ったり虚勢を張っているだけかもしれません。
そういう人だってある意味立場の弱い人です。
そういう裏事情を見れば、嫌いな上司でもやさしく出来たりするものです。
会社で元気に明るく振舞っていても、家庭に帰れば居場所がなくて小さくなっているかもしれません。
新人であったり、まだ経験未熟な人であって、まだ結果も出なかったり、言いたいことも言えないような人でも、実はしっかりした考えを持っている若い人もたくさんいます。
不器用で覚えるのが苦手な人でも、その人なりに一生懸命やっているのかもしれません。
言いたいことやしっかりした考えを持っているのに、口下手なばかりに単に相手に伝えられないだけの人もいます。
そういう人たちの本当の思いや、表面だけでなく裏の姿までを想像し、どんな人でも思いやりを持って、時には厳しく、時にはやさしくしながら、人を大切に出来れば、自分の人間としての器も大きくなるかもしれません。
ここまで伝わりましたでしょうか?
よくわからない記事になってしまいましたが、何が言いたかったかまとめます。
- 「人の表面だけ見ない」
- 「人の表面だけで判断しない」
- 「相手の裏事情も想像してみる」
- 「その人の立場を考える」
こういったことを意識しながら、自分なりに人を大切にしていきたいということです。
人を大切にしたり、人にやさしくと言っても、何でもかんでもやってあげたり、何でも許してあげたり、自分を犠牲にしてでも人のために動くとか、そういうことではありません。
一言で言うと「思いやり」を誰にでも持ちましょうということです。
とりあえず思いやっても、何かをする必要がなければ何もする必要はないし、出来ないことをやる必要はありません。
ただ、思いやりを持つことによって、実は様々なことが見えたり分かったりすることがあります。
思いやりを持つことによって、人間としての器もどんどん大きくなっていきます。
そういったことを大切にしていければいいのではないでしょうか?。
さて、明日もがんばりますか。
コメント