宮古島から帰ってきて、今日は散歩日和だなぁ・・・と思っていたら、なぜか連絡が入って、急遽、名古屋に出張に行くことになりました。

うん、仕事があるってありがたい。
さて、飛行機の中からブログの更新をしていこうと思います。
今日は、朝イチの便で名古屋まで移動。
とは言っても、名古屋って空港が孤島にあるから、空港着いてから、さらに一時間ぐらい移動するんですけどね・・・(笑)
その移動中にふと思ったこと。
子どもは大人の言うことを理解するわけではなく、大人のすることを見て理解しているという現実

子どもの教育において、口うるさく、口厳しくするときがあります。
それはやむを得ない場合が多いとは思いますが、大人の都合でそうなる場合も多々あります。
それはそれでしょうがないことでしょう。
しかし良くないのは、大人の行動がそれに伴わないことです。
子どもは親の言うことを理解するのではなく親の行動を見て理解する
このブログでも同じようなことはしょっちゅう書いています。
以前にもこんな記事を書かせてもらっています。
子どもを教育するのはとても大事。
もちろん「しつけ」はしっかりしないといけないのかもしれません。
常識を子どもに教えるのは、当たり前で、悪さをしたら叱ったりすることもあるだろうし、子どもなりに一生懸命がんばれば最大限に褒めてあげる、結局、地味な作業の積み重ねだけです。
教育なんて、きっとそんなもんです。
但し、親自身の言動が伴わなければ効果は半減です。
むしろ逆効果となる可能性も大きくあります。
1945年から変わっていない教育の歴史を諦めるべきなのか?
この国は、1945年から変わっていない歴史の異変に気づいていない。
デジタル化とかいっても、そもそもですけど学校現場でデジタル化している現場を見たことがないんです。
しかも、行政も偉そうなことを言う割には、eラーニングや、eスポーツを取り入れようなんてことは全く頭にないのかもしれません。
ずっと黒電話を使っている感じなんでしょうか?

これだけ、DXだの、リモートワークだの言ってる割には、本体というか核となる中心の人たちが古いから、こういう事態になっているんだろうなって思います。
話を子どもの話題に戻して、考えていきたいと思います
子どもが自発的に行動するとき、それは自らが納得しているときです。
- なぜ、それをしなければいけないのか?
- なぜ、それをした方がいいのか?
- なぜ、それをしてはいけないのか?
理屈では理解はしていないかもしれないけれど、自然とわかっているのです。
それが良心であり、道徳心であるからです。
こういったことは、理屈では伝わらないことがあります。
命令や押し付けでは、まず伝わりません。
いや、まったく伝わりません。マジで。
子ども自身が「見て」「感じて」なんとなくですが伝わるんです。
それに、プラスアルファで「言葉」で伝えるのです。
だから、言葉だけが先行して「さぁ理解しなさい」なんて無理なんです。
アホ言うな・・・って話です。
順番が違うってこと。
カレーを作るのに、最初にルーから入れるって訳わからない感じです。
言動が伴わず、言葉だけで、子どもが言うことを聞いているとしたら( 思ったら )、それは、子どもが諦めている( 反抗しても無駄と思っている )か、怒られたくないという萎縮の場合が多くしてあります。
しかし、そのような親は、子どもの表面しか見ていない場合があるので、大人の言うことを聞く「 良い子 」に映ることでしょう。
そもそも、子どもの教育なんて、直ぐ効果が表れるものではないと思っています。
ある意味、10年計画や、20年計画です。
経営と同じだと思っています。
しかし、人はついつい目の前の即効性を求めてしまいます。
それはしょうがないかもしれないし、ボクも偉そうに人のことは言えません。
だけど、このようなこと( 行動が伴っているか? )を日々振り返り、自分を見直しすることも大事なことなのではないでしょうか?
子どもは、大人の言葉で理解するというよりは、大人の言動により、子ども自身が感じて理解しなくてはいけない・・・と思うのです。
ツラツラといろいろ書きましたがいかがでしたでしょうか?

このような記事の内容は、ボク自身も日々葛藤していることです。
教育と言いつつ、しょせんは自分との葛藤です。
毎日が自問自答の繰り返しなのです。
そんなもんです。
ではでは。
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