さて、今日も京都で仕事と次の目標に向けての準備です。
世の中には、もっともらしいことを言っているだけの人がたくさんいます。
ボクも含めて、そうだという認識です。
ただ、もっともらしいことというのは、たいして役に立ちません。
もっともらしいことに、信用するということを考えないといけないのです。
もっともらしいことを言う人とは?
つまり、もっともらしいことを言う人。
この定義は、いかにも正しそうなことを言っている人ということである。
こういう人は、いつも正しそうなことを言っているので、常識人と見られ、周囲からの評判は悪くない。
正しそうなことを言っているので、良いことを言っているように思われがちです。
周囲からの上記のような見かたもあり、もっともらしいことを言っている本人も、正しいことを言っている、良いことを言っていると勘違いして、ますますもっともらしいことをまき散らす傾向があるわけです。
はい、ボク自身も、良くそのループに陥ってました。
ちょっと最近は、いろいろ考えて話せるように成長していますが(笑)
なぜ、気を付けたほうが良いのか?
要は、正しそうで、一般的と思われるようなことを言っているだけなのです。
正しそうなことを言っているだけで、言っていることがが必ずしも正しいわけではないのです。
もっともらしいことを言うのは、自分の意見がなかったり、自分の意見を言うことで批判されるリスクやがっかりされることを避けるための自己保身にすぎないのです。
そのくせ、いい格好をしたいからもっともらしいことを言うのです。
言わば無責任な人がそれを隠し、自分をよく見せるための常套手段だったりします。
例えば、誰かに相談事をして、その時は正しそうなアドバイスをくれたと思っても、後で振り返ってみると、「それはわかっている」と思ったり、具体性がなく、良いことを言われたようで、結局、役に立たなかったという経験はないでしょうか?
これは、もっともらしいことを言われているからです。
もっともらしい意見というのは、一般的に正しそうと思われる意見にすぎないのです。
自分自身が余程の常識外れであったり、一般社会から乖離して生活していない限り、少し考えれば、もっともらしい意見にはたどり着くのです。最近のマイブームがどれだけ逸脱しているかを追求するのが趣味だったりします。
それをわざわざアドバイス頂いてもたいして意味はないのです。
他人から言われて、自分の考えは一般的なんだと安心することには大いに役に立ちます。
また、もっともらしい意見というのは、一般的に正しそうな意見にすぎないのだから、個別の事例に合わせた意見ではないのです。
具体性に欠け、あまり役に立たないということは容易に想像できると思うんです。
誰かに相談する場合というのは、他者の意見を聞いて、自分の意見が一般的で正しいと安心したい場合もあるが、その他者の経験や人間性に期待し、個別の独自のアドバイスを欲しいという場合もあると思います。
個別の独自のアドバイスをする場合、それが正しいとも、それで必ずうまくいくとも限らない。
失敗するリスクも大いにあります。
そのリスクを回避し、責任を逃れるために、もっともらしいことを言うのかもしれません。
はい、経験者談です。
そんな中、個別の独自のアドバイスをくれる人は大事にしたいなって思います。
ボクの中での個別の独自のアドバイスというのは、一般論から離れ、自分にはなかった、新たな視点を与えてくれるものなのです。
ボクも大概いろんな方々と出会うので、その新たな視点に関しては、十分に取り入れようとしています。だから、こそ大いに役に立つのです。
行き詰まりを解消してくれるかもしれないのですから。
だから、自分の意にそぐわないものであっても、個別の独自のアドバイスは大事にしたほうが良いと思うのです。
もっともらしいことを言う人は無責任で、そのくせ周囲にはいい格好をしたい自己愛に溢れる人だ
こういう人は、基本的に周囲の人を自分に都合良く扱うことしか考えていない。
表面的なもっともらしいことに、決して信用してはいけないんだなって思うわけです。
ついこないだも、こんなブログ書いてたな。
さて、明日もがんばりますか。
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