自己満足より他者満足で、実行してからこそのわかる視点がある

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先日のブログで、意外とたくさんのメッセージや、コメントをもらってびっくりしました。

あっ、意外と共感してくださる読者の方が多いんだなって・・・

本当にたくさんの方に読んでいただけて嬉しく思いますし、勇気をもらったとか、がんばろうと思えたって言ってもらえて本当に嬉しい限りです。

これが、そのブログ。

https://koichan8888.com/archives/3480

ボクが現在進行しているプロジェクトでは、多くの人が動いています

もちろん人によって得意不得意があるので、企画内容によって適材適所で人に仕事を割り振ったり、細分化したり、最適化したりします。

しかし、他人と自分を比較する人が多く「 なぜ自分に仕事を任せないのか? 」とか「 自分には技術が無いので自信がありません 」と言う方が、たまにいます。

何のために活動しているか?ってことです。

もう一度考え、ぜひ自分の幸せを得るためと気付いてほしいものです。

自己満足は不幸をもたらす!他人を幸せにすることが、結局自分へ幸せをもたらす

20代までは、自己満足の行動で良いと思います。

ボクも10代、20代は、クルマが好きでした。

Y33 - 自己満足より他者満足で、実行してからこそのわかる視点がある
昔、日産・シーマ FY33型に乗ってました

だから、クルマに多くの費用を使っていました。

しかし、30代からは考えを改めたほうが良いです。

image 3 2 - 自己満足より他者満足で、実行してからこそのわかる視点がある
完全に食べ物になりました(笑)

30代以降も他人に苛立ち、毎日が全然面白く感じない人にお伝えします。

求めると違いが見えて、他人と比較しても悪い部分に目がいく

人は幸せになるために生きています。

その幸せを求める方法が人によって異なるだけです。

例えば、働くのも、引きこもるのも、目的は幸せになりたいからです。

人の行動は、幸せになりたいからという動機があります。

そして、人が幸せや不幸せを感じるのは、何かと比較したときに生まれます。

何かと比べてどっちが幸せで、どっちが不幸せかという判断をして感じます。

その比較対象で、人は幸せになったり、落ち込んだり、怒ったりします。

多くの方が比較するのは次3つのうちのどれかです

  • 過去の自分
  • 自分より優れている相手
  • 自分より劣っている相手

ここから、詳しく説明します。

過去の自分と今の自分を比べると、これまで出来なかった事ができるようになっていると成長を感じられます。

また、知識が増えていても過去の自分とは考え方が変わるので、成長していると感じられるでしょう。

過去も今も変わっていなければ、成長を感じられず焦るでしょう。本来全く変わっていないなんて事はないんですが。

成長は自信となり心に余裕ができて、さらに伸びる可能性が出ます。

自分より優れている相手(例えば上司)と比較すると、劣等感が生まれます。

自分は何も出来ない人間だ・・・というような否定的な感情に陥ります。

一般的には自分の足りない部分を補填する考え方で、劣等感を克服したらいいです。

例えば、メガネです。

視力が悪いからメガネをかけるのが、弱い部分への補填です。

しかし劣等感をそのまま持ち続けていると、自分は無価値だと引きこもっていく可能性すらあります。

また、自分より劣っている相手(例えば部下)と比較すると、優越感が生まれます。

自分は努力せず、経験も立場も低い相手と比べることで満足するんです。

本来弱い立場の人は守るべき対象なのに、自分の力を示す道具にしている。こんな人がいたら相手にしないで下さい。

もしあなたがこのタイプなら、今すぐに考え方を変えましょう。いずれ足元をすくわれて、誰にも相手にされなくなる未来しかありません。

他人と比較してしまうのは人間の性です。

それを自分の成長のために上手く利用する思考を身に付けましょう。

人が本当に求める幸せとは・・・

人が求める満足には、自己満足という概念があります。

己が満たされるという行動です。

しかし自己満足は一瞬しか満たされません。

だから、依存的に継続しなければなりません。

例えば、ゲーム、お酒、異性、食事などなど…

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空港で飲むビール
image 9 - 自己満足より他者満足で、実行してからこそのわかる視点がある
大阪で、予約3ヶ月待ちの隠れ家イタリアン

自分が満足するための手段ですが、実は、いつまでも満たされません。

だから続けなければならない。

追い始めるとどこまでも満足できなくなっていきます。

そうではなく、心が満たされるのは外にあります。

つまり他人が必要なんです。

人の役に立つ行動で感謝され、あなたでなければならないと必要にされ、愛される。

この時の得られる満足感は、絶対自己満足の行動からは生まれません。

例えば、人から感謝されたり誕生日を祝ってもらったりしたら、嬉しくて泣くこともあるでしょう。

しかし、自己満足の行動で、感動するなんてありません。

自己満足の行動をしている人は2流、3流。

決して、その上にはいけない壁があるのです。

他人を満足させる行動が出来る人は超1流、1流。

決して、2流以下には落ちない。

飲食店で例えるならば、より良い商品やサービスを提供して、お客様の笑顔のために営業しています。

だから成り立っています。

人のためにする行動は、回りまわって最終的に自分へ返ってきます。

結局は自分のためになります。

だから自己満足ではなく、他人を満足させて自分に戻す考え方を持たなくてはいけないのです。

では、幸せを得るための思考法ってなんだろう?

繰り返しますが、他人と比較しても心からの満足は得られません。

過去の自分と未来の自分。

その中間にいるのは、今の自分です。

ですから、目標の自分を掲げて、過去の自分を振り返りながら、近づくための努力をしていくのです。

その目標とは、人のためになることです。

例えば、ボクなら、このブログです。

これまでのボクの経験してきた事や学んできた事、それらがもしかしたら読んで頂けた方の誰かの小さなきっかけになるかもしれない。

それが、もしかしたら、その人の幸せにつながるのならば、本当に嬉しい限りです。

だから、ボクはブログを毎日書いているし、今後も書き続けていきます。

しかし人のために行動しますが、見返りを期待しては絶対ダメです。

言葉遣いでわかります。

例えば「やってやった」という気持ちが出てくると、見返りを期待しています。

残念ですが、そんな人は感謝されるべき人ではありません。

さらに相手のためと言って、ストーカーや自分の思い通りにならないからと怒ったりするのも同様です。

「●●のために」は思い上がりです。

「やってやった」と一緒です。

相手の気持ちを全く尊重していない。

だったらやらない方が、まだましです。

なぜなら、相手はきっと困っているからです。

ま、わかりやすく言うならば、『自然を守っている』とドヤ顔で言う人が多いけど、実際には『自然に守っていただいている』が正しい見解なんではないでしょうか?

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自然にネコが懐いてくる
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反対側でも待機している

そうならないためには、謙虚でなければならないと思うのです

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自然に見つめられる

「やらせてもらっている」

自分におごること無く、相手の意志を尊重して受け入れる。

素直な態度で、感謝する。

そして、自分の間違いは受け入れるのです。

見返りを求めず、謙虚に「やらせてもらっている」という態度でなければ、誰も有り難いなんて思いません。

裏があるから、詐欺師と一緒です。

相手が望んでいないのだから「やってやった」ではなく「やらせてもらっている」の意識で他人のために行動していくのが、良いのでは?

ふと、今日のブログは長くなりました。

ではでは。

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