ボクたちは今、本来の自分に戻る過程の途中にいます。
ボクたちは生まれたばかりの赤ちゃんの時は、自分の力だけでは、生きていくことは難しくて、
親であったり、保護者であったり、誰かしら、保護してくれる人に面倒をみてもらっていました。
面倒を見てくれる人の言うことを素直に聞き、面倒を見てくれる人の行動をそのまままねをして、面倒を見てくれる人が全て正しいと思って話すこと、やること、考えることを見ている。
小さかったボクたちは、それの良し悪しの判断はできないので、全部それを良いことだと思って、自分の中に吸収します。
面倒を見てくれる人に理不尽な怒られ方をしても、面倒を見てくれる人に不当な扱いを受けても、面倒を見てもらえなければ、小さかったボクたちは、生きていけませんから、とにかく、大人たちに嫌われないように行動していたのではないでしょうか?
そして、何より、ボクたちは、面倒を見てくれる人達のことが、本当に大好きだったのです。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚の人・・・。
誰であれ、心からその人のことが大好きだったのです。
だから、嫌われないように振る舞いましたし、怒られれば「自分が悪い子だから大好きな人が怒っているんだ」と、自分を責めて「次からは大好きな人に怒られないようにしなきゃ!!」と強く自分に言い聞かせたのだと思います。
小さかったボクたちは、毎日、必死だったのだと思います。
本当に健気ですよね。
そして、これを繰り返しながら、ボクたちは大きくなっていきました。
繰り返していくうちに、自分の周りで繰り返されていることは、周りの家庭でも当然のように繰り返されていると思い込んでいます。
自分の家とよその家を比べる機会って、あまりありませんから、当然ですよね。
小さかった頃の私もそうでした。
親に言われたことは、全て正しいと思っていましたし、親がやることも、全て正しいと思っていました。
親に言われたことは、全部正しいと思っていましたから、それを全部自分の中に吸収し、それがいわゆる「常識」であると思い込んでいました。
そして、無意識に周りの友達たちも自分と同じように毎日家の中で過ごしていると思っていました。
自分自身、これで良いと思っていました。
でも・・・、このように過ごしてきたボクは、自分でも気が付かず「本来の自分」からちょっとずつ、ちょっとずつ、でも、確実にズレていました。
子供の頃、ボクは家の中で、自分の感情の赴くままに振る舞うことを極端に制限されていたのです。
- 悲しくても泣いてはいけない。
- 身体のどこかが痛くても痛がってはいけない。
- 楽しいことがあっても、おもいっきり笑ってはいけない。
- 嫌なことに対して「いやだ」と言ってはいけない。
とにかく、親から、子供らしい振る舞いを禁止されていました。
そのように振る舞うと、「泣くな、笑って考えろ」「歯を無駄に見せるな」と祖母からとても怒られましたし、祖父にも「うるさい!!」と怒鳴られました。
今、大人になって思うのですが、恐らく祖父母は、自分の仕事や家事、育児でいっぱい、いっぱいだったし、親戚や近所の人など、周りの人達のからの評価が気になってしかたなくて、「とにかく収入を得て、家計を維持しなかれば」「子供を厳しくしつけよう」と子供の感情や気まぐれを受け止める余裕がなかったのだと思います。
これを思えば、親を責める気持はありませんが、子供と時から感情にフタをして生きてきたボクは、確実に「本来の自分」からズレていきました。
ズレているだけであれば良いのですが、ズレていることによって、ひずみが出来て、これによって人生の迷子になってしまったのです。
- 「自分が何をしたいのかわからない。」
- 「人が信じられない。」
- 「自分が信じられない。」
- 「人生が楽しくない。」
- 「生きている意味がわからない。」
自分を見失しない、人生が制御不能になり、グラグラ、ウロウロしていました。
何がしないのかわからない。
どうなりたいのかわからない。
どこに向かっているのかわからない。
わからない、わからない、わからない・・・。
そこから、ボクの「本来の自分に戻り」が始まりました。
だいぶ、まともになってきましたが、まだまだ、途中です。
たぶん、この先しばらく続くと思います。
道は見えていませんが、方向は見えています。
方法はよくわかっていませんが、以前のような苦しさはありません。
戻る道の途中を楽しみながら、続けていこうと思います。
途中に何があるのか、どこにたどり着くのか、とても楽しみな日々になっています。
いよいよ、新しい環境での宮古島ツアーです。
さて、明日もがんばりますか。
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