ふと、この画像が思い浮かびました。
あなた…
『覚悟して来てる人』
…ですよね
人を「始末」しようとするって事は
逆に「始末」されるかもしれないという危険を
常に『覚悟して来ている人』ってわけですよね…
このセリフは、涙目のルカというギャングの1人を殺したジョルノを始末しに来たブチャラティに対して言ったジョルノのセリフです。
殺しに来るということは逆に返り討ちにあって、自分が死ぬ可能性も覚悟しているのかを問うセリフであり、ジョルノの理論的で効率的な性格がわかる名言でもあります。
ジョルノは覚悟という言葉をよく使うことからも、自身の覚悟を重要視していることがわかります。
この漫画を読むとお伝えしようとしている世界観がわかります!!!
あなた…『覚悟して来てる人』……ですよね。
人を『いじめ』ようとするって事は逆に『いじめ』られるかもしれないという危険を常に『覚悟して来ている人』ってわけですよね…
ネット上では、こんな言葉が話題になっていました。
人は支配したがる生き物
やはり人間は、何かを支配したいという衝動に駆らる生き物なのかなと感じます。
誰かへアドバイスしているつもりの人達は、きっと相手よりも上にいるという事を確立させたい人達なのでしょう。
まぁ、本人達に聞くと絶対に違うと言い張るでしょうが。。。
少し経験があるだけで、得意げにその話をする人達。
見ているところが小さすぎて、ちょっと同情してしまいます。
ただ、それは人間の本能に忠実に生きているだけなのかもしれません。
誰かより上にいるという事を感じることで、自分の存在価値を認識しているのだと思います。
そうでもしないと、自分は何の役に立っているのか、不安でたまらなくなるのでしょう。
だから、経験があるというだけで、相手より優位に立てるという単純な思考回路になるのかもしれません。
自分の話をする人達
よく自分の過去の話を引き合いに出す人がいます。
全て自分が基準になっている人達です。
こちらが聞いてもいないのに、自分の場合はこうした、絶対にこうした方が良いよ、と言ってくるような人たち。
きっと自分の話を聞いて欲しくて堪らないのでしょう。
そして、なるほど、役に立った、ありがとう、などと言ってもらい、優越感に浸りたいのでしょう。
自分の過去の話を引き合いに出す人は、基本的に相手の事を本気で理解しようとしていません。
自分はこうだった、と話すのは相手よりも優位な位置にいる事を知らせたいだけです。
そもそも自分の経験が、全く異なる環境の相手に通用するかどうかなんて分かるわけがありません。
本気で相手の事を考えている人は、自分の事を話すより、相手の話を聴くことに重点を置くはずです。
そして仮に自分の過去の話をしたとしても、それはほんの一例に過ぎないという事をちゃんと伝えるはずです。
意見するには覚悟が必要だと思う
誰かに意見をする時、そこには覚悟が必要です。
言うだけは簡単で、誰にでもできます。
相手の事を本気で理解するのは、そんな簡単な事ではありません。
こうしたら良い、ああしたら良いと言うのは簡単ですが、言うならばそれなりの責任が伴ってきます。
その責任の重さを分かっている人は、迂闊にこうしたら良いなんて言いません。
言うからには、自分も一緒になってやり遂げるぐらいの覚悟を持って言うはずです。
それだけ、相手に意見するというのは重いことだとボクは思います。
だからこそ、友達であればある程、大切な人であればある程、そうあるべきだと思います。というか、自然とそうなるはずです。
相手の事を親身になって考える人は、相手の事を100%理解できるわけない、という事を分かっています。
それでも何とか理解したいと思うから、必死になって相手の話を聞こうとします。
その姿勢は必ず相手に伝わります。
何を言ったかよりも、何を聞いてくれたか、の方が相手の信頼度を高めます。
そこに覚悟が見えるから。本気度が伝わるから。
何が違うのか?
相手の事を思える人は、自分の事も思えている人です。
自分にどこか引け目を感じている人は、どうしても相手より上に立とうとしてしまいます。そこしか行き場が無いから。
そもそも、自分の人生さえしっかり考えられていない人が、他人の人生まで考えられるはずがありません。
相手に意見するよりも先に、自分はどうなのか?と考えられる人は、自然と相手に対する思いやりも生まれてくるように思います。
それは自他問わず「生きる」という事に対して真剣になっているからではないでしょうか?
まずは自分の人生を本気で考えること。
そうすれば、自ずと相手の人生も考えられるようになるんじゃないかなと、、、、ふと思ったのでした。
ではでは。
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