さて、京都と大阪での仕事を終えて、福岡に戻りました。
晩ごはんを食べながらブログを書いてます。
予測ですが、近々、福岡を離れて、関西方面に移動するかも・・・的な感じです。
世の中では「学校は社会の縮図」ということについて。
このことは、既に色々な方が言及しており、周知の事実だと思います。
学校という単位でみるよりは、1クラスという単位でみるほうが、よりわかりやすいかもしれません。
学校で起こっていることは、大人の社会でも起こっていることです。
大人の社会で起こっているからこそ、子どもの社会でも起こることと言えるのではないでしょうか?
ボク自身も体験したことなので、ここでまとめていきたいと思います。
スクールカースト
スクールカーストの詳細な定義については言及しませんが、ここでは学校又はクラス内での生徒間の序列という意味で用います。
スクールカーストという言葉は、比較的最近一般にも定着してきた言葉ですが、この言葉が一般に定着する前から、学校又はクラス内に生徒間の序列というものは存在していたのは明らかです。
ボクは、親の転勤の関係で小中学生の頃、6度の転校を経験し、その中で序列の上位から下位までを経験したことがあります。
おおざっぱですが、以下の3つの階層に分類されると考えています。
- 上位→クラスの中心的存在。体育祭や文化祭等でクラスの出し物をする際に中心となり取り仕切ったり、周囲に対する影響力を持ち、クラスの決定権を持つ層
- 中位→いわゆる普通と見られる層
- 下位→おとなしかったり、コミュニケーション力に乏しく、訳もなく見下される層
どの階層に属するかは、関係性構築力により決定されると思われます。
関係性構築力
関係性構築力という言葉があるかどうかは存じ上げないのですが、ここでは他者との関係を自分が有利なように築ける能力という意味で用いたいと思います。
関係性構築力は以下から構成されます。
- コミュニケーション→当然ですが、コミュニケーションが取れなければ他者との関係は築けません。基本的には必須の能力と言えます。
- 自己主張→自分にとって有利な関係性を構築するには自分の主義・主張を明示し、理解してもらう必要があります。また、基本的に日本人は自己主張が苦手と言われる中で、自己主張することは一つの強みにもなり、自己主張をあまりしない人から見れば良くも悪くも一目置かれることになります。
- 自己プロデュース→自分を他者より優れた存在であると、他者に思わせなければ、自分に有利な関係性は築けないので、自分が優れた存在であると見せる必要があります。
- 空気を読む→独りよがりな自己主張は他者から嫌われるため、十分に空気を読んだ上でうまく自己主張する必要があります。
- 取り入り・根回し→他者に気に入られ、同調させるように仕向けることも必要です。
上記のような関係性構築力が高いものが、一部の人と小集団を結成し、カーストの上位階層に位置することとなります。
下方比較の連鎖
社会心理学の社会的比較理論の中に下方比較という理論があります。
下方比較とは一言で言ってしまえば、自分より下の人と比較して、自分はまだマシだと安心したり、自尊心を維持・回復するための機能だといえます。
ボク自身は、専門家ではありませんので詳細はお調べいただけますと幸いです。
この下方比較により、関係性構築力が自分より、より低いと思われる人と比較することで自分はあいつより上だといった意識を持ち、階層が出来上がっていくといえます。
レッテルを貼ることによる階層の定着
一度属した階層から上位の階層へ移動することは稀だと思います。
クラスが変われば人間関係が変わりますので、関係性が変化することで階層の移動も起こりえますが、大きな変動はあまりないように思われます。
それは、その階層にいる人というレッテルを貼られるからです。
レッテルを貼るのは生徒たちだけではありません。
むしろ教師が積極的にレッテルを貼っていると言っても良いかもしれません。
人間は多様性を持つ生き物ですので、教師はクラスの生徒一人一人の詳細を把握しきることはできません。
そのため、例えば「A君は活発な子」「Bさんはおとなしい子」といったように、その生徒の一面的な特徴を捉え、レッテルを貼るのです。
活発な子がカーストの上位層にいることが多く、おとなしめの子が下位層にいるケースが多いのではないかと思いますが、上位層=活発、下位層=おとなしいというのもレッテルの一つです。
教師たちはこういったレッテルを貼りながら、生徒を捉え評価し、クラス分けを考えたり、学級運営を行っているのではないかと思います。
上記のことは、大人の社会でも普通にあること
大人の社会でも、仕事等で組織に属していれば、平社員同士であっても、組織内でカースト的な序列があります。そして、カースト上位の者が出世していくのです。
上記のことを、生徒=平社員、教師=役職者と置き換えてみても違和感はないかと思います。
大人の社会であることですから、それを見ている子どもたちの間で、序列ができるのもうなずけます。
子どもは親の背中を見て育つとはよく言ったものです。
学校で起こっていることは、既に大人の社会で起こっていることです。
学校で起こって問題になることは、大人が知らず知らずのうちに子どもに教えてしまったものと認識し、指導・教育を行う大人が言動を変えていかなければ、学校で起こっている問題は解消されないでしょう。
そもそも、それは大人の社会では問題として表面化していないだけで、本当は問題のあることなのです。
大人は偉そうなことを言う前に、自分の言動を見直したほうが良いのかもしれません。
もちろんボク自身も含めてですけど・・・。
こうあるべき・・・という考え方は、古いのかもしれません。
さて、明日もがんばりましょう。
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