曇り空の京都です。
人生を日々生きていれば、納得できないと感じることがたくさんあります。
納得できずに憤ることもあるでしょう。
しかし、納得できないことがあるのは当たり前のことでもあります。
納得できない心理
なっ‐とく【納得】〘名〙
① 他人の考え、行動などを理解して受け入れること。わかってのみこむこと。理解して肯定すること。承知。同意。
引用:コトバンク
※落書露顕(1413頃)「此の仁の事は、歌と連哥とのけぢめをはやよく納得して侍なり」
② ⇒のうとく(納得)
つまり、他人の言動を理解できない時、理解できても容認できない時に納得できないことになります。
一言で言えば、他人の言動に共感できるか否かが、納得できるできないの分かれ目となります。
以前「人の気持ちがわかるって、実は人の気持ちを想像してわかった気になっているだけだと思う」でも書きましたが、他人の考えや行為を理解するというのは、容易ではありません。
他人の考えや行為を理解したつもりでも、それは、自分の想像にすぎないからです。
だから、納得できたと思っても、それは、あなたが勝手に納得できたと思っているだけなのです。
もちろん、納得できないと思っている場合も、あなたが勝手に納得できないと思っているだけです。
納得できる時は、あなたが共感でき、受け入れることができると勝手に感じているだけですし、納得できない時は、共感できず、受け入れ難いという、心理があなたの中で働いているにすぎません。
実は、誰もあなたの納得なんて必要としていない
納得はあなたの想像で、あなたの中で起こるものなので、あなたを納得させたがっている人がいても、本質的にはあなたの納得は必要としていません。
共感できない、受け入れがたいという心理が働き、否定されたり、怒りを向けられたり、邪魔をされたりといった、面倒を避けるために、あなたから納得したという言動を引き出そうとしているにすぎません。
本来、自分の中で納得ができれば問題ないのです。
だから、あなたも他人を納得させる必要なんてないのです。
大切なのは自分自身が納得できるかどうかです。
それが全てなのです。
納得できないからと否定する行為は、自分勝手とも言えるのかもしれません
納得というのは、各個人の感性に依存するものです。
そのため、あなたが納得できないことがあって、それを否定したり、憤ったりする行為は、自分の感性に任せた、自分勝手な行為だと言えます。
納得とは「他人の考え・行為を理解し、もっともだと認めること」です。
が、そもそも、「他人の考え・行為を理解」することが容易ではないのですから、世の中には納得できることのほうが少なくて当たり前だといえます。
納得できないことがあったとしても、それに執心してもしかたありません。
本来、誰もあなたの納得なんて必要としていません。
だから、あなた中心に世界が回っているのではないと理解し、納得できないことがあっても否定せず、受け入れる必要はないですが、暖かく見守るくらいのほうが、みんなが気持ちよく過ごせるのではないでしょうか?
そんなことを思った、今日曇り空の一日。
さて、明日もがんばりますか。
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