無性にラーメンが食べたくなり、行列のできるラーメン屋さんへ行ってきました。
ラーメンで最近流行っているのが、無化調らーめんです。
化学調味料は一切不使用の無添加のらーめんのことをいうのだとか…
そこで、ふと思ったことがありまして…
「人生無意味症候群」
こういう言葉があるんですね。
はじめて知りました。
たぶん、誰でもわかっているとは思うのですが、基本的に人生に意味なんてありません。
でも、人生が辛いときや、苦しいとき、疲れたときなんかは「何のために生きているのか」なんて考えてしまうこともあります。
人生は、基本、無意味だと思っています
あなたが生きていることに特別な意味はありません。
やたらと特別な意味を付けたがる人種もいますけど、実際に考えてみると特別な意味はありません。
突き詰めて考えれば、人間も他の生物がそうであるように、子孫を残すという本能的欲求に従った結果、生まれてきたにすぎません。
あなたがいなくなれば、その時は、あなたに近しい人は悲しむかもしれません。
でも、それだけです。
すぐに、あなたがいない生活に慣れます。
あなたがいなくても、なんてことはないのです。
こう考えると、少し寂しいですが、それが現実です。
そんな中、自分の人生に意味や目的をもって生きている人がいます。
彼らの人生には意味があるのでしょうか?
こういった人の人生には、はじめから意味があったのではありません。
生きるために、自ら意味を見出しただけのことです。
関係のない人から見れば、自分の人生に意味を持っている人の人生もやはり無意味なのです。
人生の意味を見出せないと、生きるのが辛い
人生は無意味であることは間違いないのです。
ところが、自分で意味を見出せないと、生きるのが辛くなります。
毎日、朝起きて、仕事にいって、帰って寝るだけという生活でも、人生に意味を見出し、目的をもって送っているそれと、人生に意味を見出せず、ただ何となく送っているそれでは、後者のほうが生きるのが辛いと感じる可能性が高いのは言うまでもありません。
意味というのは、一つのモチベーションになります。
例えば、中高生の頃の勉強を思い出してみてください。
「こんな勉強をしたって、将来何の役にも立たない」
こう思っていれば、勉強なんてしないでしょうし、勉強をすることを苦痛に感じることでしょう。
「勉強をして、良い大学に入れば、良い企業に入れる」と思っていれば、少々辛くても、勉強を頑張ってするでしょう。
人生も同じです。
意味を見出せれば、人生に対するモチベーションが上がるでしょうし、意味を見出せなければ、人生に対するモチベーションが低下し、それでも、生きていかなければならないのですから、人生が辛くなってしまいます。
人生は無意味ですが、より良い人生を送るためには、意味づけは必要なのです。
人生の意味は自分で見出し、思い込むしかない
人生の意味は自分で見出し、それが自分の人生の意味だと思い込むしかありません。
人生の意味は他人が与えてくれるものではありません。
例えば、他人に「これがあなたの生きる意味だよ」と言われても、納得できなければ、それが自分の人生の意味にはならないことと思います。
仮に納得できたとすれば、それが自分の人生の意味になりますが、自分の人生の意味を決定する主体は、あなた自身であることに変わりはありません。
他人が人生の意味を見出すきっかけになることは大いにあります。
例えば、好きな人ができて「その人を幸せにする」とか、子どもができて「その子を、しっかり育てる」とかですね。
この場合も、それが自分の人生の意味だと決めるのは、自分自身ですね。
そして、人生の意味を見出すだけでなく、それが人生の意味だと思い込むことも重要です。
基本的に人生は無意味ですので、自分で見出した人生の意味が正しいなどといった、承認を受けたり、確証を得たりすることはできないからです。
逆に言えば、その見出した人生の意味が間違っているということもありません。
だから、自分で人生の意味を見出し、人に何と言われようが、それが自分の人生の意味なのだと思い込んで生きれば、少しは人生が辛いと思う気持ちも和らぐかもしれません。
そんなことを考えた一日でした。
それにしても、ここのラーメンは美味しいです。
さて、明日もがんばりますか。
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