ビジネスの視点で「価値について」を深く追求したら面白いことになった

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まだ、東京にいます。

ちょっと打ち合わせが面白いように伸びまして。

IMG 6182 - ビジネスの視点で「価値について」を深く追求したら面白いことになった

昨日書いたブログからの続きの内容を書いてみました。

https://koichan8888.com/archives/6531

ただし、今回は、利用することで価値を感じることに関して言及をしていこうと思います。

利用する方向性でいろいろ考えてみた

先ほどの利用することで価値感じるという価値に関して考えを進めていこうと思います。

  • 経済的価値
  • 利用的価値
  • 理論的価値
  • 社会的価値
  • 権力的価値

これらの価値は利用を伴って価値を感じると判断したわけではあるのですが、

利用する方向性としてはどのようなことが考えられるでしょうか?

結局は人間が価値を感じるわけですので、情報収集の状態から行動までのプロセルとしては、人間の五感を通して情報をインプットをして五感を通して行動としてアウトプットをするという流れになると思います。

そこで、僕として価値の究極的な方向性としては以下が考えられると思っています。

情報価値
  • 質の高い情報
  • 質の低い情報
感覚価値
  • 感じることの価値
  • 感じないことの価値
思考価値
  • 考えることの価値
  • 考えないことの価値

思考は記憶があって、はじめて出来ることから

知識(記憶)
  • 知ることの価値
  • 知らないことの価値
行動価値

行動することの価値

行動しないことの価値

先ほどのモデルから言うとこのようになるように考えています。

以上の要素の共通点を主観的にまとめると以下のように言えます。

選択価値
  • することの価値
  • しないことの価値

また、選択した後には変化もしくは変化しないことを望んでいるとも考えられること、そして、各プロセス毎に同様に変化が起こり得ること、ここまでは個別の視点に立った場合ではあるが、全体的な視点に立った場合、他人もしくは自分のアウトプットが他人もしくは自分のインプットなることを考えると変化することは避けられないとも考えられるが、複雑になるためにこの点に関しては考えないことにします。

下のモデルでは考えていない。というかさらに具体的にしたところでどうやって変化するのかわからないからあんまり考える意味がなさそうです。

まわりくどく言いましたが、ここで言いたいことは変化にも価値があるということです。

変化価値

変わることの価値

変わらないことの価値

お金は、経済的価値の中の交換価値と利用価値しかない

上記において、価値がお金として計算可能なのかどうかということから分類を試みましたがお金として計算可能な価値は利用することで感じる価値の中でも、経済的価値の中の交換価値と利用価値しかありませんでした。

他の、理論、社会、権力などはお金として計算することはできません。

このような現実に直面してようやくお金がすべての価値であるという幻想を打ち砕くことができるかもしれませんね。

ここでわかることはお金が現実の価値をすべて表しているとは言えないということだと思います。

昔、CMで流れていた、●●はプライスレスと言ったようなセリフは綺麗事や間違いではないことがわかります。

https://www.youtube.com/watch?v=dpFQmxqje6s

いかがでしたでしょうか?

ここまでの内容をまとめましょう。

価値という言葉がしっかりと認識されるようになったのは19世紀末であり、そこから価値という言葉の定義を巡って様々な論考が進められてきました。

そして、価値を感じるのは人間そのものであるので、人間がモノを感じなければ、価値を感じないことになる。だから、人間とモノと感覚がなければ価値はないとも言えます。

さらに、価値は大きく分けて物質的価値と精神的価値の二つに分けられる。

物質的価値は主に経済的価値、社会的価値、権力的価値、理論的価値(技術的価値とも)、などに分けられます。特に経済的価値は、利用価値と交換価値に分けることができます。

精神的価値とは道徳、美、宗教などの思想に影響を与えるということで価値を生み出す。そして、このうち、精神的価値に関してはどのように考えればいいのか検討がつかないため、物質的価値に関して集中して考えることにします。

その結果、物質的価値ないし、経済的価値においては、情報価値、感覚価値、思考価値、行動価値という価値に分類できる。これらの人間のインプットアウトプットに沿った各プロセスでは常に選択という思考プロセスとも強く関係している。

さらにその選択プロセスについて言及すると、選択という行為は変化ないし不変というインセンティブから生じる行為と考えられます。

ここまでの論点から注意すべきですが、価値だからと言って全てが金銭的な価値と結びつくというわけではないということです。

物質的価値の経済的価値にしか金銭的価値と直接的に結びついていません。

その他の、社会的価値、権力的価値、理論的価値は金銭的価値と結びついていないのです。

現在、生きている世界は資本主義という考え方が一般的になっています

このような世界では貨幣が絶対的な価値として扱われる傾向にありますが、実は、決して絶対的な価値ではありません。

しかし、絶対的な価値ではありませんが、貨幣によって様々なことが数字の価値として表される傾向にあります。このような世界では貨幣価値の高低が様々な制限になったり、相対化させるといった効果があります。

価値はあくまで人間個人の絶対的なものですが、価値の交換によって一時的に貨幣に価値を移し替えておくということをします。そして、必要があれば他人の価値と交換を行います。よく為替の世界では基軸通貨やブリッジ通貨と言ったりますが、貨幣はブリッジ価値とも言えるででしょう。

実は資本主義には、ここに一つの矛盾のようなものが存在しています。

個人の絶対的な価値を貨幣というブリッジ価値によって相対化を試みているということです。しかし、実際には個人が感じる価値は日本に生まれ育った人とアフリカに生まれ育った人、貧乏と富豪とでは明らかに違いますし、若い人と高齢な人では大きく違う傾向にあります、さらに個人の性格によっても違います。これらの人間の生活環境によって大きく価値は異なっています。さらに、各シーンによって価値の感じ方は大きく異なるでしょう。例えば、北極で飲む冷たい水と砂漠で飲む冷たい水とでは価値に大きな差が生じるはずです。これらを統一的な貨幣価値で表現することは可能なのでしょうか?

現実の経済学の世界では、これを需要と供給のバランスによって価格が決定されることを説明しています。需要(欲しい人)が多く、供給(あげる人)が少なければ高価格、需要が少なく、供給が多ければ低価格になると言われています。しかし、これはあくまでも利用価値のみについて考えられた理論です。(ちなみに、交換価値も需給の関係で説明されています)

なので、このような論理の下では、価値がまるで相対化されているような錯覚に陥りますが、実際は違うとも言えるということです。

だからと言って、誰も欲しい人がいないにも関わらず、高尚で人類に役立つことをいくら取り組もうと世の中は価値を感じないのです。人類としての価値よりも、世の中は個人の価値で動いています。

以上の意味から、ビジネスにおいては、現在は資本主義が一般的な思想になっているので、実際のところ価値は相対的ではないにも関わらず、貨幣によって相対的に見えます。また、主要な国や主要な人々は資本主義の思想を下に行動しているので、需給で世の中を説明していて、一定のレベルで説明もできます。

さらにまとめると、ビジネスとは価値提供ではないでしょうか?

しかし、現在の世の中では価値提供には、価値の交換が伴います。

その交換先が貨幣になっており、次第に貨幣そのものが価値を持つと信じされるようになりました。

これが紙幣であることと電子データであることに大きな違いはない。

ただみんなと交換できる、みんなが価値交換のモノだと知っていればいい。

ビジネスでお金を稼ぎたいと思ったら、需要と供給を考えるといいかもしれません。

  • ある価値(問題解決)欲しい人がいるか
  • 価値提供するのにコストはいくかかかるか
  • ライバルはいるか(どのように参入してくるか)

こういうポイントを考える必要があります。

ここまでが、現世界における価値から考えたビジネスへの価値提供の応用です。

先ほどの話に戻りますが、人間個人の価値は絶対的なモノであり、相対化されていることは幻想であるよね〜的なことを言っていましたが、それは、人間の価値が数値として解明されないことを前提としています。

仮に、人間の思想や発想、感覚が数値として記録されるようになってきたら、人間個人の価値そのものも相対化されるようになってくるでしょうね。

実際に、世界的にはそのような動きがあるように思ってしまったのですが、みなさんは、どう思われましたか?

さて、明日もがんばりますか。

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