さて、宮古島も最終日になりました。
子どもたちも伸び伸びといろいろ話してくれるようになりました。
今では、ボクがおもちゃになっているのか、マスコットになっているのか、わからないぐらいにまで成長しているのが、今の現場からお伝えできることです。
これは子どもが良い子になったとか、聞き分けが良くなったからというわけではありません。
相変わらず、大人の思い通りにはいきません。
やってほしいことはやらず、やってほしくないことをやりたがることにはあまり変化はありません。
今までも感情で怒ることはほとんどなかったのですが、それでも、ボクは子どもに対して叱ることがあまりなくなっていました。
過去の自分だったら・・・という気持ちが大きくなったからかもしれません。
ま、ボク自身が恵まれている家庭ではなかったこともあってか、本当に大きく人生が反れてしまったなぁ・・・という自分自身の反省があるからです。
それでも、今の自分は幸せだと言い切れることろがあるのも、すごいところです。
さて、今日は「寛容」という部分について、考えてみたいと思います。
大らかさと寛容さを身に付ける
ボクが子どもに対して叱ることがなくなってきたというのは、多少なり大らかさが身に付いてきたからだと思います。
昔だったら、子どもだろうが、大人だろうが、ちょっとしたことで感情が爆発していたような・・・
きっと、他の多くの人も同じように感じることはあるかと思います。
教育にしろ、仕事にしろ、家庭環境にしろ、やはり人間には「大らか」「寛容」な視点がとても大事ではないでしょうか?
この大らかさと、寛容さは、同じような意味合いと捉えています。
ところが、これらを身に付けることにより、大きな視点を持つことができ、多くの利点(メリット)を得ることが出来ます。
- 他人を自分の思い通りにしようとしない
- 他人に振り回されない ( イライラしない )
- 広い視野を持つことが出来る
- 人の気持ちが理解出来る
このように書いてしまうと、それは立派な人間のように感じます。
やはり、ボクなんかまだまだ未熟な人間です。
今でも、亡くなった師匠や、今でもよく会う兄弟子たちになんて言われているやら・・・
最近会った兄弟子には「よぉ、成長したな!!!!」と褒めてもらったわけですが、別の兄弟子からは「おまえは、まだまだ未熟やなぁ〜(笑)」とネタにされてしまいました。
世の中には、一般的に「大きい人間」という人が居ます。
「あの人は人間が大きいな~」「あの人は器が大きいな~」なんてお方です。
そういう人物というのは、この大らかさと寛容さを身に付けています。
こういう能力 ( ・・・と言っていいのかわかりませんが )というのは、元々持っている人も居ますが、人生経験により、身に付くものでもあると思っています。
それは、ストレスをそれなりに感じる日常であれば、誰でも身に付けられるのではないでしょうか?
ストレスと言っても別に極度のストレス状態ではなく、普通の日常に転がっているような些細なことです。
- 仕事が上手くいかないとき
- 人間関係で悩んでいるとき
- 子育てがしんどいと感じるとき
- 夫婦関係があまり良くないとき
では、人はどういうときにストレスを感じるかというと、「自分の思い通りにいかない」ときです。
基本的には・・・
ま、子どもを育てていらっしゃる親の大半は「自分の思い通りにいかない」ときに、イライラが募り、機嫌が悪くなり、怒ったりとしているんじゃない?って思ったりします。
個人的に「大らか」の反対語はよくわかりませんが、上記のようなストレスを感じる場合とは、「大らか」な視点とは真逆の状態です。
つまり、全体の広い視点( 相手の立場や気持ちなど )で見ることが出来ず、自分だけの狭い視点( 自分の都合ばかり )でしか見ることが出来ない状態です。
この日常の良くあるストレスに対し、どのように意識を持っていくかが大事になります。
要は「意識」をするかしないかです。
自分の思い通りにいかないとしても、「まぁしょうがない」「相手の立場になったらそうだよな」という広い視点での大らかさが欲しいものです。
例えばですが・・・
■子育ての場合
- 「怒られたって嫌なものは嫌だよな」
- 「遊びたいんだからしょうがないよな」
- 「子どもだって機嫌が悪いときもあるよな」
- 「子どもだって疲れてやりたくないときもあるよな」
親である自分の都合ばかり、考えたり、押し付けたりしていると、子どもの気持ちを考えられなくなり、狭い視点が段々癖になってくることがあります。
どんどんと、親の都合がエスカレートしてくるのです。
やはり、子どもだって一人の人間です。
そして、自分がもし同じことを言われたらどう思うか? といった視点が大事ではないでしょうか?
■仕事の場合
- 「上司もストレス溜まって怒りたい気分なんだろうな」
- 「上司も更にその上司にいつも怒られているんだろうな」
- 「この人はいつも偉そうだけど気が小さいだけだろうな」
- 「部下の尻拭いも上司の仕事のうちだよな」
- 「仕事の成績なんてそんな簡単に上がるか」
嫌な上司に対してこんな寛容になれる気はしません。
ですが、無理やりでもこのように思うことにより、大らかさが育つ気もします。
何より嫌な上司のために何で自分がストレスを溜めないといけないのか? というバカらしさだって、めちゃくちゃあります。
ごちゃごちゃといろいろ書きましたが・・・
ボクが、今回宮古島ツアーで怒ったこと、叱ったこと。
それは、子どもに対して初めに決めたルールを守らなかったこと。
それは、すごく簡単なことだったんです。
- 感謝の気持ち、ありがとうをたくさん言おう
- ツアーに参加させてもらった親に感謝をしよう
- 自分のことは自分でやってみよう
- 宮古島の自然を身体全体で感じてみよう
意外とわかりやすいルールです。
それ以外のことで「自分の思い通り」にいかなくても気にしなくなってきたということです。
子どもたちが自主的に何か考えて何かを行動したんだから。
もちろん「しつけ」などは別です。
たまにギャグみたいなズッコケたくなることをすることもあります。
叱られるというのも、子どもにとっては大事な経験です。
それでも「ここはしっかり叱らなくっちゃ!」「ここで甘やかしたらダメだ!」という肩に力が入ったような感覚がどんどん減ってきています。
言うべきことはもちろん言いますが「何としてでも言うことを聞かせよう」とか、「大人の威厳」とかは要らないのです。
とりあえず、そこらへんで言うならボク自身が「大人の威厳」ってやつが大嫌いだった日本代表だったから、余計にその気持ちがわかったりするんですよね。
何事ももっと「大らか」であるべきだと思うのです。
結果的には、子どもは前よりも言うことを聞くようになっています。
それはもしかしたら、ボクが「言うことを聞かせよう」という考えが無くなっているからかもしれません。
子どもがすんなり言うことを聞かなくても「大人の言うことを聞かない」と感じなくなっているからかもしれません。
ま、そんなこんなで最後にまとめてみるとこんな感じです
教育上でいうなら、そこに関しては、こういったことを「大らか」というのか「甘い」というのか、それは人それぞれだと思います。
しかし、基本的には、言うべきことを言っていれば、後は大らかな視点で見守っていればいいのではないかと思います。
それは、教育においても仕事でも何でもです。
「大らか」な視点を持つ最大のメリットは、ストレスが軽減することです。
周りの言葉に一々反応せず、振り回されることがないのです。
イライラやストレスを感じることが減るのです。
そこが、最大の魅力ですね。
ただ正直やっぱり人によるかなとも思います。
子ども相手なら大らかになれるけど、大人相手に大らかは難しいかも。ボクは。
ではでは。
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