昨日、実は珍しい友人から連絡をもらって、今日はランチに行くことになりました。
たまたま、とあるコミュニティで出会い、お互いの言いたいことを本音で言える面白い友人。
しかも、なぜか数年前に関わっていて、突然詐欺集団に変貌を遂げた先輩の会社にいた元従業員が、なんと、その友人と事業を提携しているみたいで、ボクに謝罪をしたいという連絡をくれたわけです。
どこで、何につながるかというのは、わからないな・・・という感じです。
ボクは、基本的に自分の意志感情を曲げないタイプなので、思ったことははっきり言うし、しっかりと計画をして行動している類だと思っています。
ある意味で勘違いと言われるジャンル、カテゴリなのかもしれませんが。
ま、大人に限らず、子どもは、きっと生まれたての赤ちゃんであっても、自分の意思や、感情というものを持っているのです。
ただ、それらを表現するまでに、時間がかかるだけなんです。
冒頭からよくわからないんですけど…ってことを書いてしまいました
子どもというのは、例え赤ちゃんであっても、親を含め、大人のこと、周りの人のことをよく観察しているのではないかということです。
ここで言う大人というのは「親」「先生」であったりします。
言葉は、当然わからないと思いますが、感情( 喜怒哀楽 )を察知できる能力は、もしかしたらあるのかもしれません。
そして、1歳、2歳、3歳とどんどん歳を取って「 大人 」という観察対象のことを見続けていれば、大人が思っている以上に、「 大人 」という観察対象のことを理解しているのではないかと思うのです。
それは、大人よりも、夫婦のお互いの理解よりも、深い理解(察知)かもしれません。
子どもは意外と大人たちに対して、いや特に親に対して気を使っている
・・・かもしれません。
あっ、自分の経験則からのお話です。
子育てをしている親自身は、何もしゃべれなく、何も出来ない赤ちゃんから子どもを育てています。
そして、子育ては、親が全てにおいて、子どもの世話をしなければ、子どもは生きていけません。
一から全てを教え、育てているのだから、親は子どものことは何でも知っているつもりです。
ところが、子どもは、親のことを深くは理解していないのではないか?と親は思いがちになっているかもしれません。
しかし、2歳、3歳と大きくなり、徐々に言葉や意思表示が出てくるわけです。
すると、イヤイヤや、生意気な言動に加えて「気をつかう」ことも覚えてきます。
多くの親と呼ばれる職業の人々は、この「気をつかう」ということを忘れているのです
親の機嫌が悪ければ、近寄って来なかったり、我慢をしていたり、親が喜べばよくわからずとも一緒に喜んだり。
親が喜ぶ言葉や、行動を取ったり(これは、子ども自身も本当に喜んでいる場合は当然別です)親に怒られれば、嫌われないように一生懸命努力したり。
夫婦仲が悪ければ、その間を取り持つように明るく振舞ったり、これらはわかりやすい例えではありますが、このようなことも気づかないことが多々あるかもしれません。
いや、マジでこれは経験則だったと思っていたのですが、先日の宮古島での子どもたちをアテンドしているときに、子どもたちの会話から出てきたことにリンクする部分があったのです。
ボク自身も、子どもたちの全てを理解出来ているとは思っていません。
ですが、ご両親に気を使っているなぁ・・・と思える発言をする子どもたちと会話をするとドキッとするものです。
そんな子どもをよく観察してみる
別に気を使うことが、悪いわけではありません。
それも、子どもの成長の証であります。
しかし、何事においても、それが過度になれば毒にもなります。
子どもが、大人に「必要以上」に気を使うのであれば、それは子どもの人格の成長に影響を及ぼすこともあります。
そして、大人たち自身も、そんな子どもの過剰な気遣いに気付かず、さらに「気を使わせる」言動をとってしまうという悪しき循環に陥ってしまうかもしれません。
そうならないためにも、大人たちは常に「静かに」子どものことを観察してみたり、自分の言動を省みたりするのも必要であると思います。
特に無責任な発言をする大人は、思いやりがやさすぎるなぁ・・・思うのです。
ただ注意しなければいけないのが、大人が「過剰」に子どものことを心配して、子どもに気を使うようになると、子どもはさらにそんな大人の気遣いを察知しておかしな悪循環になるかもしれません。
これでは本末転倒です。
例え元気で無邪気でバカっぽい子どもであっても、意外と大人に気を使っているかもしれません。
ちょいと長くなったので、まとめてみたいと思います
虐待や育児放棄などの特別な家庭環境でなければ、それほど気にするようなことではないとは思っています。
ここまで書いておいてなんですが・・・
とは言いつつも、神経質でメンタルの弱い人が多くなっているのも、今の現状であるとも感じます。
要らぬ気を子どもに使わせていると、小中と大きくなり、大人になってからも周りの目を気にしてしまう人間に形成されてしまう可能性があります。
世間から「頭が良くて賢い子」や「思いやりがあり人にやさしく出来る子」などになってもらうのも大人からの願望のひとつですが、「自分の価値観を持って強く生きれる子」にもなってもらいたいものです。
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