さて、東京最終日。
帰る前に、東京にきたら絶対に寄る場所。
そう、練馬です。
練馬といえば、ここです。
ほんとうは、大祭は明日なんですけど、どうしても行けないタイミングだったので、事前にご挨拶と祈願の入れ替えをしていただきました。
そこで、お話をいただいたことが、とても大切なことだな…と思ったので記事にまとめてみます。
誰でも、好きな人がいれば、キライな人がいて、どうでもいい人もいることと思います。
時に、このどうでもいい人が、あなたにとってうざい人、嫌いな人、敵対する人になる場合があるので注意が必要です。
どうでもいい人とは?
インターネットで検索すると、どうでもいい人の特徴などについて記したものも見られます。
しかし、どうでもいい人の明確な定義はありません。
ただ単に、あなたがどうでもいい人と感じるか否かといった、個人の主観によるのです。
同じ人でも、ある人から見ればどうでもいい人でも、別のある人から見ればとても大切な人といったように、同じ人でも、各個人によって、その人の価値は異なります。
だから、世の中の全ての人から、どうでもいい人と思われる人も恐らくはいないでしょうし、どうでもいい人を明確に定義づけることなどできないのです。
どうでもいい人は各個人の価値観によって決まるものなのです。
あなたにとってのどうでもいい人は、あなたがどうでもいいと感じるか否かが全てで、あなたがどうでもいい人と感じれば、あなたにとってはどうでもいい人ですし、あなたが大切な人と感じれば、あなたにとっては大切な人というだけのことです。
それがあなたにとっての真実というだけで、全ての人にとっての真実ではないのです。
どうでもいい人が、うざい人になる理由
時に、どうでもいいと思っている人が、うざい人、嫌いな人、敵対する人になる場合があります。
どうでもいい人があなたに不快感を与える人になるわけですから、これほど鬱陶しいと感じることはありません。
ではなぜ、どうでもいい人が、うざい人、嫌いな人、敵対する人になるのでしょうか。
答えは簡単です。
存在を認めてほしいのです。
どうでもいい人というのは、いてもいなくてもどうでもいい人、つまりは、存在してもしなくてもいい人なのですから、存在を無視されている人なのです。
人は他者に存在を認められないと、存在していないのと同じなのです。
人にとって、存在を無視されることほど苦痛を生むものはありません。
だからこそ、あなたがどうでもいいと思っている人は、自分の存在を無視するあなたのことを快く思っていないことがありえるのです。
もちろん、誰もが、良い人、好きな人、大切な人として存在していたいと思っているでしょうが、他者にそのように思ってもらうことは容易なことではありません。
ある人にとって、良い人、好きな人、大切な人になるには、ある人にとって必要な存在になるために、ある人のために尽力しなければなりません。
自分の存在を無視する人のために尽力するなんてことが、できるでしょうか?
できたとしても、はじめのうちだけです。
どうでもいい人のすることに関心なんて持ちませんので、ある人のために尽力しても、ある人は、悪意は全くなくても、どうでもいい人のことを無視し続けるのです。
そして、ある人のために尽力したにも関わらず、無視され続けたどうでもいい人は、自分勝手な悪意をある人に持つようになります。
他者に存在を認めさせる最も簡単な方法は、他者に不快感を与えることです。
そのため、どうでもいい人が、自分の存在を認めさせるために、うざい人、嫌いな人、敵対する人と化していくのです。
どうでもいい人だからといって、油断してはいけない
上記のように、どうでもいい人は、うざい人、嫌いな人、敵対する人などといった、あなたに害をなす存在になることも多々あります。
だからこそ、どうでもいい人だといって油断してはいけないのです。
はじめから、あなたに害をなす人とわかっていれば、警戒しますので被害を最小限に食い止めることも可能です。
しかし、どうでもいい人は、その存在を認識していない人なのですから、何の警戒も準備もしていません。
そのため、どうでもいい人が、あなたに害をなす人になった時は、思いのほかダメージが大きくなります。
あなたにとってどうでもいい人というだけで、そのどうでもいい人が、どんな人かはわからないのです。
どうでもいい人などと、人を軽んじたりしないほうが身のためなのかもしれません。
今日は、寄り道ができないので、素直に帰ります。
さて、明日もがんばりますか。
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