今日は、朝早くに目が覚めました。
近所を散歩しながら、変わりゆく街並みを見てました。
窓を開けたら、空はすっきり晴れていて、明け方の風はさわやかで、それだけで「いいなあ」と思える。
夢見の悪さなんてどうでもよくなるほど、ボクは気持ちの良い朝が好きです。
それでもう十分豊かだと思うわけです。
三寒四温が続くときは、ちょっとした暖かさでさえ、贅沢だなぁ…って思ったりします。
本当の豊かさは「好き」がどれだけ多いかどうか
本当の豊かさは、お金やモノの多さじゃない。
案外、カレーは意外と「豊かさ」を感じるには最高のものさしかもしれません。
前にも、ブログに書きましたけど、縮図みたいなものだって思ってたりします。
心の底から「好きだ」「いいなあ」と思えるものを、どれだけ持っているかということなんじゃない?と窓を開けて、空気を吸いこんだ瞬間にふと思いました。
お金をいくら持っていたところで「好き」の感情がなければ全然しあわせじゃないし、モノに囲まれて生活したところで「いいなあ」と、心の底から思えなければ、やるせなさとかむなしさがこみあげてくるだけです。
結局、見せかけのものは、いつまで経っても、ハリボテのままで、充足感を与えてはくれないんです。
モノやお金は、優越感にしかならない
確かにモノやお金をたくさん持っていれば、優越感に浸れるかもしれない。
でも優越感というのは、他人と比べて初めて成り立つもの。
そんな優越感に依存したまま生きていても「他人軸」に寄った生き方しかできないんじゃないでしょうか?
ボクは「せっかく生きているのだから、『他人軸』で生きるのはもったいない!」と鼻息を荒くして言いたい感じです。
「自分が何を感じるか」
「自分が何を好きだと思うか」
あくまで自分ベースで考えて生きていった方が、絶対に満たされた気持ちで生きていけます。
他人に依存する時点で死んだも同然。
すごく極端な言い方をすると、他人の目に依存してしまったら、他人が死んだ時点で死ぬんです。
他人という物差しがないと生きていけなくなる。
そうなると、もう「他人」に寄りかかり始めた途端、「自己」ってものは、ゼロに等しいほど無くなるんじゃないかな…と。
本当は誰もが何かしらの意味を持って生きているのに、そんなちっぽけなことで無くなってしまったら、それはとてつもなく悲しいことです。
なんのために生まれたのか!という感じです。
めちゃくちゃどうでもいいかもしれませんが、この一文を書いていてアンパンマンのテーマソングが頭をよぎりました。
やなせ先生は偉大です。
人はお金を稼いだりモノを溜め込んだりするために生きてるわけじゃない。
自分の価値観に沿って生きるために生まれたんじゃないかなと、明け方の空を見上げながらぼんやりと思いました。
そう思うから、ボクは今日もせっせと自分の価値観に沿ってモノを捨てたり、いいと思ったことやものを紹介してみたり、考えを書き散らしていきたいと思います。
さて、明日もがんばりますか。
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