今日から沖縄で仕事です。
めちゃくちゃ、最近楽しいお仕事が増えています。
だからこそ、知恵を最後の一滴まで振り絞るのがとてもいい感じになっております。
シンプルに生きるためには、色々削ぎ落とさなければならないものもあります。
小物とか、本とか、服とかの物理的なものから始まり、ノイズとか、雑念とかの抽象的なものまで。
その中でも、特に「常識」なんかは結構捨てちゃっていいんじゃないかなーなんて思ったりします。
常識を捨てると良い理由
常識を捨てるといっても、最低限のマナーは捨てないほうが良いし、モラルも捨てたらダメゼッタイ!なんですけど。
要は、それ以外の部分、普段「●●べき」と考えている「自分の中の常識」を捨てたほうが、結構豊かになれるんじゃないの?という話です。
かつて、ボク自身がマニュアルガチガチ人間でした。
仕事もマニュアルに則って進めるものだったし、それより前に遡っても、小中高は良い成績をおさめる「良い子」でいて、そのあとは良い大学行って、ちゃんと正社員として就職しなきゃ!みたいな考え方が強めでした。
でも、そんな自分の常識に縛られすぎると、不幸になる。
最初にそう実感したのは、高校生で部活を引退したあとのとき。
というのも、小学校〜高校までは自分の考えどおりに行ったものの、高校で部活を引退したあとが全然うまくいかなかったんですよね。
結構ギリギリまで悩んでいましたし、モガイてました。
そうすると追い詰められていくもので、「大学に行かないと生きている意味なんてない…」「みんなと同じようにできないわたしはこの世にいらない人間だ…」みたいな、ドン引きレベルのネガティブっぷりを発揮していました。
っていうか今、キーボード打叩きながら過去の自分にドン引きしてる。でもそのときはかなり真剣にそう思ってたんですよね。
泣きながら受験票を書いて何枚もダメにしたし。
一睡もできなくてフラフラの状態で面接行こうとしたこともあります(笑)
まあ、そこはなんとか乗り越えた。
自分の設定したルートに再度乗ることができたわけです。
でも、結局のところ、全然幸せじゃなかった。
幸せになれると思って自分の常識どおりにしてきたはずなのに、全く向いてないアルバイトだったり、仕事をして、マニュアルどおりにしかできない仕事にも飽き飽きして「こんな仕事、自分じゃなくてもいいじゃん!」とか思って心身ともに疲弊して、今思うと結構まずいところまでいってしまってました。
悲劇です。
自分の常識は、必ずしも自分を幸せに導いてくれるとは限らない。
それならいっそ、常識なんて捨ててしまったほうが良いんです。
好きなように生きたほうが、幸せになれる
それで、ボクはどうしたか。
簡単です。
常識を捨てました。
つまり、自分が今まで思い描いていたルートを捨てることを諦めました。
諦めるというのは、非常に勇気がいるものです。
大体の人はここで二の足を踏んでると思います。
でも、諦めたほうが幸せになれる道が開ける場合もあります。
実際、今は当時考えていたルートから大幅に外れた生活をしてるんですが、今のほうが確実に幸せです。
成功という執着や今という執着から離れることで、人生が軽やかになる
とある先輩からいただいた言葉です。
ボクは「ああ、自分の常識に執着してたんだな…」と、今までの違和感に納得がいきました。
そして、その常識に執着することは間違ってたんだと、違和感があるのは間違いじゃなかったんだと考えられるようになりました。
おかげで、あっさり諦められました。
そして、諦めた後にボクがしたのは、ひたすら自問すること。
例えば、どんなことをしていたかをあげてみましょう。
- 今の仕事が辛い
- →なんで?
- →自分が本当に「好きだ」と思えることができてなくて空っぽな感じがする
- →じゃあどうする?
- →自分が「好きだ」と思えるように生きて行く
こんな感じで、深く深く自分を掘り下げていくよう努力しました。
結局自分をしあわせにしてくれるのは、「自分の本音を大切にすること」
これに尽きると思います。
そのためには、いろいろなことを削ぎ落としていく作業が必要になる。
モノを減らしてみたり、常識を捨ててみたり。
そうすることで、自分のアンテナがようやく敏感になってくれる。
自分の好きなもの、欲しいもの、必要なものが見えてくる。そう思います。
偉そうに語ってますが、わたしもまだまだ途中です。(まだクローゼットの整理も途中です…)でも、少しでも早く過去のわたしみたいに思い悩んでいる人がいなくなればいいなあと思って公開してみました。ほんとしんどいですよ、自分を常識でガチガチに固めるのは。
そんなことを考えながら、今日も一日を送りました。
さて、明日もがんばりますか。
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