悩みの大半は「悩んでもしょうがない」ことだし、悩んでいる暇はないし、目の前のことを一生懸命にやろう

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今日は、打ち合わせをしてから、近所を散歩していました。

ちょっと次回の宮古島ツアーで使う、備品を購入してきたんですね。

京都駅を歩いていたんですが、以前食べたうどんがめちゃくちゃ美味しかったので、また寄りました。

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つくもうどん 塩小路本店 

メニューがいろいろあって、本当に悩みます。

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悩む…。

悩んでいることで、自分の人生に置き換えて考えてみました。

人は生きている以上、悩みなんてものは、本当にキリがないものです。

悩みが解決したとか、もしくは、忘れさられるとしても、また新たな悩みが出てきたり、前の悩みをぶり返したりといろいろあるわけです。

悩みの大半は「悩んでもしょうがない」ことだと思う

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ボクも、つまらないことで、よく悩んだりしてしまうことがあります。

ついつい悩んだり、考えこんでしまう、自分がイヤになるときもよくあります。

  • お金の悩み
  • 仕事の悩み
  • 勉強の悩み
  • 家族の悩み
  • 交友関係の悩み
  • 人間関係の悩み
  • 身体的な悩み
  • 将来の不安の悩み

細かいレベルで言えば、悩みなんてものは、人の数だけあります。

しかし、悩みの大半は「悩んでもしょうがないこと」とはよく言われる言葉です。

当人にとっては、それは生きているのが辛いほどの悩みかもしれません。

ですし、自暴自棄になるような悩みかもしれません。

悩みやその辛さは、本人にしかわからないものです。

それでも、やはり「悩む」という行為は、自分で自分を痛めつけていることになります。

「悩む」こと「考える」ということとは違うということです。

さて、そもそも「悩む」とはどういう意味を持つのか?

1 決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。
思いわずらう。
「進学か就職かで―・む」「恋に―・む若者」「人生に―・む」
2 対応や処理がむずかしくて苦しむ。困る。
「騒音に―・む」「人材不足に―・む企業」
3 からだの痛みなどに苦しむ。また、病気になる。
「頭痛に―・む」「持病のぜんそくに―・む」
4 とやかく言う。非難する。
5 (動詞の連用形に付いて)その動作が思うようにはかどらない意を表す。
「伸び―・む」「行き―・む」

引用元:コドバンク – 悩む

引用では「痛み」「苦しみ」「困る」といううれしくない言葉がありますが、 「考える」という行為にプラスして、苦しみなどが伴う場合のことを指すのでしょう。

ざっくりですが、「悩むこと」と「考えること」をこの記事内のこととして定義をすると、まず 「悩むこと」は、その考えることに対して、辛くなる苦しくなるように心を痛めてしまうということです。

では、なぜ「悩む」のか?

それは、今の自分の考えでは「解決しないから」とも言えます。

いくら考えても答えが出てこない。

もしくはその答えを認めたくない、避けたい、という思いから、ゴールを見つけようとせず、都合のいい理想を追い求めている。というところだと思います。

つまり「自分で勝手に」悩んでいるのが大半かもしれません。

逆に、「考えること」は、何かしらのゴールに向かって、解決策を見出そうとしている行為を指します。

自分の出来ることなんてたかが知れてます。そんな中で自分なりに一番ベストだと思えることを考え、決断するしかありません。

考えて考えて、そして決断をしてしまえば、それが今の自分にとって「最良の選択」であるはずなのです。

ですので、結局「悩み」というのは、苦しみが伴うだけで、ことが良い方向に行くということはあまりない、ということです。苦しみ損です。

今目の前のことを一生懸命に頑張る

さて、ここまで書いておいて何ですが、決して「悩むこと」が一概に悪いと言うわけではありません。

悩むことによって、今の自分の心境や課題もわかるし、人の痛みもわかるというものです。

ただ、入り口は「悩む」から始まったとします。

そうしたら「悩む」⇒「考える」⇒「実行」にシフトいたほうが気が楽ということです。

「今目の前のことを一生懸命に頑張る」 

これは、結局それしかないのですよね。

今抱えている「悩み」や「課題」に対して、自分なりのベストな選択を決断し、後は目の前のことを淡々とこなしていく。

その決断が失敗だと思えば、また考えて決断し実行する。その繰り返しであり、その結果が今でもあります。

結局、自分に「今あるもの」というのは、過去における「目の前のことを頑張った成果」でしかないということです。

悩んで苦しむだけでは得るものはあまりなかったはずです。

単なる時間の浪費でしかなかったかもしれません。

しかし、悩んで苦しんでも、少しでも目の前のことに向き合って努力したのであれば、それなりに得ているものはたくさんあるはずです。

その得たものというは、もしかしたら自分の欲するものとは違うかもしれませんが、気付かないうちに積み上げられているものです。

そもそも、人生は有限です。

目の前のことを積み上げた結果が「今」であるとしたら、そして悩みに対して「悩んでいるだけ」だとしたら、そんな時間はもったいないのではないでしょうか?

そんなこんないろいろ考えながら記事を書いていたら、注文したうどんが届きました。

美味しくいただいて帰ろうと思います。

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さて、明日もがんばりますか。

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