今日は、東京のとあるところで儀式に参加。
なぜ、ここに来たかというお話は、また今度改めてさせていただくことにします。
そこで、見せていただいた書物。
ふと思うことがありました。
思ったことは、感情をコントロールできないと身を滅ぼすのかもしれないとつくづく感じたのでした。
ただ、自分自身の信念や理念を曲げてまで負の感情を抑え込もうとは思いません。
人間は感情の生き物
かんじょう【感情】
デジタル大辞泉「感情」の解説
物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。快・不快、好き・嫌い、恐怖、怒りなど。「感情をむきだしにする」「感情に訴える」「感情を抑える」「国民感情を刺激する」
人の言動は、この感情に支配されています。
例えば、今、仕事を頑張っているとします。
その行動の原動力は何でしょうか?
「仕事で褒められたことがうれしくて頑張っている」や「クビになるのが怖くて頑張っている」等、元を辿ると、喜びや恐怖等といった感情によるところが大きいのではないでしょうか?
人の言動は、多かれ、少なかれ、感情によって支配されています。
完全に、理性的な人など見たことがないんですよね。
感情に支配されていることが悪いということではないのです。
感情とは、それぐらい強力なものなのです。
感情を表出することの是非
人は感情に支配されているが、その感情を表出することが、必ずしも悪いわけではないと思っています。
あなたが誰かにプレゼントを渡したとして、無感情にありがとうと言われるよりは、喜びいっぱいでありがとうと言われたほうが、嬉しいのではないでしょうか?
このようにポジティブな感情は表出されても、害は少ないのです。
良い人間関係の形成には、必要な時もあると思います。
ただし、自分が嫌いな人が、喜び等のポジティブな感情を表出していると、状況によってはこちらにネガティブな負の感情が生まれることもあるので、ポジティブな感情はすべて表出しても問題ないとは思わないんです。
あくまでもケースバイケースだと思うんですよね。
一方で、怒りや妬み嫉みといったネガティブな負の感情を表出された場合はどうでしょうか?
怒りをぶつけられてうれしいという人は、特殊な癖を持った方以外はそういないでしょう。
怒りをぶつけられて、こちらも怒りの感情をもったり、悲しみの感情をもったりと、負の感情は相手にも負の感情を生むことが多いのではないでしょうか?
ケースバイケースではあるのですが、概ね、ポジティブな正の感情は表出しても害になることは少ないのですが、ネガティブな負の感情の表出は、負の感情の連鎖を生むと言ってよいのではないでしょうか?
負の感情をコントロールできないと身を滅ぼしてしまいます
上記のように負の感情を表出すると、相手にも負の感情が起こり負の感情の連鎖を生み出します。
怒りの感情を表出したことで、その行き過ぎた言動から、相手方にも怒り等の感情が生じてしまうこともあります。
その結果、身を滅ぼしてしまうのです。
このような特殊なケースでなくとも、我々も普段の生活の中で、しょっちゅう怒っている人など、負の感情を頻繁に表出している人に良い感情は持たないのです。
以前は、ボクもしょっちゅう怒っていました。
ともすれば、そういった人は周囲から嫌われ、排除されることだってあります。
これは、意外と実際の体験、経験をしていることです。
だからこそ、負の感情はコントロールしなければならないのです。
負の感情をコントロールするのは容易ではないと思います
負の感情は、正の感情よりもはるかに強い情動を伴うからです。
負の感情をコントロールする方法は一つしかないのです。
我慢し抑え込むことなのかもしれません。
「ここで負の感情をだしたら身を亡ぼすぞ」と言い聞かせるしかない。
探せばもっと効果的な方法もあるかもしれませんが、なんだかんだ言っても、結局は我慢し抑え込むことは多少なりとも必要になるでしょう。
時には、負の感情を適切な形で表出することも必要だと思います。
怒っているのに、それを伝えなければ、相手がいつまでの怒らせるような言動をする場合だってあるからです。
ただし、この場合も、負の感情を我慢し抑えたうえで、適切な形で表出しなければならないんです。
間違っても、感情のままに相手にぶつけるなどしてはいけないんです。
それは、結果的に自分自身の身を滅ぼすことになってしまいます。
さ、明日もがんばりますか。
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