朝からマッサージの催促をされております。

人生とは、山あり谷ありであり、楽しいことも嬉しいこともあれば、辛いことや悲しいことも様々にあります。
これは、人間誰しも、多かれ少なかれ「必ず」訪れるものであると思います。
その中で、やはり一番避けていきたいことは、辛いとき悲しいときに自分に負けてしまい、そのまま間違った方向に歩んで行ってしまうことです。
「本当の自分」とは、本当にそんなに弱いのか?

奥さんとご飯を食べながら、話していたんですが…
ものごとが上手く行っているとき、仕事や家庭、交友関係などが順調にいっているときで、生きがいや、やりがいが有って楽しいこと嬉しいことが続いているとき、そんなときは100歩譲ってまぁ良しとします、…というより、置いときます。
しかし、何かにつまずいているとき、何をやっても上手くいかないとき、心が悲しんだり廃れて(すたれて)いるときなどは、生きていることや、生きていくことが辛くなっていくことがあります。
人生において、ものごとが上手くいかないときなんてことは、誰にでも訪れるよくある普通のことでもあります。
ある意味、当たり前のことでもあるわけです。
その状態を改善しようとして、努力したり右往左往したり、いっそのこと諦めて流れに身をまかせたり、そのような立ち回りが出来れば良いのですが、ここで妙に焦ってしまったり、心を痛めてしまったりすることが、人間を不幸にしていく分岐点にもなります。
ものごとが上手くいかないから不幸になるのではなく、上手く行かないことによって心を痛めてしまうことが不幸をもたらすのです。
そして、心を不幸にしてしまった人は、徐々にその原因を「自分の責任」にしたり「他人の責任」にしまいがちになっていきます。
- 自分は何をやってもダメな人間だ
- 自分は何も持っていない
- 自分はなんて弱い人間なんだ
- 誰々が自分に良くしてくれないから
- 誰々が自分のことをわかってくれないから
- 何で自分ばかり損をしなくてはいけないのか
- 自分は何でこんなにひがみっぽくなってしまったのか
- 自分は何でこんなに他人の目が気になるのか
- 自分は何でこんなに弱くなってしまったのか
しかし「本来の自分」「本当の自分」とは、もっと明るかったり、楽しいことが好きであったり、人にやさしかったり、思いやりがあったり、苦難にも立ち向かう強い心があったはずです。
子供の頃を思い浮かべるともっと明るかったときがあったはずです。
学生の頃を思い出すともっと色々なことにチャレンジできたはずです。
小さい頃から何をやっても上手くいかず、友達がほとんど居なかったり、勉強が出来なかったとしても、本来の心の奥底では、明るい自分が居たり、人にやさしくしたい思いやりがあったりしていたはずです。
もちろんそうでない例外な人もたくさんあるかと思いますが、「本来」は、人間誰しもがこのような強くやさしい想いがあるはずです。
もし、自分が今不幸であると感じていたり、何をやっても上手くいかないと心を痛めているのであれば、それは「自分を見失っている」可能性があります。
そんなとき、ボク自身は、このように自分に言い聞かせることがあります。
- 「本当の自分(昔の自分)はこんなに愚痴っぽかったっけ?」
- 「本当の自分(昔の自分)はこんなに僻みっぽかったっけ?」
- 「本当の自分(昔の自分)はこんなに心を痛めてそんなに弱かったっけ?」
- 「本当の自分(昔の自分)はもっと明るかったし強かったはずだ」
と。
本当の自分を「思い出す」
前にも書きましたが、心が病んでいるときの自分は「本当の自分」ではありません。
誰かを僻んだり、妬んだりしたり、自分を責めたり他人を責めたりする自分は本当の自分ではないのです。
なぜなら、そんな風に思ってしまう自分を「本来」は望んでいないからです。
誰だって、自分を責めたり他人を責めたり、誰かを僻んだり羨ましがったりしたいはずはないのです。
ですので、そんなとき(心が辛いとき、心が病んでいるとき) は、本来の自分(昔の自分)を「思い出して」みるのも改善の一つの方法だと思います。
- 自分が損得無しで人にやさしく出来ていたとき
- 困っている人が居れば自然と手を差し伸べていたとき
- どんな人にでも思いやりを持てていたとき
- 辛い状態や困難な状況でも明るく立ち向かっていたとき
- ダメで元々と怖がらずにチャレンジ精神を持っていたとき
- 弱音を吐かずに努力し続けていたとき
他人は関係ありません。
誰々よりも優れていたときとか、勉強や仕事の成績が一番良かったときなどといったことではなく、内面的に自分が一番輝いていたときを思い出してみるのです。
ここで注意しないといけないのが「ものごとが上手くいっていない=本当の自分はもっと出来るはずだ」という話ではありません。
昔は、勉強や仕事の成績や交友関係が良かった自分が本来の自分であり、何事も上手くいっていない、今現在の自分は本来の自分ではない…ということではないのです。
それは、どちらも、本来の自分の姿です。
そうではなく、この記事で書いていることは、内面の心の状態の話です。
苦難にも、負けずに強くあろうとする心の問題の話です。
さて、こんな記事を書いたのも、やはり、昨今は心を病む人が多く、心が弱い人も多いなと常々思うことがあります。
それは昨今の社会情勢にも原因がありますし、親や社会を含めた教育の問題もあります。
家庭内の問題かもしれません。
それでも、一度や二度上手くいかないことがあるとすぐに挫折してしまう人が多いこと。
そして、心を病んだうつ病になってしまったり、引きこもりとなって社会に復帰したがらない人など、そんな勿体ない人が世の中たくさん居ます。
そういった人たちというのは、得てして「自分は弱い」と感じつつも「自分はこんなに弱くない」という矛盾を抱えた人に多いのかもしれません。
そんなときは、自分なんてこんなもんだと「弱い自分」を認めるとともに、「本来の自分」をぜひ思い出してみるといいかもしれません。
ここまで、まとめてみましたがいかがでしょうか?
まぁ、簡単に言うとディズニー映画の「ライオンキング」です。

死んだ父ちゃんが息子(シンバ)に、
「思い出せ」「思い出せ」・・・
と言うやつのような感じですかね?
ちょっと違うのかなもしれませんが・・・?
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