さて、出張3日間を終えて、移動しました。
昨日からプロジェクトの仲間たちと合流しました。
ふと、合流してから、先月の振り返りを頭の中で整理していました
先月は、新年明けたばかりだからか、やる気があまり出ないのかな?と思ったら、そんなこともなくバリバリと仕事をしてまして(笑)
2022年も、勢い良くスタートしたなぁ…という感じです。
やる気ってなんだっけ?と忘れてしまうくらい、とにかくやる気が出まくりでした。
実際にやる気って何だっけ?と考えてしまったほどでした。
やる気が出る方法を実践してもやる気が出ない
『やる気は出てくるものじゃない、行動から生まれてくるのだ』といったやる気を出す方法を紹介するコラムは沢山存在しています。
でも、それを読んでもやる気が出てこないんですよね。
やる気が出ないという気持ちのクセに、やる気を出す方法をググる力は残っているんですよ。
不思議なんですけどね、これ。
そのググる力をやる気に変えられたらどんなにいいことでしょうか?
やらなきゃいけない何かが心にひっかかる
やる気が出ないことに困っているという状況は「やらなければいけないのにやれていない何かがある」ということです。
やらなくてもいいことならば、やる気が出ないことを悩む必要すらないはずです。
なぜなら、やらなくてもいいことはやらなくても何も起こらないからです。
そもそも「やる気が出ない」と悩む行為は、その何かをやらないと自分にとってマイナスな事態が発生すると知っているということです。
やる気が出ないという理由で先延ばしにしても、いつかは必ずやらなければならず、先延ばしにした分のツケが回ってくることもあるでしょう。
やる気が出るのは明らかにプラスがあるとわかった時だと思うのです
そもそも“やる気”という言葉をポジティブに使っている時はいつだろう?と考えてみました。
「やる気でた!」と思うとき・・・って
本当はやる気がなかったけど、その何かをやるとご褒美がもらえるといったシチュエーションが浮かんだんですよね、
本来であればその何かをやり終えるということだけしか得られるものはなかったはずなのに、プラスで何かがもらえるようなイメージです。
「この仕事を終わらせたら飲みに行こう」
そう考えると、やる気が出ないという気分が発生するときに、心にひっかかっているやらなければいけない何かの正体は、その行動をしても、行動した分の報酬を得られないと思っている時ではないでしょうか?
やっても意味ないならやる気なんて出したくない
少し話はそれますが、ボクは学生時代、夏休みの宿題をやらなかったことが多々あります。
理由は、宿題の提出は成績に反映されないと言われたからです。
もちろん、そんなことをする人は、ボクくらいで、先生にも怒られたりしたんですが「成績に関係ないならやる意味はなんで?提出する理由がないと思うんです」と自分を曲げなかったんです。
学校の先生じゃないけど、こんな生徒いたらイヤですよね(笑)
もし「宿題の提出が成績に影響する」と言われていたらどうだったでしょうか?
おそらく、やる気どうこう考えずに普通に提出していたと思うんですよね。
けれど「成績に5%程度反映される」という話だったら、宿題を提出するか?しないか?ボクだったら悩んで、“やる気”を持ちだしてくると思うんです。
5%くらいならいいやと投げ出すこともできるし、少しでも影響するなら出そうという気分にもなれます。
どっちにでも転べる「やる気が出ない」時期
そう考えると「やる気が出ない」と悩めるのは、その時点では、やってもやらなくてもどっちでもいい(どっちでも自分に何も影響がない)ということではないでしょうか?
日が過ぎていくにつれて、やらないという選択が自分のマイナスになると理解し始めた頃、やっと重い腰を上げて行動するのでしょう。
「どうしてやる気が出ないんだろう」
このように考え続けても、やる気が出るわけがない。
なぜならやる気を出そうが、出さまいが、どっちでもいい時期だからです。
結局のところ「やる気が出ない」と言ってる時間のほうがムダだと思う
やる気が出ないという言い訳をしてやらないでいることがある時、いちばん無駄になってしまっているのは「やる気が出ない」と考えている時間かもしれません。
心にひっかかってしまっていることは、なかなか頭から離れることがなく、違うことをしていても「あーあれやらなきゃ」と嫌な気持ちにさせられるのです。
それを「やる気が出ない」と理由をつけて先延ばしし続けるのは、その理由をつけるまでの思考を巡らす時間をムダに使ってしまっています。
・・・さて、やる気が出ないとか、なんか意味のわからないことを言ってないでさっさと次のことをしようかなって思うわけです。
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