自分の選んだ選択や物事の結果に対して、自分自身の心の持ちようは、いくらでもどうにも出来る

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さて、今日から大阪です。

img 3947 - 自分の選んだ選択や物事の結果に対して、自分自身の心の持ちようは、いくらでもどうにも出来る

昔の子供の頃から、20代半ばぐらいまでは、よく「まいっか」というのが、ボクの口癖でした。

この口癖だった「まいっか」をいつぐらいから言わなくなったのか・・と最近思い出してしまったんですよね。

「まいっか」と思える思考・精神

「まいっか」

「ま、いっか」

「まーいっかー」

「まぁ良かけんね」

別になんでも良いんですけどね。

要は、物事の事象や結果に執着することなく、どんな結果になっても、もしくは、なるかもしれない予想に対しても「まいっか」と気楽に明るく思えることを指しています。

ボクが、若い頃よく口癖だったと書きましたが、ではどんな時に使っていたかと、記憶を遡ると、それは何かを決断する岐路に立ったときや、自分の想定とは異なる結果を得たときでした。

まぁ、そのまんまですよね。

  • 「どちらを選ぶか悩んだとき」
  • 「どちらの道(実際の道路や人生の選択)を進むかの岐路のとき」
  • 「失敗の方が確率が高いけどそれにチャレンジをしたいとき」
  • 「自分の想定とは違う結果を得たとき」
  • 「良かれと思ってしたことが喜ばれなかったとき」

何かに失敗しても、道を誤ったとしても、「まいっか」といつも気楽にいられたんです。

  • 「これはこれで楽しいか」
  • 「この結果でも良い経験になるわ」
  • 「間違えたらまた戻ればいいや」

子供の頃の「まいっか」と大人になってからの「まいっか」では、その対象や事の大小は当然違ってきますが、概ね(おおむね)どちらも気楽な感じで思っていました。

この「まいっか」という思考・精神について…

  • 「どんな結果になってもそこ(結果)は重要ではない」
  • 「結果よりもそれを選択した経緯や経験の方が重要である」
  • 「それはそれでOK!」
  • 「何でもOK!」
  • 「まいっか!」
  • 「どうでもいいか!」
  • 「どうでもいいわ!」

こういう、自分自身をくだらない価値観に縛ることなく、とても自由でいられる思考・精神です。

これは、ある意味「最強」で「無敵」です。

何がおきても、どんな結果になろうとも、そこで辛い思いをしたとしても、「まいっか」という思いが全てをOK!にしてくれます。

他の多くの人も、小さい子供の頃やまだ若い時はこのように「まいっか」という思いは普通にあったはずです。

ありませんでしたか?

しかし、いつからこの「まいっか」という思考が持てなくなってしまったのでしょうか。

年齢と共に「まいっか」と思えなくなってくる

ボクの例で言うと、やはり「年齢」と「責任」ということになるのでしょう。

20代も後半に差し掛かってくると、社会人としてもベテランの域に入っていきます。

私生活においても、結婚や結婚後の生活も視野に入ってきたり、老後も含む、将来の不安も徐々に強くなっていきます。

例え、自分では意識していなくても、それが無意識だったとします。

  • 「やっべー、そろそろもっとしっかりしないとまずいのでは・・」
  • 「このままの生活を続けてたら将来苦労するぞ・・」
  • 「社会人としてもいつまでも気楽なままじゃいられなくなってきた・・」
  • 「あれ?もしかして俺って結構いい歳だな・・」
  • 「まいっかなんて言ってられるか!」

こういう風に思っていたのかもしれません。

そして、結婚して子供も生まれている現在では、そのような思考は尚更強くなってきます。

家族の生活を背負っていますし、生活だけでなくより快適に過ごしたい思いもあります。

子供の成長に関する思いもいろいろとあります。

仕事だって、気楽に過ごすわけにもいかないし、今が良くても将来はどうなるかという不要なプレッシャーも勝手に感じたりします。

つまり「余裕」がなくなってきたんです。

心の余裕です。

これ、また多くの人に当てはまることではないでしょう。

年齢と共にさまざまな責任やプレッシャーを感じるようになってきて、自分の周りの人間や他人の価値観にも振り回されるようになり、楽しいことも頑張って探さないとなかなか見つけられなくなってくる。

「まいっか」とか言ってられんわ…と。

自分を縛っているのは、自分自身

このように「まいっか」と思えなくなることが決して悪いというわけではありません。

自分一人だけいつまでも無責任でいるわけにもいきませんし、いてもいいですが、そのような責任やプレッシャーによって人は成長もするし、得られるものも多くなっていきます。

しかし、やはり「まいっか」と思えない状態というのは、自分自身をがんじがらめに縛っているのも事実です。

先ほども書きましたが、心に余裕がない状態であり、悩みや不安に振り回され、自分で自分を追い込んでいる状態かもしれません。

ここまで大げさじゃないにしても、やはり良い状態だとは思えません。

少なくとも、今のボクは、そう感じています。

今、自分自身が自分の思うような状態でなく、そして楽しみよりも悩みや不安の方が強いのであれば、この「まいっか」という思考・精神を取り戻したいものです。

昔の子供の頃や、若かったときのように。

大人になればなるほど、そしてある程度の年齢になってくれば、やはりどうしても「まいっか」と言えないことは多々出てきます。

しかし、自分の選んだ選択や物事の結果に対して、その事象は変わらないにしても、自分自身の心の持ちようはいくらでもどうにも出来ます。

無責任な行動とは違います。

自分自身が、決断して選択し行動する。

ここまでは「まいっか」は関係ありません。

その後の結果や状態に対して「まいっか」と思えるかどうかです。

結果、自分自身の言動は変わらないけど、その後の心の持ちようです

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これって、結局は自分自身の問題です。

例え「まいっか」と思えない今の状態が、生活環境・お金・友人関係・恋人・結婚・子育て・仕事・地位・年齢・将来の不安であったとしても、それは大抵「他人の価値観」を意識している状態かもしれません。

その不安や悩みを「思い悩む」か「まいっかで吹き飛ばす」かは自分自身の選択に過ぎません。

ただ、同じ変わらぬ結果や事象であれば、どちらがより明るい人生になるか、楽しい人生になるかは明白です。

きっと長生きも出来るかもしれません。

いろいろと書いて自分でもよくわからなくなってきました。

この記事で言いたいこと。

  • もっと人生を楽しめた頃を思い出そう!
  • 他人の価値観で生きるのは止めよう!
  • 自分の人生は自分で楽しくしよう!

ということです。

人生なんて心の持ちようでいくらでも楽しくできるし、つまらなくもできます

不安や悩み、責任やプレッシャーは誰にでもありますが、結局のところ自分の人生というのは自分だけのものです。

他人の人生は他人だけのものです。

良い意味でこのように思い、もう少し気楽に「まいっか」の精神で過ごしても良いのではないか?

そんな風に思う今日この頃でした。

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さて、明日もがんばりますか。

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