変なプライドや恐れを捨てて、道化を演じれば、苦しい人付き合いが楽になるかもしれない

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さて、今日はひさびさに友人との再会です。

珍しいことに、たまたま福岡に来ていたみたいなので、空港で待ち合わせ。

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ラーメンを食べながら打ち合わせとか、ちょっと変わっているかもしれません(笑)

そういえば以前、この友人、しかも、大学生時代、今では経営者仲間に、人付き合いの極意を教えてもらったことがあります。

道化を演じるということ

太宰治の「人間失格」に習い、道化を演じることが、手っ取り早い方法だと教えられたのです。

そうすることで、大抵の人間関係はそつなくこなせるのだそうです。

どうけ【道化】
①人を笑わせるおかしなしぐさや言葉。また、それをする人。滑稽こつけい。おどけ。 「 -を演じる」 「 -に徹する」 「 -役」
②「道化方」の略。
以上、『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

その友人は、人を見下したようなところがあり、自称人間嫌いであったが、その割には、交友関係は広く、いわゆる人気者、面白い人であったわけです。

人付き合いが得意ではない、上手くないボクからすると、人間嫌いの割に人気者であった、その友人がうらやましく感じたこともあるのです。

しかし、卒業後は、誰とも連絡を取っていないようです。

それは、ボクも同じで、たまたまSNSで発見して、今回連絡をくれたみたいなので嬉しい限りです。

学生時代を、そつなくそれなりに過ごすために、割り切って道化を演じていたようです。

人を楽しませる役を徹底して演じているわけだから、人気者にならないわけがない。

ある意味人付き合いをうまくやるための極意と言っても過言ではないでしょうか?

道化になりきれるのだろうか?

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ボクはなり切れなかった…というのが結論です。

原因の一つは恐らく変なプライド?のようなものがあったからでしょうね。

自分は、道化を演じるような人間ではないというプライド?があったのではないかと思うのです。

また、自分はこういう人間だ、人からこういう人間だと見られたいという願望があり、道化を演じることでは、その願望を叶えることができないと思ったからなのでしょう。

もっと端的に言えば、自分が優れた人間なのだというプライド?や、良い人間だと見られたいという願望が邪魔をして、道化を演じることができなかったのだと思うんです。

もう一つの原因は、道化を演じた先の失敗を恐れたからなのかもしれません。

自分が上手く道化を演じることができるかもわからないし、私が道化を演じたからといって、それが周囲の人に受け入れられるとは限らないのです。

だから、道化を演じることができなかったのであろう。

変なプライドや恐れを捨て、道化を演じれば、苦しい人付き合いが楽になるかもしれない

人付き合いを苦しいと感じている人は、その人間関係はあなたにとってうまくいっていないものなのでしょう。

どうせうまくいっていないのだから、失敗を恐れずに道化を演じたら、その人間関係がうまくいくかもしれません。

また、「自分がわからない人は自分を形容する言葉がわからない、人間そんなに単純にできていない」という記事の中でも書かせていただきましたが、自分がこう見られたいという願望と、他者が見るあなたが一致するとは限らないし、一致していないからこそ、その人間関係を苦しいと感じているのではないでしょうか?

どうせ、他人は、あなたが望むようにはあなたを見てくれないのですから、変なプライドは捨てて、道化を演じることに徹するのも良いかもしれません。

特にどうでもいいと思う人間関係や、そつなく表面上うまくいっていればいい人間関係の中では、道化を演じると、そこまで人付き合いを苦しく感じなくて済むかもしれません。

ただ、先にも述べましたが、道化を演じていた友人は、どこか人を見下していたところがありました。

人を見下したうえで初めて道化を演じることができたのかもしれません。

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そんなこんなで雑談しながら、ぶらぶらと散歩をしてました。

出会いはどこで変わるか、わからないですね。

さて、明日もがんばりますか。

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