昨日は、面白い記事だったみたいで、意外な方々の反応をたくさんいただきました。
ざわついた大人がいたってことですよね。
昨日、ひさびさに会った友人とも話に出たんですが、海外の人たちと交流があると「日本ってなんで●●なの?」みたいな素朴な疑問って、結構返答に困ってしまうんですよね。
要するにそれって日本の「常識」なんですが、この常識というものは「そういえば何でだろう?」って考えても意外と理屈で説明できないことが多いんです。
じゃあ何で「常識」と呼ばれる世の中のあたり前のことが、こうも論理的に筋が通っていないのか?と言うことを今日はお話しします。
さっそくだけど、ちょっと考えて見てたいと思います。
自分が無意識に信じてることってないだろうか?
「無意識」のことだから、いざ考えようと思っても難しいかもしれないのです。
ちょっとヒントを出してみたいと思います
- 信号が赤ならば車は進まない。
- コンビニのレジは商品の代金を正しく計算する。
- チームのメンバーは指示したことを必ず完了してくれる。
自分の常識は他人の非常識。
どんなに正しく思えることでも100%はありえない。
そんなことはわかっているかもしれないけれど、不思議なことに誰しも無意識の前提を持っている。
「自分は持っていない!」と思っていても、それがまさに無意識の前提です。
多くは日常生活に根差していて、普段は疑うこともしない。
けれども、その前提は本当に正しいのでしょうか?
正しいと言える根拠はあるのでしょうか?
そんな無意識の前提のせいで、思考の幅を狭めているのではないでしょうか?
無意識の前提を疑うことで、思考はさらに広げられるし、まず「不可能だ」と判断したことから見直してみること
自分が「不可能だ」と思ったことを見直しています。
なんで不可能だと考えたのだろうか?
- お金がない
- 自分の時間がない
- 人手が足りない
その前提は何だったんだろう?
- 自己資金がない。誰も貸してくれない。
- 日々の仕事が多忙で新しく何かをする時間がない。
- 誰も自分を手伝ってくれない。特殊すぎて誰かが手伝えるようなものではない。
ないないだらけになっているわけです。
ここで気づかなくちゃいけないことがあるんです。
それは「ない」ことが無意識の前提になっているってことです。
あなたが「ない」と思っていることは、誤解ではないでしょうか?
お金を集める方法はいくらでもある。
時間はいくらでも作り出せる。
人手も集められる。
ただ、なんの根拠もなく「自分には無理」と思っているだけなんですよね。
無理と思い込んでいることに気づけば、考えるべきことが決まってくるんです。
無意識の前提を疑うことで、考えるべきことが見えてきます。
そんな有意義な会話ができたランチでした。
誘ってくれて、ありがとう。
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