今日から宮古島に入りました。
ほんと、自然が素晴らしいです。
さて、今日は、何をもってダメ人間とするのかについてです。
ここの部分に関しては、人それぞれ考え方があると思うんです。
ところが、自分のことを「ダメ人間」だと思い込んでいる人もいるはずです。
ボク自身も、よく自分は「ダメ人間だな」と思ったりしていた部類です。
自分は、ダメ人間だから、何をやってもダメだからと、言い訳することもあると思うんです。
しかし、自分を「ダメ人間」だと思っていて、それを変えたいと思っているなら、労力と時間を惜しまずに、手間暇をかけるしかないのかなと思ったりします。
ダメ人間から脱却したければ、手間暇かけるしかない
料理でも、素材が良ければ、手を加えなくても美味しくいただけますが、ダメな素材は下処理等に手間暇をかけないと美味しくないどころか、不味くて食べられないなんてこともあります。
基本的には、人も同じです。
今ある自分は、未来から見れば素材みたいなものです。
ダメ人間ということは、今の時点では、ダメな素材と言うことです。
ここから美味しく、少なくとも食べれる状態にするには、手間暇をかけるしかありません。
何に使っても100%美味しくなる調味料がないように、簡単にダメ人間から脱却する方法はありません。
天から何か降ってくるわけでも、周りが自分をより良くしてくれるわけでもありません。
手間暇をかけ、工夫を凝らして美味しくなるよう調理するように、労力と時間を惜しまず、より良い人間になれるよう考え、努力するしかないのです。
簡単にダメ人間から脱却できる方法があれば、教えていただきたいです。
手間暇かけても、上物になれるとは限らない
ただし、手間暇をかけたから、上物になれるとは限りません。
ダメ人間なのであれば、それはダメな素材です。
ダメな素材に手間暇をかけたとしても、良い素材でなおかつ手間暇をかけた料理には敵わないように、ダメ人間がどれだけ手間暇をかけたとしても、良い人間で手間暇を惜しまない人には敵わないことでしょう。
また、良い素材が大した手間暇をかけなくても、そこそこ美味しい料理になるように、良い人間はそこまでの手間暇を必要としません。
ダメ人間は、良い人間以上の手間暇をかけて、やっと並程度でしょう。
ダメ人間が手間暇をかけたところで、せいぜい美味しい料理程度にしかなりません。
ダメ人間は手間暇をかけたところで、せいぜい人並みか中の上程度の評価しか受けれないのが関の山です。
ダメ人間は何倍もの手間暇をかけて、はじめて上物になれるかなれないかぐらいの所に行ける程度でしょう。
自分はダメな人間だからと、言い訳して、諦めて、見た目だけそこそこ美味しそうに見えるように取り繕っても仕方ないと思います。
他者からダメ人間と思われると並の手間暇ではダメ人間のまま
上の繰り返しになりますが、他者からダメ人間と思われている場合は、並の手間暇程度では、ダメ人間のままの扱いしか受けません。
人より手間暇をかけて、やっと人並み程度の評価が受けられるかどうかといったところです。
ダメ人間と思われてしまうと、それが事実であろうとなかろうと、人より頑張って、やっと人並み程度の評価しか受けられないのです。
理不尽だと思いますが、事実ですし、仕方のない事です。
ダメ人間と思われてしまった時点で、人並みの手間暇では良い評価は期待できません。
もし、他者からの評価を、良い評価に変えたいのであれば、人の何倍もの手間暇をかけるしかありません。
伝わりましたでしょうか?
ダメ人間が悪いとは思いません。
ダメ人間のまま生きていくというのも一つの選択です。
ダメ人間は人並み以上の手間暇をかけて、やっと人並み程度の評価しかされないのですから、手間暇をかけるのがあほらしいというのも、一つの事実です。
自分がダメ人間でもいいと思える人、他者からダメ人間と思われていても別に自分が納得していればいいと思える人は、手間暇をかけるなんて非効率的なことをする必要は全くありません。
他人にそれを否定する権利なんてありませんし、否定してくる人はダメ人間以外の何者でもないので放っておけばいいのではないでしょうか?
しかし、自分がダメ人間だと思っており、それを変えたい人、他者からダメ人間だと思われており、それを変えたい人は手間暇を惜しまず、コツコツと自分を高めていくのがいいんじゃないかと感じた一日でした。
さて、これから、いつも馴染みのお店でメンバーと晩ごはんをいただきます。
さて、明日もがんばりますか。
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