今日は、淀川の花火大会。
ということで、いいタイミングで普段会わない友達との花火観戦。
その前に腹ごしらえをしようということで、火鍋を食べに行ってきました。
このお店は、本当に美味しいです。
さて、入店前にちょっと思ったこと、自分勝手を言う客って何なん?
人気店だから、何とかして入ろう、早く食べたい。
その衝動や、気持ちはわかるんですが、予約しなかったアンタが悪いんちゃうの?って思ってしまったわけです。
そういう、ボクらも予約せずにこちらのお店に行って入店できなかった経験があったからです。
こういう経験があるから、予約したわけです。
さて、今回の某お客さんの対応、態度を見て思うことがありました。
人の振り見て我が振り直せとは、他者の良い行いは見習い、悪い行いは、反面教師として改めよという意味です。
最近では、どちらかというと、後者の意味で用いられることが多い印象を持ちますが、今さらながら、良い教訓となる言葉だなと思います。
他者の良い行いを見習うのは恥ずかしい事ではない
他者が何か良い行いをしていて、すぐにそれを真似すると、何となく恥ずかしい気がして真似できないということはないでしょうか?
先日、電車に乗っていた際に、ご高齢の方に席を譲ったんです。
その割とすぐ後に、また、ご高齢の方が乗車されてきて、たまたま一緒にいた奥さんも、何気なく譲っていたんです。
こういう循環の流れって素敵ですよね。
席を譲ろうかと思っていても気恥ずかしくて、結局譲ることが出来ないってこともあるみたいで。
あとで、自分の気恥ずかしさを優先して、こういうことがスムーズにできないから、いつまでもくすぶっているんだと後悔したなんて話も聞いたこともあります。
他者の良い行いを見習うことは、恥ずかしい事ではありません。
もしかしたら、誰かが席を譲った後に、それを真似するかのように席を譲ったら、”二番煎じ”などとバカにする輩もいるかもしれません。
しかし、この場合、バカにする輩がバカなのですから、そんなもの無視してしまえばいいのです。
皆が他者の良い行いを見習えば、良い行いの連鎖が起こって、良い行いにあふれる素晴らしい世の中になるのではないでしょうか?
自分の行いを振り返る
人の振り見て我が振り直せには、反面教師として悪い行いは、改めよという意味もあります。
他者の振る舞いを見て、”あんな風にはなりたくないな”と思ったことは、多くの人があるのではないかと思いますが「あんな風にはなりたくないな」と思う前に、自分の行いを振り返りましょう。
すでに”あんな風”になってしまっていることも、割とあります。
それに気付いて、自分の行いを改めるのであれば、それは素晴らしいと思います。
しかし、中には、「あんな風にはなりたくないな」と言いながらも、すでに”あんな風”になってしまっていて、それに気付いていない人もけっこういます。
心の中で、「お前が言うなよ」とツッコミを入れたくなることもしばしばです。
「あんな風」な人が、「あんな風にはなりたくない」と言っているのですから、恥ずかしい事この上なしです。
二番煎じ的な恥ずかしさよりも、はるかに恥ずかしいと思います。
自分が既に「あんな風」になってしまっていることだってあるのですから、人の振りを見て、我が振りをしっかりと見直すことも重要です。
他者は色々と教えてくれる
人の振り見て我が振り直せという言葉の意味から考えると、他者は我々に色々と教えてくれる存在なのだと思います。
好きな人も嫌いな人も、他者は我々が素敵な人間になるための材料にできるのです。
人の振り見て我が振り直しながら、少しでも、自分に自信が持てるような人間を目指したいものです。
さて、明日もがんばりますか。
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