気遣いができる人とできない人、何が違うかは、ちゃんとその人の事を見てるかどうか

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そんなわけで、今日は久留米へ向かいます。

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昨日は、森羅万象なとってもスペシャルなカレーを友人に紹介してもらってお店に行ってきました!

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美しすぎるでしょ!

マジで、ハンパなさすぎる。

映える料理なら誰でも作れるって思うんですけど、ここはタダタダ映えて流だけじゃなかったんですよね。

もう、ちょっとした小宇宙なんじゃないか?って思うぐらいの感動だったわけです。

こうして新しい出会う人もいるし、タイミングが悪くて出会わなくなる人もいる。

まー。ある意味ですけど、声掛けたもん勝ちみたいなところありますかね。

ホント。ムリな時はムリって言うし、その積極性って大事だなーって思ったりもします。

ちなみに、いろいろ面倒な人とは、もう付き合わない方がいいかな…って、変な確信をしてしまったのも昨日だったりします。

あ。ごめんなさい。独り言です。

で、昨日のブログは読んでくれましたでしょうか?

意地と根性だけうまくはいかないよ!ってよく人は言うけど、逆に意地と根性くらいなかったらうまくいかない

一部抜粋して、お伝えしますね。

意地と根性だけで人生が、仕事がうまくいくと思ったら大間違いじゃないでしょうか?そんなんでうまくいくならみんなやってるって話じゃない?って、昔の人だけが言うと思いきや、なにげにボクらの世代でもよく聞くセリフだったりしませんか?

でも、逆に意地と根性くらいなかったら、人生何をやってもうまくいかないと思うわけですよ

ええ。

意地と根性だけで、上手くいくなら、みんな上手くいってますから…

だから、改めて思うんです。

本気で向き合う人としか付き合っても仕方がないな…って、なんか変な確信をしちゃいました。

ボクと仲良しな人たちは、みんなそんな人ばかりです。

だからボクは彼らが好きで、彼らもボクの事が好き。これ当然ですよね。

逆に気遣いができない人とはそこまで仲良くなれないし、ならない。

マジです。

ボクと会った人は、何回も言ってますし、記事にも何回かしたことがありますが、もう1回書きたいと思います。

自分で自分を気遣いができる人だと勘違いしていることが、人間関係で苦労する原因なんですよね

「自分で自分を気遣いできるという認識は、ただの自分の勘違いだった」と自覚して反省できればいいと思うんですが、どうもこの手の人はシンプルに自分が勘違いを起こしているという不事実を認識する能力はないんです。

あるいは、認識しようとしても精神的な苦痛を感じて他責に走ってしまう事が多いように思えます。

「自分は気遣いできる」という盛大な勘違いをしている時点で「自分=良い人」という認識なんでしょうか?

自分を善人だと思っている人ほど、自分の醜い部分を認める行為はシンプルに苦痛に感じるからこそ、認めようとしない…とも。

全員に同じ事すれば、全員に当てはまるわけじゃない。なんでもすりゃいいってもんじゃないんです。

真の気遣いってそこじゃないってボクは思ってます。

気遣いができる人とできない人。

何が違うかって、それはちゃんとその人の事を見てるかどうかなんじゃないでしょうか?

はい。

今日は以上ですー。

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