この文章を書くまでも、この文章を書いている最中も考え、悩みながら書いています。
よく「悩む」と「考える」ことは違うことだと言われます。
このように分けられているのですが、現在の世の中では、「考える」ということがとても重視されています。
なぜなら、「悩む」ということ。
これには、一般的に答えがなく、悩むこと自体時間の無駄であるという考え方が浸透しているからです。
しかし、ボクはこんな考え方に一石を投じたい気持ちがあります。
先に、結論を言いますが、両方大事なんです。
今回の書く文章は「悩む」ことの重要さです
ボク自身、ここまでの考え方に至るまで、かなりのエネルギーをかけてきましたし、いろんな壁にぶつかりました。
それは、時間にして、30年近いでしょうか?
ボクのこれまでのささやかな変化を、このブログや知っている人に届けることができたら幸いです。
少し、単純化しすぎているかもしれませんが、 ボク自身の考え方を参考にあなたの人生を今よりも有意義なものにできると思います。
「考える」ことについて
先に、考えることについて述べていきたいと思います。
考えることとはどのようなことでしょうか?
また、なぜ考えるのでしょうか?
このような問いに答える形で思考を進めていきたいと思います。
考えるとは、実際にどのようなことか?
考えるとは、ある目的があってその目的を達成するためにはどうすればいいかをあれこれと頭の中で試したり、想像したりすることです。
例えば、
・ある綺麗な女性(かっこいい男性)と付き合うために、彼女の趣味や見た目の好みを調査して、服装を変えてみたり、デートのお店を選んだりしたりすること
・東京大学に入るために、どのような勉強をして、どのような時間配分でやればもっとも成功確率が上がるかを調べたり、試したり、反省したりすること
・サッカーの一流選手になるために、どんな練習をするかをあれこれ想像したり、調べたり、試したり、反省したりすること
以上の例からわかるように、考えることはある目的を出発点として、目的を達成するために様々な手段を調べたり、試したり、反省したりすることです。
では、次になぜ考える必要があるのでしょうか?
こういう問いに答えたいと思います。
なぜ、考えるのでしょうか?
考える原因(動機)はとても簡単です。
目的があるからです。
ボクも、あなたも、誰しもも、それぞれ目的を持って行動しています。
人である以上、
こういうのはどんな時も目的を持って行動しています。
本当にどんな時も目的を持っているのか例を持って考えてみましょう。
例えば
・空腹を満たしたいけど、自分で作ったり外に出るエネルギーを使いたくない。と言う目的があったとします。そして、僕らはデリバリーを頼んで自分の空腹を満たしつつ、エネルギーを節約する。
・仕事で社内で売上ナンバー1をとると言う目的があったとします。そして、そのためにただ単に営業先を多くするのではなくて、お金のある営業先を重点的に回る。
・一流のパティシエになるという目的があったとします。そして、そのためにフランスの一流のパティシエの元で修行をして、技術を盗む。
このように目的には長期的なものから短期的なものがあります。
さらに、違う視点から考えると生理的な目的から心理的な目的まで様々なレベルの目的があります。
以上の例から人はある目的から逃れられないということがわかります。
そして、これらの目的を達成するために必要なことは達成するための手段です。
上の例でいえば、
目的があるからデリバリーを頼む・お金のある営業先を重点的に回る・一流のパティシエの元で学ぶと言う具体的な手段が考えられます。
逆に言えることは、短期・長期もしくは生理的・心理的な目的にしろ、
達成するための具体的な手段なしに目的を達成することはできません。
目的を達成するために、どのような手段を使って達成するのか?
そして、実際の状況からどのような手段が使えて、どのような手段を採用し、その手段の効果を評価し、次の一手をどのようにするのかと言うことを絶えず考えています。
以上では前提として、具体的な目的がある場合について述べてきました。
目的が無い場合
以下では本当の意味で目的がない場合について考えていきたいと思います。
本当の意味で目的がないということは、楽をしたい・楽しみたい・生きたい・と言った生理的なレベルから世界で活躍したい・社内で一番になりたいなどといった心理的なレベルの目的なしに考えることです。
実際、上の方でも示していますが、
人は目的なしに行動することはできません。
しかし、あえて考えてみましょう。
と言っても、
想像してみると、
目的なしに考えを巡らすことは不可能だということに気づくはずです。
例えば
・目的なしに家でだらだらする。
→家から出てエネルギーを消費するのを防ぎ、不得意な人付き合い避けるため。
・目的なしに旅に出る。
→何か人生には自分が見たことが無い世界、触れたことが無い価値観があるのでは無いかと探しに行くため。
・目的なしに友達と会話する
→友達と一緒にいること自体が安心感を覚えるので、一緒に過ごして精神を安定させるため。
このように目的なしに行動しているようで、
目的を持って行動していることが多々あります。
ただし、それが意識的に行動している場合と無意識的に行動している場合があります。
その点、自分自身では気づきにくいかもしれません。
以上の目的がある場合と目的が無い場合(厳密にはある)を整理してみると、
私たちが考えている時に対象としているものは、手段だということがわかります。
さてさて、ここで疑問が浮かぶのではないでしょうか?
目的も考えることができるよ!と。。。
目的も考えることができるのか?
さて、目的も考えることができるのでしょうか?
目的にはレベルがあります。
先にそのレベルについて考えていきたいと思います。
ここで言うレベルは上手い下手と言ったレベルではなくて、
抽象的か具体的か?原因か現象か?原因か結論か?一般か特殊?と言ったレベルです。
では簡単な例で目的にはレベルが存在していることを示していきたいと思います。
- 目的①
- 目的①を達成するための目的②
- 目的②を達成するための目的③
- 目的③を達成するための目的④
長期的な目的であればあるほど目的を達成するためには以上のように細かく目標を分けて達成する必要があります。また、図では手段が2パターンしかありませんが、実際にはもっとあるでしょう。
私たちが考えているつもりになっている目的は、②、③、④のことです。
①を達成するために②③④を考えているのです。
言い換えると、①を達成するための答えが②③④なのです。
では①はどのように設定するのでしょうか?
実は、①の設定は非常にエネルギーのいる作業です。
なぜなら、①の目的を設定するためには、自分の価値観や物事に対する考え方、個人の世界観などが大いに影響し、自分が何を大切にするかによって、何を目的とするかが決まってくるからです。
単純に手段を考えているだけでは、目的を決めることはできません。
私たちは、自分自身で自分自身が何を大事にしているのか?
どんな価値判断を持って物事に対して決断を下しているのか?
と言うことを考えなければ、自分の目的を決めることはできません。
というのも、私たちは個人によって何を大切にしているか違います。
例えば、
- 自分が一番大切
- 他人が一番大切
- 自分も他人も大切
以上の例から想像してみると何を大切にするかによって、何を目的に行動するかが違ってくることがわかります。
別の言い方をすると、何に価値を置くかと言えます。
例えば、究極の選択をするときに自分が何に価値を置くか考えてみると面白いかもしれません。
- 家族と恋人がいる家で火事が起きて、助けることができるのはどちらか一方。
- 自分の時間を優先するか家族の時間を優先するか
- 世界で1番のスポーツ選手になるために、今の友人関係を捨てれるか
などなど。
自分が意識的にしろ、無意識的にしろ、目的①を決める際は自分の価値観によって、目的を設定しているのです。
ちょっと、長くなったので、続きは明日にします。
さて、明日もがんばりますか。
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