今の教育現場って責任逃れが最重要になっているような気がするんですけど、どうですか?

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さて、昨日から京都にいたわけですが…

昨日は、未来共育学園さんが主催されているロケット教室に参加してきました。

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ふと、子どもさんたちと触れ合っていて思うことがありました

いじめで自殺したというような報道も頻繁に見るんですけど、その際、学校長なり、教育委員会のお偉いさんが記者会見をするのを見ていて、いじめがあったのかどうかや、今後の具体的な対策・対応等が曖昧でよくわからないことが多いんですよね。

公的機関等を利用した時にしばしば感じる、何か説明を聞いたり質問をしても、曖昧な回答ばかりで結局よくわからないことがあるが、それと同じ感覚を持ってしまいます。

この、曖昧・うやむやにする対応こそが、責任逃れに重きをおく、公立学校を含めたお役所仕事の最たる特徴なのかもしれないですね。

あっ、あとは、いつまで経っても教育委員会とかいうポジションに座っているのは、日常会話がロクにできない、あと現代用語についていけてないおじいさん、おばあさんがいるのが問題なのかもしれません。

だって、そもそも、今の子どもたちが流行っているものが、わからないんですから。

そもそも下手なことを言うと叩かれるからやらないという選択

最近では、モンスターペアレンツなどと言われる人が存在するように、真っ当でない大人も多いんですよね。

下手なことを言えば難癖をつけられ、騒ぎ立てられることも多いんですよ。

その子どもの親が自分自身が子どものころにそんなことあった?ってことが起きているのが現状なわけでして…

よく問題解決の面談とか、講師の場面でお話をする機会があると、そもそもの問題点と、あることないことがごちゃまぜになっていて、問わず大事になってしまっています。

だから、先生たちも大変なわけです。

ましてや、ある学校では、生徒の自殺といった大事件にあっては、それこそ下手なことを言っては、マスコミに叩かれ、煽られた世間にも叩かれるのが現実です。

だから、いかようにも解釈できるような曖昧なことを言って、後で難癖をつけられたときに言い訳ができるようにしているのだろう。責任逃れとしか言いようがないんですよね。

公立学校に十分な対応マニュアルもないのだろうから、矢面に立たされる人はある意味では可哀想なのかもしれないが、「それがあなたの仕事なのだから仕方がない」としか言えないし、「自分の仕事には責任を持とうね」としか言いようがないんです。

だって、選んだのは自分なんだから。

辞めて、別な道に歩んではダメだという選択肢を閉ざしているのは自分自身でしかない

よく先生をしている方にも、ご両親にも話をする機会があるんですけど、めちゃくちゃグレてきた自分からすれば、そんなのは大して問題じゃないって思ったりもするんです。

https://koichan8888.com/archives/2274

以前の記事にも書きましたけど「勉強になった」だけで一歩踏み出すかどうかは、本人が決めればいいだけであって、親が決めることじゃない…ってことです。

また、学校でいうならば、先生たちが子どもたちの可能性を潰しているということに親の立場である人達が気づかないのも大問題じゃない?って思ったりもします。

教育現場にいる人が責任逃れを一番に考えてはダメなんじゃない?

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教育現場にいる人が、自己保身や責任逃ればかり考えているのはいかがなものでしょうか?

今、先生という教職でない人たちが、教育現場を変えようしている動きが活発になってきています。

特に、放課後等デーサービスなんかもいい例かもしれません。

ただ、そこにも問題があると思うんです。

子どもが問題を起こした際に、曖昧なことばかり言ってしまっていたら、正直にはっきりと答えなさいと言ってしまうわけです。

子どもが問題を起こして、言い訳ばかりしていたら、素直に謝りなさいと言ってしまうわけです。

そういう指導をしている教育現場の人たちが、責任逃れのために、曖昧なことを言って、言い訳ばかりしていてはなんの説得力もないわけです。

事実、現実などを伝えてあげないとわからないのであれば、どれだけ咀嚼してでも伝えて上げたほうがいいと思うし、言いやすい伝えやすい環境を作ってあげることが大事なんじゃないでしょうか?

確かに、いじめによる自殺というケースで考えれば難しいことも多いとは思います。

いじめに気付かなかった、ということはあり得ないと思ういます。

が、いじめがあったという確かな証拠がなければ、いじめがあったと公の場で言うことは、その後の影響を考えればできないのでしょう。

ただ、教育者なわけですから、いじめがあったかどうか徹底的に調査して、必要に応じて、加害者側にも徹底的に指導して、今後の防止策を策定しないと、誰のためにもならないんじゃないですかね?

ボクは、沖縄から引っ越しをして、そこで現代社会でいういじめに遭い、毎日ケンカの日々でした。

そもそも、いじめに遭っていたという概念すらなかったから、そこが救いだったのかもしれません。

あと、子どものころから道理に外れた行為が許せないという性格でもありました。

ま、大人になってグレてからは、さらに強くなった気がしますけど。

その場は、うやむやになって責任逃れができたとしても、同じ問題がいつ起こるともわからないんですよね。一回うやむやにしてごまかしてしまうと、次に同じ問題が起こった時にビビッて前回以上に何もできなくなります。これは、ボク自身の経験則です。

早い段階で問題解決をしないとボヤで済むところが大火事になってしまう…なんてこともあるわけですから。

教育者としての仕事を徹底的に全うするぐらいの覚悟と責任感がないと、今のご時世、教師なんてやってられないし、やっていけないんじゃないでしょうか?

そんなことを思いながら、教育のお手伝いをさせてもらっていて感じたことでした。

さて、明日もがんばりますか。

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