さて、今日は、仲間がやっているフリースクールにお邪魔してきました。
なかなか雰囲気がある場所だし、とても東京とは思えない空間です。
現地に向かうまでに、小腹が空いたので、ちょっと腹ごしらえ。
店内には、周りの学生さんや、企業で働いている人が食べに来ているみたいなんですが、その会話の中で「自分はダメだ、自分は変わらないといけない」「そうだよ、そんなにダメって言わなくていいんだよ」と、そんな会話が飛び交っていたわけです。
このブログを読んでいる人の中にも、自分はダメだ、ダメな自分を変えたいと思っている人もいることと思います。
ダメな自分を変えたいというのは、とても素晴らしい事ですよ。
でも、そればかりではちょっとしんどいなと思うことも多いのではないでしょうか?
ダメな自分はダメなのか?
ダメな自分を変えたいと思っているということは、ダメな自分が悪い事と認識しているということだと言えます。
ダメな自分というのは何によって規定されているのでしょうか?
それは、流動的な世間一般の価値観であったり、他者からの評価によってです。
「自信は他者から与えられるもの」ですが、ダメな自分という劣等感もまた他者から与えられるものなのです。
自分がいくら頑張ったとしても、それを他者から認められなければ、自信にはつながらず、劣等感を生みます。
ダメな自分は、ある意味、他者の価値基準によって規定されているのです。
そして、他者から認められるように頑張るといったように、他者の価値基準に沿う形で頑張るようになり、息苦しくなったり、自分らしさを見失うということにつながるのです。
他者の価値基準は絶対ではありません。
人の数だけ、それぞれの価値基準があるのですから、同じことをしていても、あなたを認めてくれる人もいれば、認めてくれない人もいるのです。
だから、他者から与えられた劣等感によって自分はダメだと思い込んでいても、自分が必ずしもダメではないということだってあるのです。
ダメな自分でもいいじゃないでしょうか?
自分はダメだと思っていても、人によっては、全然ダメじゃないという評価をくれることだってあるのです。
自分をより良くしたいという向上心を持つことは素晴らしいと思います。
ですが、自分はダメだと必要以上に自分を卑下して、傷つけ、追い込む必要はないと思います。
世の中の全ての人から良い評価を得られる人なんていません。
どんなに素晴らしいと言われている人でも、粗を探せばいくらでも探せると思いますし、素晴らしいと言われている人を、ダメだという人だっているのです。
ダメな自分でもいいじゃないかと思うほうが、気楽に生きられるのではないかと思います。
ダメな自分でもいいじゃないかと思うために必要なのは自分を変えることではありません。
自分を変えたところで、他者の評価が伴わなければ、ダメな自分のままです。
自分を変えて、ダメじゃないと評価されたとしても、別の人にはダメだと評価されるかもしれません。
手っ取り早いのは、今の自分をダメじゃないと評価してくれる人を探すことです。
そうすれば、今の自分をダメだという人もいれば、ダメじゃないと言ってくれる人もいると実感でき、他者の評価という自分の力だけではどうにもならないものを必要以上に気にしなくなるかもしれません。
それが、ダメな自分でもいいじゃないかと思えることにつながるかと思います。
そうはいっても、できることなら誰からも評価されたいという気持ちはすごくわかりますよ。
しかし、その方法はボクにはわかりませんし、興味もありません。
そんなこんなで見学に行って、また刺激をもらえた素敵な時間。
その後に、なぜか流れで大宮に行くことになりましたw
看板のクセのすごさに驚きしかありません。
さて、明日もがんばりますか。
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