今の時代、情報があちこちから入ってきて自分の価値観が濁るという話をしました。
そこで思ったんですよね。
そもそも「自分にとって有益な情報の見分け方」ってなんだ?って。
その辺りを少し掘り下げてみました。
勝手に入ってくる情報を鵜呑みにするのではなく、自分で「選ぶ」ことの大切さ
ネットサーフィンをしていると、様々な情報が目に入ってきます。
ネガティブなニュース、ゴシップ、流行りの話題…。
ありとあらゆる情報が入ってきすぎて、「何が正しいの?」と混乱することもしばしば。
結局、あらゆる情報に振り回されて、自分の考えがどんどんなくなっていく。
しかも、今の時代は、情報が手に入りやすくなりすぎている。
だからこそ、余計にそれに振り回されている。
どんどん更新される「情報」についていこうと必死になりすぎて、結果的に自分でもわけがわからなくなる。
しかも、ネットに転がってる情報って、裏付けがされていないものも多々あるんですよね。
以前、キュレーションサイトが問題視されました
もちろん、そういったもの全てが全て取材をしていないというわけじゃないと思うけれど、今や誰でも情報が発信できる時代。
ブログはまだ「個人談」にとどまっている部分が大半だけど、情報の真偽がわからないまま発信されて、それを受け取った人が影響を受けるって、恐ろしいことだなあと思うんです。
デマが拡散されているっていう状況もよく見かけます。
正しいもの、正しくないものの判断や要不要が自分で判断できないまま、多数派に流されていくまま…だと、どんどん「シンプルな自分」から離れていってしまう。
ただの無個性な有象無象になってしまう。
それってなんだか、とても怖くないですかねえ。
ボクは、そういうのにもううんざりしているから、テレビは基本的に見ないし、ネットニュースもあまり見なくなりました。
強いて言うなら、新聞は読んでるかな。
新聞って、すごくシンプルな情報源だと思っています
見出しがあって、その内容が書いてあって。とりあえず見出しだけ見れば、その情報が自分にとって必要なのか不要なのかがわかる。
じゃあネットニュースでも良いじゃん、と思われる人もいるかもしれませんが、最近のネットニュースの記事のクオリティってピンキリなように感じるんですよね。
言い方が悪いけど、薄っぺらい内容の記事までバンバン上がっている。
それこそ真偽がわからないような内容のモノまで。
その点、新聞はきちんと裏付けがとれてるからいいですよ。
安心できる。もちろん、新聞各社によって考え方の違いはあるだろうけど、それだったらその新聞各社の色が出すぎていない部分だけ拾い読めばいいだけで。
比較的フラットに情報を発信しているのが「新聞」っていうツールなんだな、と。
近頃だと、新聞各社がデジタル版を出してますよね。
あれは持ち物を減らしたいボクとしては、めちゃくちゃ嬉しいんです。
新聞、かさばるんですよね…。
それが唯一の難点で。
本当に、情報を自分で選ぶことの大切さって、実は重要だなあと思います
そして、その情報を得るためのツールの活用の仕方も。
ちゃんと選ばないと、無個性でつまらない人間になりますね。
ボクがそうであって後悔してるように。
自分自身も少しずつ、情報の取捨選択ができるようになって、変わっていきたいものです。
ちなみに、ボクは起業駆け出しのころから使っている流れで「朝日新聞デジタル」を使っています。
「本紙に匹敵したコンテンツ」とあります。
ボクは、個人的に本紙より好きですね。
デジタル版の連載が、なんとなくシンプリスト向けなものやファッショナブルなものが多くて。
というか、デザインもシンプルで好きです。
単純に「自分の軸」を取り戻して、「シンプルな自分」に近づけるような気がします。
単純に、ボク自身の好みと「朝日新聞デジタル」の趣向がマッチしているだけかもしれないんですが、その「マッチしている」ということが大切なのではないかと。
今まで「マッチしてない情報」も受けとって、混乱して、自分がブレブレになってましたから、余計にそういう感じに思うわけです。
どうでもいいけど、最近のゆるキャラはみんな可愛いですね。
シンプルに色々なものを削ぎ落とした上で、判断する。これが大切なのは情報もモノも同じ。わたしも、情報やモノの棚卸しは常に行っていきたいなあと思います。
本当になりたい自分になるために、進化していこうと思います。
さて、明日もがんばりますか。
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