やる気が結果に影響を及ぼすこともあるが、結果が求められる場合には、やる気だけでは意味がない

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宮古島から京都に戻りました。

帰ってきて、すぐにいくところがありまして…

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ボクが、お金だとか、地位・名誉を関係なくしてでも関わりたいお店。

どうしても力を入れたくなっちゃうお店。

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今日は、そこで経営者が集まる会があると聞いて、荷物を持ったまま早速伺ってきました。

そこで出てきた言葉が、「やる気」「ガッツ」という言葉だったんですね。

「やる気」「ガッツ」…というものが、評価対象とされることが多々あります。

このことに対して、少々疑問を感じているのです。 

やる気だけでは意味がない

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この「やる気」「ガッツ」が結果に影響を及ぼすこともあるので、やる気が評価対象となることは理解できないわけではないのです。

しかし、結果が求められる場合には「やる気」「ガッツ」だけでは意味がないんですよね。

結果が求められる場合には「やる気」「ガッツ」があろうとなかろうと、結果を出すことが必要なのです。

いくら「やる気」「ガッツ」があっても、結果が出せなければ、その人は無能だし「やる気」「ガッツ」が見えなくても、結果が出せれば、その人は有能なのです。

例えば、仕事では直接的・間接的に関わらず、会社に利益をもたらすことが、被雇用者には求められます。

そして、その対価として給料が支払われるのです。

つまりは、仕事においては「やる気」「ガッツ」など無意味なのではないでしょうか?

「やる気」「ガッツ」があろうとなかろうと、利益という結果を出してくれることが、最も重要なのだ。

それにも関わらず、仕事では「やる気」「ガッツ」が重視されることが多々あるように思います。

酷い場合だと「やる気」がある、「ガッツ」がある(実際にはどうかわからないが…)ように見える、見せているだけで、大した結果を出していない人が、「やる気」がない、「ガッツ」がないように見えるだけで、大きな結果を出している人よりも評価されている場合があるわけです。

そんな会社では、結果が出せない「やる気がある」アピールばかりしている人が幅を利かせ、「やる気がない」ように見える、成果を上げている社員はすぐに退職をしています。

そして、社内は、やる気アピールに注力する人ばかりになり、グダグダ感が溢れるようになるのではないでしょうか?

結局、やる気アピールばかりしている人は、それしか自分が評価される武器がない、何もできない人なのだろう。

ボクは大した器を持ち合わせていない人間なので、やる気アピールばかりで、結果を出せない無能な人が大きな顔をしているのを見ると、見苦しさを感じずにはいれないのです。

やる気だけの人は、他者のやる気を非難する

先程から出ている「やる気」のある人(ここでは、やる気しかない人、やる気アピールばかりする人のこと)は、他者のやる気を非難したがるわけです。

そう、決まって出る言葉は「あいつは、やる気がない」といったようにです。

これは、つまるところ、「やる気」しかアピールできるものがないので、他者の”やる気”のなさを主張して、「自分はこんなにもやる気があるんですよ」と自分の評価を上げようとする行為なのです。

目も当てられないみっともなさだと感じずにはいられないのだが、こういう人が一定数いることも事実なんですよね。

結果を出すことが必要な場面では、こういう人には決してだまされないよう、物事を見極める目を養いたいものだと思います。

やる気なんて見えない

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世間で言われている「やる気」というものは、形があるものでも、目に見えるものでもないのです。

例えば、積極的に行動している人が「やる気」があると見なされがちだが、行動が消極的だからといって、「やる気」がないということにはならないのです。

単に物事に対するアプローチの方法が異なるだけかもしれないからです。

積極的に行動するだけで、言われたことも教えられたことも満足にできない人をやる気があると言えるでしょうか?

行動が消極的というだけで、言われたことや教えられたことを、きっちりとできる人のことをやる気がないと言えるのでしょうか?

結果に関わらず、積極的な行動をする人をやる気がある、消極的な行動をする人をやる気がないと見なす人もいれば、行動の積極性・消極性に関わらず、言われたことも教えられたことも満足にできない人をやる気がない、言われたことや教えられたことを、きっちりとできる人のことをやる気があると見なす人もいるでしょう。

結局のところ、やる気の評価なんて、評価者の主観によって異なってくるんじゃないでしょうか?

結果を求められる場面で、やる気などという個人の主観によって評価が異なるものを、評価対象にしてはいけないんじゃない?って思ったりします。

もともと、個人の主観で評価を変えてきたから、その痛みがわかる今なんですけどね。

結果を求められる場面では、結果のみを評価対象とするのがいいのかもしれません。

やる気などというものばかりに頼っていては、いつか何の結果も出せなくなってしまうことでしょう。

実は、やる気がある、ガッツがある…って、めちゃくちゃレッドオーシャンなんですよね。

そんなことを感じた夜の宴でした。

帰って、明日の準備をしよう。

さて、明日もがんばりますか。

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