さて、東京から名古屋へ。
次の打ち合わせ先に向かっています。
昨日の記事で上げた内容の続きといえば続きになるかもしれません。
なんだかんだで、話の長い人というのは、聞いている方は、結構しんどく疲れてくることがあります。
それが、お互い会話が弾んで長くなる分には、さほど問題ないかもしれません。
しかし、自分のことだけを一方的に「聞いて、聞いて」となると、最初は聞いてくれるかもしれませんが、長くなるにつれて相手にとっては、苦痛の時間になっていくことが多々あるものです。
話が単に長いだけであれば、まだマシかもしれません。
聞き手側も興味がそそられる話であったり、なんとなく共感が持てるような内容であったり、聞いていてもさほど苦にならないようなことであれば、それはなんてことはありません。
でもその長い話の内容というのが、誰かの「愚痴」であるとすれば、最初はまだ愚痴ぐらいきいてやるかと思っていても、それがまた延々と続くような愚痴であるとすれば、それは聞いている方も間違いなくうんざりしてきます。
「愚痴」が多い人は自己中な人が多い
友人で、普段は大人しいはずなんですが、やたら愚痴の多いという謎の人がいました。
今でも、たまに飲みに行ったりするのですが、まぁ会えば、とりあえずは愚痴を聞かされます。
それも、何年も前に辞めたいくつかの会社の愚痴であったり、現在の会社の愚痴であったりするわです。
いや、マジでよもやです。
ボクは黙って聞く時もあれば、共感したり、助言したり「聞くの疲れたからもういいよ」と打ち切ったりしていますが、何年も前のことをよくも、まぁここまで引きずれるものだと感心します。
また、他には、現在関わっているコンサル先でも同じですが、これまた、同じ内容の愚痴を何度も何度も繰り返し話す人が居たりするわけです。
3回や、5回などではありません。
もう20回ぐらい同じ内容の愚痴を聞いているかもしれません。
しかも、それがいくつもあったりします。
こんな愚痴を延々と何度も聞かされていると、まじめに聞いていたらこちらがノイローゼになってしまいます。
これらの愚痴の長い人、愚痴の多い人に共通することがあります
それは、「承認欲求」が強いこと、「自己中」な傾向が強い人が多いです。
単発な愚痴であれば、多かれ少なかれ誰でも言ってしまうことがあるでしょう。
イヤなことがあったり続いたり、疲労の蓄積によりストレスを抱えてしまったりと。
そんなとき、ついつい愚痴を言ってしまったとしても、誰かに聞いてもらうことによってスッキリしたり落ち着いたりすることはよくあります。
愚痴を聞いてくれた相手に感謝しつつ、自分も冷静になれるのであれば大いに吐き出すことは必要かもしれません。
誰だって少なからず不満などはありますし、少しの愚痴も言わないほどみんな強いわけではありません。
しかし、愚痴がいつまで経っても治まらなかったり、何度も同じ内容の愚痴を言っているのであれば、基本的にはその人はスッキリすることはないでしょう。
そして聞いてくれている相手のこともお構いなしな傾向があります。
つまり「キリがない」ということです。
この手の人というのは、基本的に息を吐くように愚痴をこぼしたり、自分のことは思いっきり棚に上げて人の愚痴に際限がないのです。
とりあえず「長い愚痴」は無理に聞こうとする必要はない
愚痴の長い人、愚痴の多い人、これらの人の話は無理して聞いてあげる必要は基本的にありません。
なぜなら、上で書いたとおり「キリがない」からです。
つまり、いくら愚痴を聞いてあげても、その人の気持ちが落ち着くことはないことが多々あるからです。
もちろん、相手はキリがないといっても、聞いてもらえればその場は多少スッキリするかもしれません。
しかし、一時スッキリしたとしても、しばらくすれば、また愚痴りたいことがすぐに復活するものです。
上でも書いた通り「単発な愚痴」であれば、相手に合わせて聞いてあげて、ただ聞くだけであったり、共感してあげたり、助言をしてあげたりすれば良いです。
しかし、もし相手の愚痴が長かったり、しょっちゅう聞かされていたりして、聞くのにうんざりしているのであれば、いっそのことなるべく愚痴を聞かされる相手から遠ざかるべきです。
遠ざかるとは以下のようなことでしょうか?
- 必要以上の会話はしないようにする
- 愚痴が始まっても用事を理由にその場から離れる
- 愚痴が始まったらなるべく会話内容を逸らす
- 愚痴が始まったらある程度露骨に聞きたくない態度をとる
遠慮なんかいりません!
遠慮と貧乏はするだけ損です。
これは、自分の身を守るのにとても大切なことなんです。
相手にもよりけりですが、もし自分が愚痴を聞かされて「うんざり」しているのであれば、相手には少し可哀想かもしれませんが、「私はあなたの愚痴を聞きたくない」という態度をとるべきだと思います。
相手にある程度わかるように…
相手の長い愚痴を聞いてあげれる器量があれば、別に聞いてあげればいいですが、そうでなければということです。
別に人の愚痴を延々と聞いてあげることが人間として、器がでかいというわけではありません。
下手に良い人ぶっていたり、ノーと言えずに言い成りで聞いていたりすると、いつのまにか自分自身が「愚痴が多く」なってしまうなんてことがあります。
これってすごい怖いことなんですが、実はよくあることでもあるんです
これは一種の愚痴の「伝染」です。
愚痴が多い人を批判して愚痴るのもそうです。
「あの人愚痴が多くてほんとイライラする!」
「あの人は他にもあんなことやこんなことがあって・・・」
なんて、気が付いたら、「自分も他の人に愚痴ばかりを言ってしまっている」かもしれません。
どういうことかというと、愚痴ばかりを言う相手の「常にイライラしている感情」が自分にも移ってくるのです。
もう空気感染と一緒です。
そのイライラがいつのまにか自分の心で増幅し、「イライラ=愚痴の始まり」というゾンビのような結果につながります。
これってホント結構恐ろしいことです。
離れることにより相手もなんとなく気付く
愚痴が多い人には、徐々に人は寄り付かなくなっていきます。
これはやむを得ないことです。
かわいそうかもしれませんが、実はかわいそうとも言い切れません。
愚痴の多いこの手の人は、周りから徐々に人が離れていくと更に愚痴が加速していくことでしょう。
しかし、周りがどんどん自分から離れていくことにより、自分の言動を省みることがあります。
逆に言うと、周りに誰も居なくなる、そんな状況にならないと気づかないということがあるということです。
そうであるとすれば、下手に愚痴を聞いてあげているが故に、その人は愚痴クセが治らないということもある。かもしれません。
これらのことをまとめると、もしこの人の愚痴は「キリがない」と判断し、そして自分自身が正直「うんざり」しているのであれば、
- 愚痴を聞く必要はない
- その人から離れてもしょうがない
- 自分が伝染しないように注意する
これらを自分に言い聞かせるのも必要ではないかとということです。
いかがでしたでしょうか?
会社や仕事関係、夫婦などの家族間での人間関係で、簡単に愚痴の多いひとから「離れる」というのは難しい場合が多々あります。
ですのでケースバイケースではありますが、やはり何でも聞いてあげる「お人好し」や「ノーと言えない」などでは、いずれ自分に害が及ぶことでしょう。
相手の愚痴のために、自分が疲労したり、ストレスを溜めこんだり、伝染して愚痴っぽくなってしまったり・・・
よくある話かもしれませんが、実際は「まぬけ」な話です。
自分の身は自分で守る術を身に付けなければいけないなぁ…と、そんなことを思った一日でした。
さて、明日もがんばりますか。
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