人は他者に認められてこそ存在できるが、必要以上に人の目が気になることを克服するのは難しい

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さて、今日から未来共育学園さんと、未来学園HOPEさんの合同により企画で宮古島に来ています。

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やっぱり、宮古島サイコーーーです。

いつ来ても、本当に美しいですね。

さて、一緒に来ている子どもたちと話していて、話題になったことから今日は記事にしてみたいと思います。

程度の差はあれ、人間は誰でも、人の目というのを気にしているものだと思います。

ここでいう「人の目」とは、他者からの評価であったり、どう見られているかという意味のものです

ネットで検索すれば、人の目が気になる人に向けた克服方法が書かれた記事もあります。

人は、他者に認められてこそ存在できる

人の目が気になる理由を考えると、人は他者に認められてこそ存在できるからということに行きつくのではないかと思います。

他者と全く関わらずに生きている人がいるのかどうかはわかりませんが、他者と全く関わらずにいると、自分の存在感や、存在価値といった感覚が希薄になるのではないでしょうか?

物体としては存在していても、誰とも関わらず、誰からも必要とされず、誰にも影響を与えないような人は、他者からしたら、いてもいなくてもどうでもいい人です。

これはそこにその人が存在していないことと同義だといえます。

誰かと関わり、誰かから価値あるもの認められ、誰かから必要とされ、誰かに影響を与えるからこそ、そこにその人がいると認識され、そうなって人は初めて存在しているといえるのではないでしょうか?

自分の存在が他者によって規定されるからこそ、人の目を気にするのではないかと思います。

人並み以上に人の目を気にしてしまう人は、自分の存在感や存在価値が希薄で、自分の存在を強く確認したい人なのかもしれません。

ちなみち、人の目を気にしないという人がいますが、これを言う人は嘘つきか、自分で自分の価値を規定できる自己愛の強い人なのではないかと思います。

そもそも、人の目を気にしないのなら、それすら人に言う必要なんてないですから。

一体何アピール?と思ってしまいます。

人の目を気にしない人と認めてくださいね、と人の目を気にしてアピールしているか、「俺(私)って価値があるだろう。皆もそう思ってるだろ」と思い込んでる人なんでしょうね。

必要以上に人の目が気になることを克服するのは難しい

人の目が気になることを克服したいという人がいます。

人の目を気にしすぎて、自分らしさ(自分で思う存在価値等々)が損なわれているからと感じることが、克服したい理由のようです。

しかし、人の目を気にしなくなったとしても、あなたが思うあなたらしさと、他者が思うあなたらしさが一致するとは限りません。

この不一致が起こり続ける限り(というかずっと起こり続けます)、自分らしさが損なわれているという感覚はぬぐえないのではないでしょうか?

こんな記事も過去に書いていました。

https://koichan8888.com/archives/5021

そうなればまた、人の目を気にするということになります。

ずっと繰り返しじゃないですね?

人の目を気にするのが、良くも悪くもあなたらしさです。

社会の中で他者と関りながら生きている人間であれば、人の目はある程度気にするほうが、健全だと思います。

あなたがなりたい自分、こうありたい自分というものと、他者が見るあなたというものが一致することはありません。

なので、他人の目を気にするということを気にすることを辞めたほうが、気楽に生きられるかもしれません。

IMG 2395 - 人は他者に認められてこそ存在できるが、必要以上に人の目が気になることを克服するのは難しい

そんなこんなでブログをまとめていたら、晩ごはんの準備が完了しました。

これから一緒に、子どもたちと一緒に晩ごはんをいただきたいと思います。

さて、明日もがんばりますか。

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