一人一人住む世界が異なるのだから、共感することの大切さを知ることが第一歩かもしれない

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さて、昨日は京都で、前回の宮古島の報告会。

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予想していた以上に、やっぱりこのポイントに尽きるんだなぁ…と感慨深い内容になりました。

夫は夫の業の生み出した世界に住んでいる

妻は妻の業の生み出した世界に住んでいる

同じ屋根の下で暮らしていても、世界は違う

これを仏教では『業界(ごうかい)』と言います。

『業』とはインドの言葉で『カルマ』と呼ばれ、日本の言葉に直しますと『行為』のことです。

今まで

  • 考えてきたこと
  • 喋ってきたこと
  • 経験してきたこと

これらを『業』というのですが、これはそれぞれが異なります。

育った環境も、受けてきた教育も、経験してきた仕事も、休日に入れ込んでいる趣味も一人として一緒の人はありません。

それら業【カルマ】の生み出した世界に一人一人住んでいる、その世界を『業界』というのです

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夫の業と妻の業は違います。

だから同じ屋根の下でも、各人は己の業の生み出した世界にぽつんとひとりぼっちでいるのです。

例え話で考えてみましょう。

夫は、部下との人間関係で悩んでいます。

そんな悩みを、奥さんに「理解してくれよ」と要求しても難しいでしょう。

奥さんは、会社に少しも勤めた経験もなければ、責任ある役職についたこともないのですから、夫の苦しみはわかりません。

よく一日署長といって、アイドルが警察官の格好しますが「一日会社員、一日課長となって、夫の会社の大変さを知ってみましょう」と呼びかけたとします。

とはいえ、どれだけ判ることやら、だいたい一日くらいでわかろうはずもないし、もう何十年も勤めてきた中での、現在の職場の悩みなんです。

逆に知らんけど…で終わる次元なんです

一方、妻の苦しみを夫がわかってやりたいと思ってもわかることはできません。

奥さんは、姑のことで悩んでいる。

それをわかってもらいたいと思って、妻は一生懸命話するんですが、夫からしたら、実のお母さんなわけです。

そうなると 「何でうちの母とうまくやってゆけないのかちっともわからん」となってしまうのです。

親子でも同じことなんだと個人的に思っています

親は親の世界に住んでいます。

子どもは子どもの世界で生きています。

夫婦の場合、本質的には赤の他人ですが、親子は同じ血を分けた仲ですから、特に母親はわが子を自分の分身のように思う人もあります。

しかし、お互いになかなか分かり合えないのです。

100%理解しようとすることを望むからおかしくなるんです。

100%自分に懐いてほしいと思うような『強制的』な扱いをするからおかしくなるわけです。

子どもは親に「親は、ボクの気持ちなんかちっともわかってくれない」と腹を立てるわけです。

実際に、ボクが企画する研修旅行に行ったときに、そんな声がでました。

親は子どもに「なんで親の気持ちがわからないの!!」と顔を押さえて泣くのです。

「わかってくれない」「わかってくれない」と自分を理解しようとしない相手に怒りのつぶてを投げつけてしまってます。

しかし、わからないのは当然ではないでしょうか?

いやいや、マジでわかったらすごいと思うんですよね。

昭和生まれの親と平成生まれの子どもとでは、育った環境、学校や親からの教育、影響受けたマンガや本、映画、ずいぶん違いますから、同じものを見ても、同じものと見ません。

仏教で出てくる 『一水四見』という、この言葉も、このことを説いたものです。

  • 一つの水を人間界は飲み物と見る
  • 畜生界の魚は住処と見る
  • 餓鬼界の者は炎と見る
  • 天人はルリと見る

このような意味ですが、『業界』をいわれたものなのです。

相手の世界を「お前の業界、どうなの?」と覗き見ることさえ、許されないのです。

「独生独死 独去独来」

人間は生まれたのが独りなら、死ぬのもまた独り、やって来たのも独りなら、去って行くのもまた独りです。どんなにお金持ちであっても、どんなに健康であっても、どんなに家族に恵まれていても、そんなことは関係ありません。

どんな人でも、最期はすべてを置いてこの世を去っていかなければなりません。

人間は、独生独死独去独来。

勝ち組も、負け組もありません。

この当たり前の考えに返ってみることも必要ではないでしょうか?

最初は「わかりあえる、この人となら」と歩み寄るのに、皮肉なことに、近づけば近づくほど、わかりあえていないことだけが、知らされてゆくようです。

改めて、思ったことがあります

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親は偉大であるが、子どもの人生は親のモノではない。

これが、ボクが考えた答えです。

子どもは、親と大人をめちゃくちゃ見てるということです。

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