過保護と過干渉ってあるけど、危険なのは「過干渉」で親が「過干渉」すぎ問題が増えている現実

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ひさびさに、明日から県外に出かけることになったので、今週の予定は早めに終わらせようと一生懸命引きこもってがんばっているのですが、とてもありがたいことに、面白い結果になってしまったので、より深い検証ができていて、次のことに手がつかず、ひとつのことにめちゃくちゃ集中しているというなんともいえない感じます。

前回書かせてもらったブログが意外にも反応が高かったので、ちょっとびっくりしています。

https://koichan8888.com/archives/4637

最近は、教育関係のことで、いろいろ関わることが多くなってきたので、いろいろな勘違いかな?って思うことが多くあって、その中でも、よく言われていることですが、子育てにおける「過保護」と「過干渉」について、今日は少し書いてみたいと思います。

ここ最近の教育っていうのは、過保護よりも過干渉が盛んになっていると言われています。

ボクも、同意見です。

なんか大きく変わってきているなぁ・・・って日々感じます。

過保護と過干渉でも、教育の上で、親が注意していること、気をつけようとしているのは、どちらかというと「過保護」の方が圧倒的に多いのではないでしょうか?

「子どもを甘やかしたらわがままに育ってしまう」

「何でも子どもの欲求を満たしてあげたら自律が出来なくなってしまう」

子どもを甘やかさないようにしなければ、なるべく厳しくしよう。

その結果、気がついたら実は「過干渉」になってしまっているのです。

そんな親が、ここ最近めちゃくちゃ増えている気がします。

・・・とは言っても、これらの傾向というのは、何もボクたちだけの世代の話しではなく、ボクたち親の世代にも言えることではあったのかなぁ?と思います。

あっ、よくよく考えてみれば、他にもこういうことを感じたことがあったかもしれません。

「過保護」が良くないという勘違い

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うちのお嬢さまは、過保護です

過保護とは、一般的には、子どもの欲求のほとんどを満たして上げ、子どもを甘やかすことと言われています。

では、なぜ過保護が良くないと言われているかを考えてみたいと思います

  • 過度に甘やかすことによって、もしかしたら、わがままに育つ
  • あれも欲しい、これも欲しい、ともしかしたら欲求不満になる
  • 大人になっても、もしかしたら甘えが治らないかもしれない
  • 甘えが取れないから、もしかしたらいつまで経っても自律できない

ざっと、こんな感じでしょうか?

しかし、ボクの考えとしては、上記のような甘ったれに育つ人間というのは、実は過保護が原因ではないと思うのです。

多分、もう一度読み返してもらえればわかると思うんですが、勝手に子どものことを思い込みで判断しているだけなのです。

実際には、このように思う意見も実際に多いんじゃないでしょうか?

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冷蔵庫の上は、秘密基地になっています

大きくなっても、わがままや甘ったれの原因というのは、過保護であるかどうかというのもあるかもしれませんが、それよりも「親の無関心」が原因であるのです。

子どもは、本能的に親の愛情を欲しています。

そして親の愛情により子どもは健やかに育つと昔からよく言われています。

この子どもに対する親の愛情が薄いと、育児放棄的になるか、もしくは逆に何でも与えてその場をしのごうとする「過保護的な行動」になるかのどちらかではないでしょうか。

つまり同じ「過保護的な行動」であったとしても、親の愛情があるか、または親の無関心かにより、子どもに対する影響は正反対になるということでです。

このように考えると、一般的に「過保護は子どもをダメにする!」と言われているのは、実は後者の「親の無関心」が原因であったと思います。

親の愛情があれば過保護でも問題ないのか?というと「問題ない」と個人的には思います

むしろ、小さいうちに子どもの欲求を満たしてあげれば、子どもは満足して過度に欲求をすることはなくなってくるということです。

いつまで経っても、大人になっても欲求が収まらないというのは、先に書いた「親の無関心」が原因のひとつにあり、いくらモノを与えても、子どもは満たされないということです。

子どもが本当に欲しいものはモノではなく、そのモノを通して、またはモノなどではなく、親の愛情を感じて満たされるということだと思うのです。

子どもがお母さんのオッパイを欲しがれば与えればいいし、子どもが抱っこを要求すれば抱っこしてあげればいいし、何かを欲しがれば出来る範囲で与えればいいと思います。

ただし、何でも子ども優先というわけではなく、親の思いは思いとして率直に子どもに伝えることも大切です。

例えば、経済的に無理のあるものを欲しがっている場合は「買えない」ことをきちんと伝え、代わりに手作りにチャレンジするとか、抱っこしてあげたいけど大きな荷物を持って無理な時や体が弱くて難しいときは、家で座ってなら出来ることを伝えたりなどです。

無理のない出来る範囲での「過保護」であれば、大いにやってあげるべきだと思います

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何か食べようすると参加したくなるみたいです

そして、それらの過保護は「子どもの自律」の妨げにはならどころか、逆に子どもの心が満たされ、より充実されて成長していくのではないでしょうか?

ちなみに、危険なこと、人としてやってはいけないこと、これらは「しつけ・教育」の問題であり、過保護とはまた違った性質のことなので、それらと混同しないで読んでいただければと思います。

さらに言うと、子育ての成果・結果( と言うと変だと思うのですが・・・ )という目に見える形というのは、タイムラグが生じます。

つまり、子どもを大切に過保護に育てたとしてもその時は子どもの甘えが瞬時に消えるわけではありません。

ですが、何年も経って子どもがどんどん成長してきたときに徐々にその効果( 親の愛情によって満たされている心 )が現れてくる気がします。

それを実感できるかどうかは、また別なことだと思うのですが・・・

ここは見極めが難しいところではあります。

注意しべきは「過干渉」なんじゃないか?と思います

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逆に干渉されているかもしれません(笑)

さて、過保護と過干渉はつい混同されがちではありますが、その性質はまったく異なるものです。

ボクも教育事業に関わるようになって気づいたことではありますが、親による子どもへの過干渉が周りの家庭を見てもとても多いと感じています。

過干渉とはその名のとおり「 過度に人に干渉すること 」です。

この過干渉は、大いに子どもの「自律」の妨げになります。

一般的な子どもへの過干渉の例を言うと、こんな感じかもしれません

  • 子どもが欲求していないことに良かれと思い口を出してしまうパターン
  • 必要以上に子どもの言動に口を出してしまうパターン
  • 先回りして良し悪しを植えつけるパターン

似たり寄ったりの例になってしまいましたが、場面が変わると対応も変わります。

なぜ「過干渉」の何がいけないかと言うと、まずは子どもの考えや思い、意見を無視して干渉するということです。

これは、子どもへの「無関心」にもつながります。

ここで難しいのは「しつけ」と「過干渉」の境だと思うのです

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過干渉すると噛みつかれます(笑)

しつけは、もちろん大事です。

子どもに口を出したくなくても、しつけの一環として口を出さざるをえないことは当然ありますし、子どもの意見だけを尊重するわけにはいきません。

それはもちろん大事なことであり、親としてやっていかないといけないことではあります。

しかしここで言う「過干渉に注意」というのは、親の考えや価値観を過度に植えつけようとすることです。

人は誰だって、性格や考え方、価値観は異なるのはご理解いただけていますでしょうか?

それは、親子だって同じことです。

過干渉の危険な要素は、その親の価値観を子どもに植えつけようとし、親の価値観に反すれば注意して正そうとしてしまうことなのです。

更に過干渉を例えると、ごはんを食べるのが遅いから「早く食べちゃいなさい」と言うのはいいが、早く食べるように手伝ったり。食べる順番をいちいち指摘したりしてしまうことです。

今日は暑いから「こっちの服にしなさい」と言うのはいいが、それを過度に強要したりしてませんか?

子どもがたいして興味がないのに、親が良かれと思うことで遊ばせたり、習い事をさせたり。

必要以上に強要するということになっていたりするのです。

特に害のない子どもの言動に対して、親が不愉快に思うことは止めさせようとしたりしてませんか?

何かにつけ、あーしろこーしろと指示をしたり。

この例でいうと、「しつけ」「過保護」「過干渉」の違いが何となくわかるのではないでしょうか?

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ただ、ただ見守るだけです

これらは「しつけ」でも「過保護」でもなく「過干渉」です。

過干渉でよく言われているのが、親の子どもに対するマインドコントロールです。

その結果、子どもは何が良くて、何が悪いかの基準を正しく理解することが出来ずに、親の顔色が基準になってしまうのです。

ですので、何が危険かと言うと、子どもは自分の考えで行動出来なくなる恐れがあると言うこと。

自分(子ども)の価値観で良し悪しを判断することを認められず、親の価値観が優先されてしまうということになってしまっているのです。

これでは、子どもの「自律」が育たないのは当然ではないでしょうか?

しかし、この手の親は、なぜ子どもが自律できないのか?が理解できてない場合が多いです。

結果的に更に親の干渉が増える。

そして、子どもの自律は更に遠のくという悪循環が生まれてしまうのです。

最後に考えてみましょう

この手の話は、さまざまな意見や考え方が出るところだと思うので、あくまで個人的意見と思っていただきたいと思います。

子育て・教育に正解はなく、親や子どもの性格や育つ環境によってさまざまだと思っています。

結局、この記事で言いたかったことは、「過保護」「過干渉」「しつけ」は、似たような感じだけどもまったく別ものであるということです。

そして「過保護」がダメと言われる性質には、実は誤解があるということなのです。

「過干渉」と「しつけ」の違いを区別出来ずにいる親が増えているということです。

うちのお嬢さまに関していえば、過保護ではあるけれど、過干渉になっていません。

自由だし、自分の主張ははっきりもっているし、ほんとすごいな・・・って考えさせられます。

ではでは。

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