今日は、芦屋のサロンで、いろいろ問題になっているスタッフの方々との初面談。
いろいろ話を聞いていると、自己主張がかなり強めで、これはマズいなって思うわけです。
今日は、この記事で「人によって自己肯定感の定義が違う」という謎を解き明かしながら「自己肯定感ってそもそもどんなものなのか?」を説明していきます。
自己肯定感というものを攻略するために「自己肯定感がそもそもよく分からない」という悩みをまず解消しましょう。
自己肯定感がどんなものかがつかめれば、どうゲットしていくかも自ずと分かります。
自己肯定感について深く考えてみよう…ということで、今日はスタートします。
人によって違う自己肯定感の定義
SNSを含めインターネットで自己肯定感について調べていると、様々な自己肯定感の定義が見つかります。
- 「自己肯定感があれば、ありのままの自分を認めることができます」
- 「自己肯定感があれば、どんな自分も否定しません」
- 「自己肯定感があれば、自分と他人の間に適切に境界線を引くことができます」
- 「自己肯定感があれば、自分の事を大切に扱えます」
- 「自己肯定感があれば、適切に人を頼ることができます」
- 「自己肯定感があれば、自分で自分の機嫌を取ることができます」
こんな感じでしょうか?
その中でも強烈なものがあります。
- 「自己肯定感があれば、ありのままの自分を認めることができます」
- 「自己肯定感があれば、どんな自分も否定しません」
このくらいなら、「まぁ同じことかな…」という感じです。なんですが…
- 「自己肯定感があれば、適切に人を頼ることができます」
- 「自己肯定感があれば、自分で自分の機嫌を取ることができます」
これぐらいあたりになってくると、同じ言葉の説明とは思えない訳です。
WHY 自己肯定カァァァーーーーンン!!??!?!?
厚切りジェイソンがびっくりするぐらいのレベルです。
どうして、こんなにつかみどころがないのーーーーーッッッ!?!??
って感じですね。
待てあわてるなかれ!!!!
これは、自己肯定感の罠です。
結論から言えば、これらは全て“真”です。
ある言葉の定義が人によってバラバラで、しかもそれらは全て“真”???
どういうことでしょうか?
なぜこんな事が起こるのでしょうか?
自己肯定感とは、最上位概念であると思います
自己肯定感の定義が、人によって違う理由です。
それは、自己肯定感が、最上位概念だからではないでしょうか?
そういうことです。
- カエルだって…
- オケラだって…
- アメンボだって…
すべて「生き物」なわけです。
- ありのままの自分を認める だって、
- どんな自分も否定しない だって、
- 自他の境界線 だって、
- 自分を大切に扱う だって、
- 適切に人を頼る だって、
- 自分で自分の機嫌をとる だって、
どれも、すべて「自己肯定感」です。
生きとし生けるものは全て「生き物」と名指す事ができるのと同様、健全な精神状態の要素は、全て“自己肯定感”と名指す事ができるのです。
自己肯定感とは、ものすごく広い概念なのです。
それ故、自己肯定感は大切でもあるし、全貌が見えずつかみどころがないものでもあるのです。
「自己肯定感を高めましょう」=「絵がうまくなりましょう」
つまる所、「自己肯定感を高める」という目標はデカすぎるのです。
「自己否定ばかりしてしまって辛い…」
と思っている人に
「自己肯定感を高めましょう」
と言うのは、
「自分は絵が下手くそ…」
と思っている人に
「絵がうまくなりましょう」
と言っているようなもんです。
そうだね!!!!その通りだね!!!!!!(´༎ຶ༎ຶ`)
ですよね。
「自己肯定感を高めましょう」も「絵がうまくなりましょう」も主語がデカ過ぎて、これだけではほぼ何も言ってないに等しいんです。
もちろん、“自己肯定感が高い”や“絵がうまい”という状態があることを、まずは知る必要がある。
目指していく先を知り、「そこを目指す」と決めなければ、始まりませんから。
しかし、その場所は自分がいる所から離れた所にある。
とても一足で行ける距離ではない。
目指して行く先を知り、それに加えて、そこへ行くための段階的な道筋が示されて、具体的にやる事が分かって初めて、人は歩き出せるのです。
自己肯定感を考えるうえでのクエスト、ストーリーで行き詰まってるあなたが悪いんじゃないんです。
自己肯定感を考えるうえでのクエスト、ストーリーの仕様がクソすぎるだけなんじゃないでしょうか?
自己肯定感とは、単に最上位概念であるだけでなく、このように複数の感覚や考え方が有機的に繋がりあったものなのです。
相互通行で繋がっている要素は、互いに影響し合っています。
一方が高まれば、もう一方も高まるという関係です。
この、有機的な繋がりがあるからこそ、自己肯定感が高いやつは強いんです。
身体的な疲れや、想像を絶する状況に、一時的に一部の感覚や考え方が機能しなくなっても、自己肯定感ネットワークの他の部分は機能してるので、“どうにもこうにもならないほど落ち込む”ということがないのです。
自己肯定感の定義が人によって違う理由
「自己肯定感が低い」と一口に言っても、人によって自己肯定感のどこが低いのかは違います。
相互依存が低かった人は、相互依存を高めて「自己肯定感とは相互依存だ」と言うし、
ポジティブな意味づけが低かった人は、ポジティブな意味づけを高めて「自己肯定感とはポジティブな意味づけだ」と言うし、
自己決定が低かった人は、自己決定を高めて「自己肯定感とは自己決定だ」と言う…
これが、人によって自己肯定感の定義が違う理由です。
どれも自己肯定感だし、どれもその人にとって大切な“自己肯定感獲得の過程”です。
自己肯定感がゼロの人なんていない
自己肯定感が複数の要素で構成されているということは、自己肯定感は あるorない の二択ではないということです。
例えば、自己肯定感激低だった頃の私は、自分の体のケアが疎かでした。
仕事帰りにコンビニで食べ物を買い込んで、それを布団の中で食べあさり、酒を飲んでそのまま酔い潰れて寝る。
寝る前に歯磨きなんかしてません。歯はボロボロになりました。
当然ですわな(笑)
あなたは夜寝る前に歯を磨いてますか?
磨いているというのなら、それも自己肯定感ですよ。たとえそれが習慣であっても。
少なくとも、その要素において、あなたは過去の私よりはるかに自己肯定感がある。
自己肯定感を構成する要素を何一つ持ってない人なんていません。
あなたの中にも、今既に、自己肯定感は確かにあるのです。
あなたの中にない自己肯定感の要素を一つ一つ増やしていけばいいだけです。
自己肯定感の構成要素を一つ一つゲットしていこう
てな訳で、自己肯定感を高めるには、自己肯定感の要素を一つ一つゲットしていけばいいということが分かりました。
とは言え、「ゲットせんといかんもんがこんなにあんのかい…」という感じですよね。
かえって、自己肯定感という目標が遠く感じてしまった人もいるかもしれない。
心!!!配!!!!御無!!!!!用!!!!!!
こっから自己肯定感を攻略していくんです。
自己肯定感の構成要素をゲットするためにすることってのはそんなに多くないです。
効率的な順番もあります。
全部クドックドに説明していきますんで、刮目して待て!!!!
さて、明日もがんばりますか?
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